3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

報連相とセブンミール

土曜日の朝9時にインターホンが鳴った。
母のデイサービスのお迎えは9時半だ。
こんな時間に誰が?
訝りながら玄関を開けたら、いつもの福祉用具業者さんと作業服の男性二人が立っていた。

「手すりの取り付け工事にうかがったんですけど」
「えっ?!」
「もしかして聞いてなかったですか?」
私は首を横にブンブン振った。
聞いてない…。

確かに父が、手すりを付けようと思っている、と言っていたのは知っている。
母のためではなく、父がソファから立ち上がるのを楽にするための手すりと、父が庭先に出るのを楽にするための手すりだ。

けれど、工事の日にちまでは全然聞いていなかった。
よりにもよって、この時間だなんて。

あと30分したら母のデイサービスのお迎えが来る。
庭先で工事をしていたら車イスが通れない。

業者さんは、
「通ってもらっても大丈夫ですよ」
と軽く言うけど、
「でも、そこで作業されてたら通れないのに…」
と、戸惑いを隠せなかった。
仕方ないので、母のお迎えを一時間遅らせてほしいと施設に電話をかけた。

「お父さんはお出かけなんですか?」
姿を見せない父について、業者さんに尋ねられた。
「いえいえ、まだ寝てるんです」

私は2階にかけ上がり、物音にピクリともしない父を叩き起こした。
「手すりの取り付けに来とんやけど!!」
「ほへ~? あ、そうや、忘れとった~」
寝惚け声で父が返事をする。

起き上がってからベッドに腰かけ、寝起きでボーっとしている父に向って、
「手摺の取り付けに来るのはいいけど、なんで私に言うてくれへんかったん」
と小言を言う。
言っても無駄なのはわかっていても、言わずにはいられない。

「ごめんごめん、忘れとった」
「平日でもよかったやんか。土曜日の朝はあかんわ。 お母さんが出かけるタイミングはマズイやんか」
「そうか。気がつかんかったな」

父は一応謝ってくれるけれども、決して改善はしない。
父は相談をしない。連絡もしない。
私や母、つまり自分以外のすべての人の事情を配慮できない。
父はそういう人だと諦めているつもりでも、やはりイラッときてしまう。

父はかつて会社員だった。
組織にとっては、報告、連絡、相談の報連相はカナメである。
本人も、会社勤め時代はよく上司に怒られたらしいので、さぞや困った社員だっただろう。

家族は小さな組織だ。
うちの家で私は父の上司になっている。
どうやったら父を管理できるか、コントロールできるか、常に考えているけれど、太刀打ちできない。
手強いのなんの。
まずは報連相がなっていないところで、すべてがつまずく。

*********

報連相がなっていない、というつながりで、セブンミールの話をしよう。

セブンミールとは、セブンイレブンがやっている宅配サービスのことである。
ネットで受けたオーダーを、近くのコンビニ店舗が配達してくれるという仕組み。

食事をちゃんと食べない父に、ケアマネさんからお弁当の宅配をすすめられたのだ。
これまでも何度か高齢者向け宅配弁当を利用したけれど、薄味なのが気に入らない父に対し、ケアマネさんがセブンミールを提案してくれた。

主に週単位での注文や曜日ごとの設定になる高齢者向けの宅配弁当とは異なり、セブンミールなら配達日は1日ごとに指定できるのがメリットのひとつ。
すごくフレキシブル。
バリエーションも豊富だし、セブンイレブンで取り扱っている商品も併せて頼めるので、宅配スーパーのようにも使える。
しかも500円以上で宅配料が無料!
なんて便利なんだ!

昨年末から、私が1週間の父の食事を考え、週末にネットで注文する、というサイクルが始まった。

初めて配達があった日、どうだったかを電話で父に問い合わせると、
クロネコヤマトが持ってきたで」
と言うのでビックリした。

ヤマト運輸が?
セブンイレブンの店舗からの配達じゃなく?
500円のお弁当ひとつを?

疑問に思っていたら、次の日は父から連絡があった。
「またクロネコヤマトが来てな、配達店舗の設定を変えてくれとかなんとか言うとったで」

注文のときには最初にネットで会員登録をする。
そのときに配達店舗を選ぶようになっていた。
どこから配達してくれても、こちらは別にかまわないんだけどなぁ、と思いながらも、父がよく行く店舗を選んだ。

それがまずかったんだろうか。
選択した店舗は交通量が少ない道沿いにあって、駐車場も停めやすいからよく行く。
だけど、最も近いのは別の店舗だ。
設定の説明を読み飛ばしたせいで、ルールと違うことをしたのかしら。

とにかく、ネットで配達店舗を変更しようとしたけれど、変更のフォームがない。
配達店舗の変更はお問い合わせください、となっている。

もし私がルール間違いをしたとしても、そもそも配達店舗が選べないなら選ばせるなよなぁ、システムミスじゃないの?
と思いつつも、仕方ないのでネット上の問合せフォームを使い、配達店舗の変更依頼を送った。

すると、問合せ担当者からの返信メール。
「担当部署にて確認の上、あらためてお電話にてご案内させていただきたく存じます。」

それなら、と、電話番号や電話に出られるタイミングなどを返信した。

ところが、何日過ぎても電話はかかってこない。

再度問合せメールを送ると、
「現在、担当部署にて事実確認などを行っている途上で、まだご連絡ができておらず申し訳ございません。確認ができ次第、ご連絡をいただきましたお電話番号へ、ご連絡いたします。」
という返信。
じゃ、待つしかないか…。

そうこうしていたら、父がこんなことを言った。
クロネコヤマトの所長さんが謝りに来たで」

「なんで?」
「配達店舗を変えてくれとか変なこと言うてすみません、とかなんとか」
「それでどうしたらええの?」
「さあ知らん」

そもそも父は状況を理解する力が乏しいうえに、説明もド下手である。
一体何だったのか、よくわからない。

どうすればいいのかわからないまま、年末年始になった。
セブンからの電話はかかってこない。
メールもない。
正月休みだろうから仕方ないか、と思い、年明けを待った。

しかし、年が明けても、連絡はなかった。
休みが終わって私の仕事が始まれば、父のごはんのために再び宅配弁当を頼まないといけない。
連絡がないのが悪いんだからね、どこから配達されようが知ったこっちゃないわ、と再び発注した。

週末帰ったときに、今週のセブンミールはどうだったか父に尋ねると、セブンイレブンのスタッフが持ってくるようになった、という。
ネット上の設定を見てみると、配達店舗が勝手に変わっていた。
一番近い店舗とも異なる店舗だった。

説明がないから、いったい何だったのかわからない。
あほらしくて、再度問い合わせる気もなくなった。

その後も配達のたび、セブンミールからメールが届く。
うざいくらい届く。
ひとつひとつの商品に対して、「感想をお聞かせください」というメールがいちいちやってくる。
メールが届くたび、
「商品はいいんだよ! 問題はあんたたちの報連相だよ!」
とツッコミながら削除している。

わからなくもないんだ。
ネット注文とコンビニの実店舗をつなぎ合わせた物流の新しい試みをしよう、という企業の理想はすばらしい。
けれど、ご本社様の理想と、実店舗の実態が噛み合ってないんだろう。

だいたい、バイトでギリギリまわしているフランチャイズの田舎のコンビニで、配達までやれって無茶じゃない?
押し付けられた現場のほうに同情してしまう。

うまくいってないのは、本社と現場と顧客の報連相
ネットで検索したら、セブンミールについてのネガティブな口コミをいくつか見かけた。
商品内容じゃなく、やはり対応についてだ。

大丈夫ですか?
セブン&アイホールディングスさん。

これは単なる想像だけど、こんなことを考えてしまう。
東京の本社正社員エリートは高給取りで、ネット事業の拡大でさらにがっぽり。
目まぐるしい忙しさでレジから配達までこなす地方店舗のバイトさんは時給千円にも満たない。
バイト搾取によって低価格で便利さを享受できている私たち。

…やるせねーなー。
世界中で起きている格差社会の末端を肌で感じる…。
想像に過ぎないけど。

ところで、セブンの宅配について、「これすごくいい!」と思えることをひとつ見つけた。
セブンだけじゃなく、いろんなオンラインショッピングで使える、ウェブベルマーク。
購入金額に応じて、被災地の学校支援ができるらしい。

www.webbellmark.jp

1クリック募金というのもあるのでぜひやってみて。

柿喰う客『虚仮威』とウエディングドレス

友達に誘われて、柿喰う客という劇団の『虚仮威』という公演を観に行った。
3人で行くと「なかよし割引」が適応されるというので、共通の友達と3人で観に行くことになったのだ。
私はこの柿喰う客という劇団を全然知らなかったのだけど、今、人気急上昇中の劇団らしい。

柿喰う客
www.youtube.com

劇場は梅田グランフロントにあるナレッジシアターで、私はこの劇場はおろか、グランフロントに来るのも初めてだった。
スタイリッシュで都会的すぎるロケーション。
でも、それに負けず劣らず、柿食う客はひどく都会的な劇団だった。
舞台美術、衣装、ヘアメイク、物販のデザインに至るまで、なるほど、売れる劇団というのはこういうものか、と納得させられる。

そう書くと見た目ばかりで中身がないようだが、どうしてどうして、役者さんはうまいし、演出は面白いし、今後もっともっと押しも押されぬ人気劇団になるだろうなぁと予感させられた。

目を見張ったのは役者さんのキレッキレの動きである。
全員の身体が、ダンサーかと思うほどに‘できあがって’いる。

つまり、「キビキビ動けて、クネクネ軟らかい」。
字ヅラで見るとバカみたいだけど、舞台上でこういうふうに動けるのは並大抵のことじゃない。
しかも全員だ。

人気が出る劇団はたいてい、天才的な劇作家・演出家がいるか、突出したスター役者がいるか、その複合かで、才能ある一人や二人の引力で世に出ることが多い。
もちろん、作・演出の中屋敷法仁氏もさすがだし、主役をやっていた玉置玲央という役者さんは、これからきっとテレビや映画でも大活躍するんだろうなぁと思わせるスター性がある。
(いつも思うのは、20年前、惑星ピスタチオ佐々木蔵之介がこんなに売れると誰が予想できただろうか、ということ。)

でも、それ以上に、役者が全員粒ぞろいというのが珍しい。
役者全員の身体的ポテンシャルで魅せる劇団は他にないんじゃないだろうか。

戯曲がどうこう、演出がどうこう、という以前に、とにかく役者さんの躍動感にやられてしまったのだった。


********【注意:ここからネタバレ含みます】


終わったあと、隣に座っていた友達Mはえらく不機嫌だった。
どうやら、彼女はこの作品が気に入らなかったようだ。

せっかくだからちょっとお茶でもしよう、と3人で駅ナカのカフェに寄り、コーヒーで乾杯してから、
「何がダメだったの?」
と率直に感想を求めた。

彼女はいかにも辛そうに胸を押さえてから、
「これは主義主張の問題なんだけど」
と前置きをして言った。
「ウエディングドレスがね…。ウエディングドレスはないやろう、と」

世界征服を望んできた主人公が、物語の終盤、心の奥底で本当に欲しかったものが判明する。
それが、ウエディングドレスだった。
実は彼は、男として育ってきた女の子だった、という大どんでん返し。

女の子が欲しいもの=ウエディングドレス。

「男の発想というか…、無意識の女性蔑視よね」

彼女の告発に、我々二人も、
「そうだそうだ!」
と、彼女の溜め息に賛同した。
突如、大阪駅のDELICAFEは平日の夜に集まったアラフォー未婚女子の、女性蔑視作品に対する批評大会になった。

私も部分的に引っかかりを感じながらも、役者さんの躍動感に感心してしまって、お話については意識的に蓋をしてしまっていたのを、彼女が箱を開けてしまった。
もう一人の友人Kも。

そう。
実はこの作品は、女性差別を扱ったストーリーなのだ。

時は大正、東北のとある田舎。
男子誕生を望む父親は、生まれてきた長女を男として育てる。
その時代、その場所で当然ある女性差別

まあ、それは仕方ない。

実を言えば、私が産まれたときも、うちの父は母に向かって、
「なんや女か!」
とあからさまに失望したという。
母は、
「男の子じゃなくてごめんなさい」
と謝ったそうだ。
私は「ごめん」な子供。
昭和でさえ、そんな女性差別がまかりとおる時代だった。
大正時代なら、なおさら仕方なかろう。

まあ、それは仕方ない。

主人公がどんなに男になろうとして抑圧しても、女としてのサガが出る。
美しいものに憧れる。
それも、まあ、わかる。

だから、
「美しいドレスが欲しい」
という展開はよしとしよう。

まあ、わかるわかる。

私の友達でも、母親からボーイッシュを押し付けられて育ったトラウマから、本当はヒラヒラの可愛らしい服が着たいという自分の好みを抑圧してきた人がいた。
もしくは、ブスな自分にはキレイなもの、可愛らしいものは似合わない、と頑なにピンク色を避ける人がいた。
本当は可愛いもの、キレイなものが大好きなのに。

だから、世界征服より美しいドレスが欲しい、という願いはよくわかる。
あるあるだと思う。

でも。
ドレスが「ウエディングドレス」になると、意味が少し違ってくる。
そして、「ウエディングドレスを着ること=お嫁さんになる」となると、さらに飛躍し、異なる次元へ飛んでいく。

「お嫁さんになりたい、っていうのは、『人を愛し愛されたい』という願いとも違うわけよ」
と、彼女は言った。
「そのとおり!」
快哉を叫ぶ残り二人。

なぜ主人公が「お嫁さんになりたい」と思うのか3人で物語を反芻して考えたけれど、そういう伏線もなく、理由がさっぱり見つからなかった。
そうなると、
「女性というものは、総じて結婚願望を持つものだよね」
という、作者の無意識の蔑視を感じてしまうのも仕方がない。

悪いけど、私も「ウエディングドレスを着てみたい」と思ったことは1度もない。
キレイなドレスを着たり、コスプレはしてみたいけど、意味のある「ウエディングドレス」は願い下げだ。

そういう話をすると、ときどき、
「世の中に結婚したくない女がいるなんて!」
と驚かれることがある。
世の中、まだまだ大正時代の東北の農村と変わらないのだ。

苦労している母を見て育ったせいで、私は子供の頃からお伽噺のプリンセスにも懐疑的だった。
「王子様が現れていきなり結婚しても、その後の生活はどうなるの? 性格が合わなかったら? 姑にいびられたら? 王子が浮気したら? なんで結婚したら幸せになれるって言い切れるの?」
そんなことを言う、嫌な子供だった。

だから、「結婚=女の幸せ」だと思っている女性は、私からすればうらやましい。
疑いもなくそう思えるってことは、幸せな家庭で幸せな母親を見て育った証だから。

この作品でも、主人公が母親を見て、
「あんな結婚生活を送りたい」
と思う根拠が提示されていれば、ちょっとは説得力があったかもしれないが、作品の中で母親の影は薄かった。
「お嫁さんになりたい」
と思う主人公に、その気持ちの伏線くらいはほしかった。

蛇足だけれど、主人公が意味もなくウエディングドレスを望んだらなぜおかしいのか、わからない人のために別のもので例えよう。
主人公が本当に望んだものが、ナース服だったとする。
伏線も何もなければ、「なんで?」とならないか?
「女として生まれたからには、看護師になりたいと思わずにいられない」
と言われたら、キョトンとなるに違いない。
それと同じで、女だからといって、理由もなく「お嫁さんになりたい」とは思わないはずなのだ。

なりたい人もいる。
なりたくない人もいる。
なりたい人の背景を提示してくれないと、
「なんで?」
ってなるのは当然じゃないか?

物語の中に背景がない以上、戯曲のバックボーンとして考えられる唯一のことは、
「女は結婚しないと幸せじゃない。女は結婚すべきだ」
という作者の女性蔑視にほかならない。

「ウエディングドレスまでは面白く見てたのに…」
「まったく、言うとおりやわ!」

3人の意見は一致し、共感しあって夜の梅田をあとにした。

ただ、帰りの電車の中でふと、友人Kが言った、
「今までそういう指摘はなかったんやろうか。誰も言ってやらんかったかな」
という疑問がふとリフレインし、だんだん気になってきた。

この作品は昨年12月から三重や仙台をまわって、大阪でファイナルを迎える。
これまで私たちのようにウエディングドレス問題を気にした人はいなかったんだろうか。

私が嫌な気持ちになるのは、世代が若くなるにつれ、結婚願望が強くなっているという世の中の風潮である。
アラフォーの私たちと、アラサー以下の人たちの考え方はずいぶん違うように感じる。

いや、いいんだよ、したいと思うことはいいことだ。したい人はしたらいい。
ただ、したくない人が異端視されたり、しないといけないように押し付ける世の中にだけはなってくれるな。
と、強く思う。

よその国のことだけど、多様性を認めてきた大統領から、女性蔑視を平然と口にする大統領に代わった。
日本もだんだん、多様性を認める寛容性が失われてきていないか、なんだか不安になる。


【追記】
「実は女だった」設定について、思い出すのは松尾スズキ作・演出『ニンゲン御破産』である。
当時五代目中村勘九郎だった勘三郎が主演。
シアターコクーンまで見に行けなかった私はNHKの放送で見たんだけど、「中村勘九郎ってなんて懐の深い役者なんだろう!」と感激した。
私には大傑作なんだけど、戯曲も絶版になっているし、勘三郎が亡くなった時にすら話題にもならなかった。
今の勘九郎で再演とかどうかなぁ?

WATCH FOR![松尾スズキ&中村勘九郎「ニンゲン御破産」記者会見]

雪の1日

日曜の朝は7時に電話が鳴った。
母の施設からである。
「雪のため、今日のデイサービスはすべてキャンセルさせてもらうことになりましたが、かまいませんでしょうか」
という。

こちらとしても願ったり。
だって、デイサービスのお迎えは9時半だけれど、いつも時間ギリギリで準備はバタバタするのだ。
出かけないとなれば、朝どんなにグズグズしてもいいわけで、雪のせいにしてダラダラできる。

そうして、母が在宅している日曜日を過ごしたわけだが、何にもできないまま、あっという間に1日が終わった。

寒さが関係するのかどうかわからないが、午前中、母が3度も下痢をした。
便の後始末にやたらと時間を取られてしまったのが、何もできなかった第1の言い訳。
どうも施設にいるより自宅にいるときのほうが、お腹が緩い気がする。
家にいることでリラックスして緩いのなら良いことだが、私が食べさせているものが何かお腹に良くないんだろうか、と悪い方に考えなくもない。

第2の言い訳は、母がなかなか食事を食べてくれなかったことだ。
朝ごはんも昼ごはんも、食が進まないのではなく、とにかく眠ってしまう。
寒さ対策でガンガン暖房をかけていたので、ポカポカして眠くなるのか、いくら起こしても目が開かない。
「寝たらあかーん!しっかり食べて!」
何度も何度も起こしながら、スプーンを母の口に運ぶ。
一口食べては眠ってしまうので、朝ごはんを食べ終わらないうちに昼ごはんの時間が来てしまった。
昼ごはんを食べ終わるともう夕方である。

あ、もう夕ごはんの準備をしなきゃ、と思ったときにゾッとした。
1日が、もう終わり。
何もしてないのに、時間だけが経っている。
浦島太郎もこんな気持ちだっただろうか。

日中預かってくれるデイサービスのありがたみが身に染みた。
どんなに朝の支度がバタバタしようと、デイサービスには行ってもらわないといけないな。

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何もやってない、とはいえ、実は食事介助をしながら録画していた映画は見れた。
『日本のいちばん長い日』、『南極料理人』、『OK牧場の決闘』の3本。
いずれも、積極的に見たい作品というより、親と一緒に、家事をしながら見てもいい映画、というチョイス。
だとしても、1日に3本映画を見たんだから、全く何もしてない1日だったとは言えないかもしれない。

映画を見ることができた以外に、良かったことがもうひとつだけあった。

朝、大雪のニュースを見ながら、母を着替えさせていた。
北海道にある、日本で最も寒い町ではコタツを使わずペチカで暖をとっている、という話題が紹介されていた。

ナレーションでは「ペチカって何?」などと言っているので、
「歌があるのに、ペチカを知らんのんかなぁ?」
と、私は母に話しかけた。

雪の降る夜は楽しいペチカ
ペチカ燃えろよお話しましょ

私が歌い出すと、母もそれに合わせてハミングをしてくれた。
歌というほどのことはない、うなり声程度の声だったけど、明らかに歌おうという気持ちが見えた。
母が歌ってくれたのは久しぶりだ。

去年くらいまで、言葉は出てこなくても、歌は歌えた母。
会話は滅裂でも、歌の歌詞はよく覚えていた母。
歌は最後の砦だったのだけれど、最近はそれも反応が乏しくなっていただけに、うれしかった。
雪の降る朝の、小さな喜び。
何もない1日だっただけに、些細なことが思い出になる。

Amazonで便利な介護グッズ

次こそは絶対にゴミ捨てに行ってもらわなければいけない。
が、やはり父が寝坊するリスクがあるので、対応策として電話の子機を父の枕元に置き、ヘルパーさんにモーニングコールをしてもらおう、とケアマネさんと話し合っていた。

それで仕舞いこんであった実家の電話の子機を出してきて充電してみたが、うんともすんとも言わない。
そうか、壊れているから使ってなかったのか。
子機でモーニングコール作戦失敗。

その代わり、携帯電話を枕元に置いたらどうだろう、と考えた。
父の携帯に、火曜日7時30分にアラームが鳴るように設定しておく。
月曜の朝時点で充電されているのを確認したので、電池も大丈夫だと思う。

これで火曜日はなんとかなる、と月曜日に実家をあとにしたが、のちほど父に確認したところ、目覚ましなしでも起きられたらしい。
よく眠れず、6時半に目覚めたそうだ。
結果オーライだけど、アラームが有益かどうか検証できず。

前回のブログを読んでくれた友達が、暗証番号つきのキーボックスというものがあることを教えてくれた。
検索すると、Amazonの取扱いだけでもたくさんの類似商品が出ていることがわかった。
購入者のコメントを読んで吟味して、さっそくこれを購入。

これで、父が起きて来なかった場合でもヘルパーさんに中に入ってもらえるし、緊急時にも対応してもらえるだろう。

世の中便利グッズだらけだ。

便利グッズといえば、お正月休みの間に購入したのが、体位変換マット。
年明けから使い始めたのだが、母の身体を横向きにするときやっぱり便利だ。

体位変換・保持用クッション(スウィングフロート) B-1半円中

体位変換・保持用クッション(スウィングフロート) B-1半円中

訪問リハビリの療法士さんにも、
「やっぱりこういうのがあるといいですね。安定しますね」
とほめてもらえてご満悦。
セール品で購入したからなおさら満足。

今後購入を考えている便利グッズがこれ。
おしり拭きウォーマー。

母のお尻を拭くときはウエットティッシュのようなおしり拭きを使っている。
冬場はいつも、
「冷たいやつで拭くよ~」
と声をかけているのだが、それくらいヒンヤリしていて可哀想になるのだ。

去年の末くらいに、テレビで赤ちゃん用品としておしり拭きウォーマーがよく売れているという情報を知り、ぜひ欲しくなった。
ただ、基本は赤ちゃん用なので、大人のおしり拭きにも対応可能か、サイズは合うのかをよく調べなければ。
今使っている超大判サイズのおしり拭きだと、たぶん入らないんだよね。

そんなこんなで、最近Amazonにどっぷりお世話になってしまっている。
アマノジャクな性格なので、心情的には巨大資本への一極集中をあまり快く思っていない。
できれば、ネットショッピングだって、多様なほうがいい。
…と思うけれど、どうしてもAmazonが他より操作性もよく使い勝手がよいのだから仕方ない。

お気楽スーダラ社員をやっている私なのに、今、経営企画部のようなところで経営計画策定のプロジェクトに参加している。
外部コンサルタントからいろんな経営分析のメソッドを教えてもらうのだが、初めて勉強する経営学フレームワークは私の目にはとっても新鮮。
「よその会社の経営者はそういうふうに頑張ってるのかぁ!」
と、感心することばかりだ。

経営分析がちょっとしたマイブームなので、自分が消費者なのに、ついつい経営側の仕組みを考えてしまうことがある。
どう考えても、やっぱりAmazonはすごいなぁと敬服することばかりだ。
業界トップというのは、それだけの理由があるよね。当たり前だけど。

やっぱり成功企業はやってることが違う!
…と思っていた矢先、やはり成功企業なはずのセブン-イレブンのネット宅配で最近がっかりしたことがあった。
大企業もそれぞれ。やらかすのはどこも一緒。
というわけで、セブンのゴタゴタはまた次の機会に。

せっかくヘルパーさんに来てもらったのに。

12月中旬、初めてヘルパーさんに来てもらうことになった。

父の介護保険を使って、ゴミ捨ての手伝いと、お風呂の掃除と父の入浴見守りをしてもらう話になっていた。

父は杖をつきながらだと重いゴミを持って歩けないのと、簡易ギプスをつけた状態ではバスタブの掃除がしにくいだろうと思ったので、私がケアマネさんに要望したのだ。

父も足をケガしている認識があるせいか、とりあえず承諾してくれた。

 

最初の週はうまく行った。

ケアマネさんに聞くところによると、父は、

「こんなことまでしもらって、天皇陛下になったみたいや」

と照れていたというが、それ以外はヘルパーさんをすんなり受け入れたという。

嫌がったり意地を張ったりして困らせるんじゃないかと心配していたので、その話を聞いたときは安心した。

 

ところが、うまく行ったのはその週だけ。

翌週の週末、日報のファイルを見ると、ヘルパーさんが来てくれた形跡がない。

父に尋ねると、

「待っとったけど来やへんかったんや」

という。

おかしいなぁ、日程の連絡ミスだろうか。

訝しかったけれど、年末年始だったこともあり、ケアマネさんには問い合わせを控えていた。

 

6日の金曜日、ケアマネさんから携帯に連絡が入った。

 

まず、父が「ヘルパーさんが来なかった」と言った日についてだが、ヘルパーさんはちゃんと来てくれたのだという。

父は外出していて留守だったそうだ。

おそらく、父のほうが時間を勘違いしていたのだろう。

 

また、年明けに入浴介助に来てくれたときも、

「もう大丈夫やから自分でできる」

と拒否し、結局サービスを受けることを拒んだという。

 

ゴミ捨てに来てくれた朝も、父は出なかった。

チャイムを押しても電話をかけても応答しない。

30分ほど待ってくれたそうなのだが、どうしようもないので帰ったという。

ケアマネさんが昼前に訪れると、父は出てきたらしい。

単なる寝坊だった。

早く寝ようとして11時頃就寝したものの、3時くらいに目覚めてしまい、だったら朝まで起きていよう、と思っているうちにいつの間にか寝込んでしまって、気が付いたら10時前だった、というのが父の談。

 

「いずれもヘルパーは訪問してるんで、キャンセル料がかかるんです。1回100円ほどなんですけどね。サービスが受けられないのにお金だけかかってしまって申し訳ないですが」

「いえいえ、わざわざ来ていただいてるんで当然です。ご迷惑ばかりお掛けしてすみません」

私は平謝り。

 

「それはそうとして、今後どうしましょう?」

「父が拒否してるなら、入浴介助はもうやめにします」

 

バスタブ掃除が危ないんじゃないか、と心配していたのは私の判断である。

しかし、振り返ってみると父はこれまで、何日も沸かし直しで入ったり、バスタブを洗わずにお湯だけ入れ替えて入ることがよくあった。

「3日以上前のお湯で沸かし直しをしない!」

「新しいお湯を入れる前はちゃんとバスタブを洗いなさい!」

何度そう怒ったかしれない。

父がバスタブ掃除をサボるのであればリスクはないわけで、そもそもが私の杞憂だった。

 

ヘルパーさんには、お風呂を洗って沸かしてもらい、父が入浴、その後もう一度お風呂掃除をしてもらう、という段取りでお願いしていた。

私としては、昼間にヘルパーさんがいるうちに父にお風呂に入ってもらうことで、夜に酔っぱらって入浴して転倒したり、お風呂の中で眠ってしまったりすることを防げる、という思惑もあった。

ただ、ギプスをつけていたときとは違い、今やもう父は膝が治ったつもり(まだ骨はくっついていないけど簡易ギプスは外れた)になっているので、いくら転倒や溺死の危険性を説いたって、言うことを聞くはずもない。

私が注意しても、

「酒飲んだあと、風呂で居眠りするのが気持ちええんや~」

と平気で言っている。

 

「お風呂で何かあっても自業自得なんですけど、ただ…、ゴミだけは…」

うちは普通の家庭よりゴミが多い。

母のおむつゴミがあるせいだ。

水分を含んでいるので重いし、汚物なだけに早く捨ててしまいたい。

6日の朝に父が寝坊し、ゴミ捨てに行ってもらえなかったせいで、今は年末からのゴミが大袋で3袋ほどたまってしまっている。

次こそは捨てなければ!

 

父にいくら「朝ちゃんと起きなさい」と言ったところで無駄なのは私もケアマネさんもわかっていた。

2階に寝ているうえ耳が遠いので、1階にお客さんが来ていても電話が鳴っていても聞こえない。

打つ手なし、と絶望感にさいなまれる。

 

「父が起きて来なくてもゴミを出してもらうことはできないんですか? 夜のうちに玄関の外に出しておくんで」

と尋ねると、

「ヘルパーというのは、『本人のお手伝いをする』という立場なんですよ。なので、ご本人さんにお会いするのが前提なんです。ゴミ出しだけやったらヘルパーやなくて、シルバー人材でお願いするサービスもありますけどね。実費で500円くらいかなぁ」

「それを使うのもアリかもしれませんね」

 

「ただね、ヘルパーが会うのは安否確認も含めてのことなんですよ。ほんまに寝坊やったらええんですけど、もし家の中で倒れてても、わからへんでしょう? お家の中に入れたらええんですけど、鍵かけとってやしね」

「身体が動かなくて玄関まで出られない人なんかは、どうされてるんですか? 合鍵を預けるとか?」

「ヘルパーが鍵を預かることはできないんです。なので、よくあるのは、植木鉢の下に置いとくとか、裏口を開けとくとか、ですね」

「うーん、それも不用心ですねぇ…

もう20年ほど前になるけれど、お隣の家が空き巣に入られたことがある。

それがあるので、鍵を置いておく、というのには抵抗があった。

 

「2階で寝ているお父さんを起こせる手段があったらええんですけど。目覚まし時計は?」

「もちろんありますよ。でも、耳が遠いんで鳴ってても起きませんし、寝る前にセットするのをよく忘れてますし」

「携帯は?」

「不携帯です。いっつもテレビの前に置いてて、充電もよく切れてますわ」

「電話に子機はないんですか?」

「あ、子機! 今は使ってないんですけど、あると思います!」

とりあえず、父の枕元に子機を設置することになった。

これで父が朝起きられるようになればいいんだけど。

 

また、合鍵についても、ヘルパーさんが玄関を開けられる方法を考えてみようと思う。

置き場所に暗証番号付きの錠をつけるとか、何か方法があるはずだ。

どなたかいい方法があればアドバイスを求む。

 

これまではずっと母の介護について手を尽くしてきたが、ここのところ父のやっかいごとが増えてきた。

とうとうWケアに足を突っ込んできたかんじ。

一人っ子だからしょうがない。

 

そういえば、国策として一人っ子な中国はどうなのか、というと、昨今「421家庭」というのが社会問題になっているという。

 

<一人っ子政策>夫婦1組で老父母4人と子供を養育、負担重く―... -- Record China

 

祖父母が4人、両親が2人、子供が1人、で421。

昔は、6人の大人たちに甘やかされた一人っ子の子供を「小皇帝」と呼んで揶揄したものだが、三角形の頂点が、やがて逆三角形の底辺となる。

大人たち全員の負担がのしかかってくるとなると、小皇帝もたまらないだろうな。

 

私も女帝として頑張らざるをえない。

年末年始あれこれ

*** 12月30日 ***

年末はいろんな人から、
「お父さんに辛く当たりすぎじゃないか」
と言われた。
確かに、酷い態度だったかもしれない。
年末年始は父をいたわる気持ちを持とう、と反省して帰った実家。
なにしろ老人にしてケガ人なのだから。
しかし、そんな私の気持ちとはうらはらに、当の本人は養生する気が全く見られない。
杖もつかず、簡易ギプスを外したままウロウロしている。

「ギプスせなあかんやんか!」
と注意すると、
「あれな、着けたら膝が曲がらんから歩きにくいんや」
と平然としている父。
「動かさないようにするためのギプスなんやから当たり前やん!」
「それ、先生もそう言うとったわ」
「じゃあなぜ外す!!」
「それがな、昨日診察に行ったらな、だいぶ良うなってますね、って言われたんや」
「ギプスせんでもいいって言われたの?」
「いいや。年明けにもう一回診て、良うなっとったら外そか、って」
「じゃあ今外したらあかんやないの!」
「着けたら歩きにくいんや」
そして、話は最初に戻る。

もう痛みがないらしく、本人は治ったつもりでいるので、いくら言っても聞く耳を持たない。

***

母は肩を動かしても痛がらなくなった。
着替えのときに気付いたのだが、二の腕に黄色く変色している部分があった。
打ち身の治りかけのようなアザだ。
これが原因だったのかもしれない。

*** 12月31日 ***

大晦日は年越しとして、にしんそばを作った。
母には軟らかめに茹でた麺を短くちぎりながら食べさせたら、なんとか食べてくれた。

父はにしんそばが大好きなので、
「美味しいなぁ!なぁ、お母さん、なみ松のにしんそばは美味しいなぁ!」
と調子に乗り、いつのまにか日本酒を3合ほど飲んでいる。

母の世話で手一杯で父のことはほったらかしていたが、気づくと父の姿がキッチンから消えていた。
酔っ払って眠くなったせいで、2階に上がったらしい。

母の食事を終えてトイレに連れていこうとしたとき、廊下が濡れていることに気付いた。
キッチンからトイレまで続く、水たまり…。
酔っ払っいがおしっこを漏らしていきやがったのだ。

昼間大掃除したのも台無しになった。
夜更けにも関わらず、私は吼えた。
私の2016年最後の仕事は、父のおしっこ拭きだった。

*** 1月1日 ***

朝起きると、母は下痢。
年の初めが母の下痢便の片付けとは。
昨年の暮れが父のおしっこ拭きだったことと対をなしてる。
父には頭に来るけれど、母のはしょうがない。
うんがつく、と思えばおめでたい、かも?(←まじで?)
運気上昇の年になりますように。

「元旦はお正月の朝祝いをするから、ちゃんと起きてきてよ」
と、何度も言ったにもかかわらず、父は元旦も昼まで起きてこなかった。
大晦日、酔いが冷めた父は夜中に起き出してきて、しばらくテレビを見ており、再び床に就いたのは明け方らしい。
78歳、まるでニートの生活リズム。

元旦の朝には白いご飯を炊き、お雑煮を作る。
おせちはお取り寄せで購入。

本当は朝におせちを開けたかったのだが、父が不在なので、母と二人でお雑煮の朝祝い。
昨日の年越しそばを上手に食べたので、小さく切ればお餅も食べられるかな、とトライしてみたら、母が見事に餅を喉に詰まらせかけた。
危機一髪。かなりヤバかった。
挑戦は避けたほうがいい2017年。

***

おせちを開けたのは昼過ぎになってから。
母に食事介助をするのには、リビングのソファに座らせるのがちょうどよいのだが、リビングには簡易テーブルしかない。

小さなスペースにおせちのお重をギリギリに並べる。
狭くても3人でそこで食べればよいのだが、父はそれを嫌がって、一人、キッチンで食べている。

おせちも食べず、キッチンで飲んでいた父をふと見ると、おかきを食べている。
年末年始のおやつにと買い置きしていたおかきの袋が、ビリビリに破られていた。

「なんでおせちを食べんと、おかきなんか食べてんのよ!!子供か!!!」

つい、爆発的に怒鳴ってしまった。
帰る前は父を怒らないよう気を付けようと思っていたけれど、結局怒りまくっている。

「ちょっと食べて見たかっただけや」
父は悪びれもしない。
怒られないようにしようとはつゆほども思わないのだろう。

「しかもこんな開け方して!湿るやないの!」
袋の破り方も気に入らず、それも叱りつけると、
「中は個包装やから大丈夫や」
と口答えする。
確かに個包装なら湿らないかもしれないのだが、怒鳴った手前、収まりがつかずに、
「個包装でも密封やないから湿るんや!!」
と、自分でもよくわからないことを言って、やはり怒鳴っていた。

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本来なら、お正月用に買ったお屠蘇で乾杯するつもりだったけれど、あんまり腹が立ったので、床の間に置いたまま出しもせず。

もちろん父は飲みたがったが、
「大晦日におしっこ漏らした人には飲まさん!」
と一蹴してやった。

*** 1月2日 ***

今日から母にはデイサービスに出てもらう。
そして、まだお正月だけれど、明日からはお泊まりをお願いしている。
私は4日から仕事初めだ。

今年も1年のサイクルが始まる。
この日常ができるだけ長く続きますように。
お願いするとしたら、それが一番の願いだ。

明けましておめでとうございます。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

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【2017年の目標】

1、月に1度は映画館で映画を見る。

2、ワードローブの一新→月に1度は服を買って、買った枚数の倍は服を捨てる。

3、沢木耕太郎の『深夜特急』を全部読む。(『旅する力―深夜特急ノート』を含む。)

4、オーケンに「今日はありがとう」ではなく「いつもありがとう」と言ってもらう→つまり覚えてもらう。

5、ネイルサロンに通う。


自分の備忘録的に書いてみました。
全部果たせるかどうかわからないけど、2017年が向上の年になりますように。

皆様にもたくさん福が訪れますように。

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