トレーナーさんが銀メダルを取った!
去年の1月から、パーソナルトレーナーのいるジムに通っている。
すぐにへこたれてしまうかも、と思っていたけど、まだ週イチでがんばっている。
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そもそものきっかけは、お風呂上がりに鏡を覗いたら、そこにルノアールの名画そっくりの女がいたことだ。
『浴女たち(ニンフ)』がうちの脱衣所に!!
それにショックを受け、ダイエットしなければと思い立った。
それで会社に一番近いパーソナルトレーニングジムに通い始めたのだけど、脂肪燃焼は忘れて、今はとにかく体幹を鍛えている。
「重要なのは痩せることではなく、正しく動ける身体づくり」
というのがコンセプトなのだ。
日常生活で筋肉を使って正しく動けていたら、おのずと脂肪は燃焼できるから、というわけ。
正直、あまり痩せてはいないけれども、一番効果を実感するのは母を持ち上げるときである。
車イスとベッドやトイレへの移乗は、意外と大変。
足がしっかりしている人だったら何でもないのだけど、うちの母の場合は、足も踏ん張れず腕も力が入らないので、40キロちょっとの重さをそのまま持ち上げないといけないことになる。
「大丈夫ですか? 移乗しやすいベッドに換えますか? ポータブルトイレもレンタルできますよ」
と、ケアマネさんや訪問リハビリの療法士さんが心配してくれるのだけど、私自身、なんてこともない。
それほど苦も無くやっている。
まだ母が歩けていた数年前のほうが、よっぽど腰を痛めていた。
それもこれも、体の中心で支えられているからだと思う。
ひざが前へ出ない正しいスクワットや、腹筋を使って物を持ち上げるトレーニングを繰り返してきたおかげだ。
全く基礎がなっていなかった私に、辛抱強くトレーナーさんが教えてくれた。
ダイエットより、介護のために役立っているほうがよほど有益である。
でも、それもこれも、パーソナルトレーニングだからこそ。
普通のジムに通ってるだけだったら、有酸素運動系のランニングマシンや自転車こぎしかやらないのは目に見えている。
1人だと、キツい筋トレからは逃げるし、地味な体幹運動なんてわざわざやらないもんなー。
1年半も通ってきて、トレーナーさんともよくお話をするようになった。
私のトレーナーさんは、私と同世代の小柄な女性だけれど、なんとトライアスロンの選手なのである。
トライアスロンなんて、そんなしんどいことをよく頑張れるなぁ!といつも感心してしまう。
「普通の人よりアスリートのほうがよくケガをするじゃないですか。しんどいし、苦しいし、痛くなったりするし、怖くないですか?」
と尋ねると、
「そんなことより、負けるのがつらい。くやしい思いをするほうが、苦しいよりもつらいんですよ」
と彼女は言った。
「足がちぎれてでもいいから速く走りたい!」と思うそうだ。
生まれてこのかた運動というものをやってこなかった私にとって、
「へえぇ、アスリートの考え方ってそんなものなのか!」
と大いに感心させられた。
逆に、私自身はそこまで必死に何かをやったことがあるだろうか、と考えると、何一つ、命がけでやったことなんてないなぁ、と情けなくなった。
そんな我がトレーナーさんが、先週、カナダでトライアスロンの世界大会に出た。
「カナダ、どうでしたか?」
とおずおず聞くと、
「キレイな国でしたよ」
なんて言うので、試合結果について尋ねにくかったのだけど、そのあと少しはにかみながら、
「銀メダルを取りました」
と言う。
銀メダル!!!
家に帰ってからこっそり検索すると、日本トライアスロン連合のSNSにちゃんと出てた。
twitter.com日本代表2名が表彰台に!
— 日本トライアスロン連合(JTU) (@Japan_Triathlon) 2017年8月28日
【ITU世界マルチスポーツ選手権(2017/ペンティクトン)】
世界ロングディスタンストライアスロン選手権結果速報。
エイジ男子20-24歳 3位: 成田遼選手(東京)
エイジ女子40-44歳 2位: 近石敬子選手(兵庫)#Penticton2017 pic.twitter.com/71ecC0zvsA
少し遠慮がちに表彰台に乗っている彼女の写真を見たとたん、泣きそうなくらい感動してしまった。
私はオリンピックも見ないし、あんまりスポーツに関心がない。
けれど、スポーツファンの人たちがなぜあれほど熱狂するかはよくわかる。
努力が結果になったときの感動は、何にも代えがたいから。
よかった。本当によかった…!!
本当に、本当におめでとう。
傷は生きている証
昨日は皮膚科に行って、母の傷の抜糸をしてもらった。
一週間ですっかり傷口は茶色く乾いてくっついていた。
抜糸ってどうやるのかな、また私は待合室で待たされるのかな、と思っていたら、その場で先生がハサミを出して、パチンパチンと糸を切り、ピンセットでヒョイヒョイヒョイと抜いた。
あっという間に済んでしまった。
「お風呂に入るとき、まだしばらくはこすらないようにしてください」
とだけ注意を受けた。
もう消毒も包帯も要らないという。
ガーゼを買い足しておいたけど、もう必要なくなってしまった。
これで治療は終了だ。
早く病院に連れて行っていたら、もっと早く治っていただろうと思うと悔やまれる。
もっと言えば、傷跡だらけの左腕も、病院で見てもらっていたらこれほど跡が残ることはなかったかもしれない。
ところで、私の右ひざと右ひじにも傷跡がある。
小学6年生のときに自転車で転んでケガをしたのだ。
ちょうど今頃、夏休みの昼下がりだった。
歯科へ行く途中で、デニムのジャンパースカートを着ていた。
半袖だったし、靴下はショートソックスだった。
家から出発するのに立ちこぎをしたとたん、スカートのストラップがハンドルにひっかかってコントロールを失い、派手に転倒した。
女の子をお持ちのお母さんお父さん、お嬢さんにはジャンパースカートで立ちこぎをさせないように!
私は泣きながら家に戻って、浴室で傷を洗い、自分で手当てをした。
ものすごく痛かった。
歯医者さんに予約のキャンセルをしたかどうかは忘れた。
母が買い物から帰ってくるまで、「痛いよぅ、痛いよぅ」と声に出して泣きながら、畳の上でうずくまっていたのは覚えている。
親からは、
「病院に行くか?」
と尋ねられたけど、子供だったのでそもそも転んだのが恥ずかしく、
「いい」
と断った。
子供というのは往々にして体面を気にして、大人の提案を断るものである。
子供の自主性を重んじる家庭だったといえばそうだけど、こういうときくらいは、病院に行くべきかどうか子供に任せず、大人が判断してほしかったな、思う。
このときちゃんと病院で手当てをしてもらっていたら、こんな傷は残らなかったかもな、と今は思う。
鄭義信の戯曲『千年の孤独』の中に、
「生きていくというのは、汚れていくということだ」
というようなセリフがあった。(うろ覚えなので正確じゃないです、ごめんなさい)
深い意味を孕んだ哲学的なセリフだとは思うけれども、私にとっては、自分の身体に傷ができたりシミができたりするたび、日常生活の中でこのセリフを思い出す。(その割にうろ覚えってあんた!)
人間は生きていれば経年劣化する。
物も、生き物も、みんなそう。
逆に言えば、生きているから傷跡もできる。
これまたうろ覚えで何ていう作品の何だったかも覚えていないけれど、傷を負った主人公が魔法か何かで元の身体に戻してあげようと言われたときに、
「この傷は思い出として、このままにしておいて」
と言うシーンがあった。
傷跡というのは、良くも悪くも過去の記憶とともにある。
自転車で転んだのは悪い思い出だけど、確かに小学6年生の、夏の日の私がそこにいる。
そういえば傷跡は英語でMarkというけれど、個人を特定する「印」、マークである。
もし私の右腕が切断されて飛んでいってしまったとしても、自転車でこけたときの傷跡があれば、「これ私の右腕です」って判断がつく。
傷跡もホクロもシミもない完璧な腕では、これまでの人生を一緒に過ごしてきた右腕かどうか、見分けがつかないかもしれない。
さて、母の話に戻そう。
傷の経過などについてケアマネさんと話をしていると、
「お母さまにはまだ、傷を治す力がありますから」
と言われて、はっとなった。
そうだ! そのとおり!
病気は進行しているけれど、ケガをしたって治すだけの回復力を母はまだ持っている。
傷跡は残るだろうけど、それはケガを克服した証だ。
ケガが治る。
母には回復する力がある。
それだけのことで、すごく力がわいた。
健康な人では当たり前のことだけど、病人にとっては希望だ。
消毒は介護じゃなくて看護なので。
月曜日の朝、訪問リハビリが終わったあと、母を皮膚科へ連れていった。
表皮剥離を縫ってもらったあとの、経過をみてもらうためだ。
包帯を取ってみると、傷口はこんなかんじだった。
雑ッ!!!
こ、こんなもんなんですか?!
私自身は縫ったことがないので、傷の縫い目を初めて見たんだけど、あまりの大雑把さに驚いた。
その後、会社の人などにこの画像を見せて、
「これどう思います? 雑くない?!?」
と聞いてみたら、縫ったことのある経験者は、
「こんなもんやで」
ということだった。
そーなのかぁ、こんなもんかぁ…。
それはそれとして。
さて、この傷口は、抜糸まで毎日消毒をしてガーゼを取り替えてください、と医師の指示が出た。
それを介護スタッフさんに伝えると、
「毎日ですか!? 困ったな、消毒は医療行為なので、僕たちはできないんですよ」
という言葉が。
お世話になっている小規模多機能にも看護師さんが1人いるが、常駐ではない。
休みの日があるので、毎日とはいかないというのだ。
マキロンをかけるだけでいいんだけど、それが医療行為かぁ…。
「一応、上司と相談してみます」
とは言ってもらったけど、規則は規則だろうし、無理は言えない。
どうしてもダメなら父に頼むしかない、と一応聞いてみた。
「看護師さんが休みの日だけ、お父さんが施設に行って、お母さんの傷口を消毒してくれへんかなぁ?」
「消毒って、何するん?」
「マキロンって液をかけるだけ。できるかな?」
「さぁ…。やってみたら、たぶんできるやろ、とは思うけどな…。」
と、なんとも頼りない。
「それくらい任せとけ。お父さんがしてやろう」
とは絶対言わないのがうちの父。
それでも、どうしても施設のスタッフさんができないならお父さんにやってもらうからね、と念をおしつつ、「上司との相談」の報告を待った。
結果、同じ施設内の特別養護老人ホームに勤務している看護師さんにお手伝いに来てもらうという段取りがついて、一件落着。
大きな施設だからこそだ。
介護と看護、以前はもっと区別が厳しくて、今はずいぶん緩和されているらしい。
それでも、「マキロンかけるのは医療行為」みたいな線引きがまだある。
業界では明確に分かれてるけど、一般人で違いがわかってないなと思う人もいる。
「訪問看護」と「訪問介護」の違いを何度説明してもわからないおじさんがいた。
そういえば、英語では介護も看護もnursingだ。(もし違ってたら誰か教えて!)
日本でも、もう少し越境してもいい気がする。
表皮剥離を縫った。
先週日曜日の夜、母をパジャマに着替えさせようと右腕をまくると、4センチほど皮膚が切れてめくれ、パックリと真っ赤な血がにじんでいた。
なぜそんな大きな傷ができたのかがわからない。
少なくとも私には、介助中に母の右腕をぶつけたとか、強く掴んだという記憶がなかった。
あるとすれば、その少し前に母の爪をやすりで削る作業をしていたくらいだけど、それで腕が切れるなんて考えられない。
そもそもなぜ爪を削っていたかというと、週末に家に帰ってきた母を見ると、右腕に内出血ができていて、それがもしかしたら母の左手の伸びた爪が当たったせいじゃないかと思ったからだ。
内出血ができると、皮膚が破けやすくなる。
「表皮剥離」
その言葉を知ったのは、母が以前のデイサービスに通っていた頃だ。
そのときはよく左腕にケガをしていた。
支えがあればまだ歩けていた頃で、入浴介助中やトイレ介助中によく左腕をぶつけるようだった。
ちょっとぶつけても内出血をし、そこを再度ぶつけると皮膚が切れた。
今の施設に移ってからは、もっぱら右腕である。
右腕ばかりケガをする理由として、ケアマネさんが言うには、
「スタッフたちに、左腕は動かないという意識があり、十分注意を払うんですけれども、右腕はまだ動くと思っているせいで配慮を怠りがちなのかもしれません。両腕とも十分気をつけるよう徹底します。」
ということなのだが、意識だけで改善できるかどうかわからない。
今回のことも、私も覚えがないし、施設のスタッフさんも誰もケガをさせた覚えがなく、原因は迷宮入り。
犯人探しをしたいわけではなく、原因解明から再発防止策を取りたいだけだ。
現に、前回右腕に内出血ができたときはポータブルトイレに移乗したときに肘置きにぶつかったのが原因だとわかったので、移乗のときは肘置きを外すように対策してもらった。
ケアマネさんと話をして、唯一原因かもしれないと思われたのはシートベルトだった。
車イスごと車に乗せるとき、背中側からシートベルトをかけるのだけど、ちょうど母の右腕をかすめる。
今後はシートベルトをする前に、母の腕のところにタオルを置いて腕を保護するように対策をとってもらうことにした。
日曜日の夜は応急処置としてマキロンで消毒したあとにガーゼの傷パッドを貼るくらいしかできなかったので、月曜日に施設の看護師さんに手当をし直してもらうようにお願いした。
すると、仕事中、看護師さんから電話がかかってきた。
「今回の表皮剥離は大きいですし、病院に行かれたほうが…。血液がサラサラになる薬を飲まれてるので血も固まりにくいですし、縫ってもらったほうが早く治るんじゃないかと思いますよ」
これまで、表皮剥離で病院に行ったことはなかった。
行くとしたら何科だろうか?
だとしても、また会社休んで連れていくの?
30分に満たない診察のために、会社を半日休まないといけないのはちょっと勘弁してほしかった。
もともと土曜日に足の爪のために皮膚科を受診する予定だったので、ついでに表皮剥離も診てもらおう、ということになった。
母にはかわいそうだけれど、週末までは看護師さんの手当てだけで我慢してもらうことにした。
そして、昨日、皮膚科へ。
診察室に入ると、看護師さん二人が有無を言わさず母の靴と靴下を脱がし、先生が爪を診て、
「もうだいぶいいですね。爪水虫の薬を、この前とは違うクリームに変えましょう」
とサクサク、まるでオートメーションのように進行した。
そのままベルトコンベヤーで帰らされそうな勢いだったので、
「あの、もうひとつ診ていただきたい部分があるんですけど」
と先生の話を遮った。
「腕の表皮が剥離しまして」
と私が言うが早いか、またもや看護師が勝手に母の腕をめくり、施設で巻いてもらった包帯を外していった。
包帯を取りガーゼを外したあと、先生が、
「え、何これ?」
とピンセットでつまみ上げたのは、ラップだった。
施設の看護師さんによると、表皮剥離をした場合はラップで手当てをするそうだ。
食べ物のお皿に使う、あのラップだ。
湿潤療法といって、以前通っていたデイサービスでも、表皮剥離にはラップを使っていた。
そのときなんか、しょっちゅうラップが必要になるので、わざわざラップに名前を書いて持参していたくらいだった。
私が、
「施設の看護師さんにラップ保護をしてもらったんですが」
と言うと、先生はやれやれという表情で、
「今の季節、ラップはあきませんわ」
と嫌な顔をした。
「暑くて汗をかくでしょう。感染症を起こす危険性があるんです」
ということだった。
幸い感染症は起こしていなかったが、傷が大きいのでやはり縫合することになった。
急遽、手術のように慌ただしくなる診察室。
銀色のトレイに手術道具みたいなものを並べていく。
「麻酔を打ちますからね、ちょっと痛いですよ」
と先生は大きな注射器を出してきた。
看護師に押さえつけられている母の手先が少し震えた。
医者が痛いというくらいなんだし、相当痛かったんだろう。
そこからは、
「ご家族さんは待っていてください」
と外に出されてしまった。
結局、どんなふうに縫ったのか、何針縫ったのか、何もわからない。
ただ、バタバタ移動する看護師の足音や、
「皮膚が折れて重なってるわ! ひっぱって戻せる?」
なんて言う医者の会話を聞きながら、私は泣きたい気持ちになっていた。
何回か表皮剥離を経験していたせいで、「またか」とマヒしていたこと。
たいした仕事もしてないのに、休んで実家に帰るのを面倒がって母をすぐ病院に連れて行かなかったこと。
縫うほどのケガをしているのに、母は痛みを訴えることもできずに我慢していただろうこと。
母が黙っていることをいいことに、私はいろんな点で手抜きをするようになっていたこと。
「言ってくれないとわからないし」と私は内心サボる言い訳をしていること。
一人で座って待っていると、そんなことが悲しみとなって降ってきた。
ふと、相模原で起きた障害者施設殺傷事件を思い出した。
犯人は入所者に声をかけて返事がない人から殺していったという。
話せないからといって痛みがないわけじゃない。
気持ちがないわけでもない。心がないわけでもない。
なのに、今回の表皮剥離で、自分がラクしたいから見て見ぬふりをしていた私は、あの犯人と根本は変わらない…。
終わったあと先生から、月曜にまた来てください、と言われた。
縫合後に感染症を起こしていないか、経過観察のためだ。
もともと訪問リハビリのために午前中は介護休暇を取っているけれど、そのあと病院に行くとなると、午後の会社も休まないといけなくなるかもしれない。
でも、今度は「わかりました」と言うしかなかった。
日本を滅ぼす傲慢
7月下旬にNHKで『AIに聞いてみたどうすんのよ!?ニッポン』という番組をやっていて、興味深く見た。
AIからの「提言」となっていたけど、実は後先が逆で、データ分析から読み解ける一見関係なさそうな事象の関連性の指摘、という「結果論」だったと思う。
(どうやら、2017年9月2日(土)午前0時55分(1日深夜)に再放送があるみたいなので、興味ある方はぜひ。)
www6.nhk.or.jp
その中でも「40代ひとり暮らしが日本を滅ぼす」という提言がネット上で賛否両論を巻き起こしていたみたいだけど、40代ひとり暮らしの当事者としては、
「そりゃあ私みたいな人間が増え続ければ日本も滅ぶだろう」
と納得してしまった。
それは、子供のときに、
「結婚なんかしたくないし子どももほしくない」
と思ったときから感じていたことだ。
家事も子育ても介護も全部女性が押し付けられて、それでも「女のくせに黙ってろ!」と言われる。
もし本当に40代ひとり暮らしが日本を滅ぼすならば、
「結婚して母になることは、幸せなことではない」
と小さな女の子に思わせた上の世代が悪い。
願わくば、これからの若い人たちには、家庭を持ったり子供を持ったりすることに夢が持てる日本になってほしい。
40代ひとり暮らし当事者としては、
「日本は滅ばば滅べ!」
としか思わないけれども、結婚もせず子供も産まずにいたことに少し後ろめたさを感じてしまうのは、母がずっと「孫がほしい」と呪文のように唱えていたせいだ。
結婚だの孫だの言われるとうっとおしくて、
「そんなに孫がほしいなら自分で産め!」
とよく憎まれ口を叩いたものだ。
40代になると、もう誰からもそんなことを言われない。
心底せいせいしているけれど、それでもどこかで、社会的責任から逃れてラクをしてしまったような後ろめたさを感じてしまうのだ。
「家事や子育ての苦労から逃げて生きている」ように感じてしまう罪悪感。
特にそう考えてしまうのは、子供の貧困問題について聞いたり見たりしたときだ。
私みたいに働いた分を全部お小遣いにできる大人がいる一方、日々の食べ物にも困っている子供がいると思うといたたまれない。
かといって、
「貧乏な子供はいねーがー、泣いてる子供はいねーがー」
となまはげのように援助が必要な子供を探すわけにもいかない。
ボランティアに行く時間はないし、寄付を継続してできるほどはお金持ちでもないので、私ができる範囲といったら限られている。
何がしてあげられて、何が本当の助けになるのかもわからない。
だいたい、ラクがしたくて面倒が嫌で「結婚問題」から逃げた私に、他人様に何をしてあげられるというのだろう。
あるとき、「最近そんなことを考えてるんだ」、と、ミッション系の私学で教師をしているクリスチャンの友達に話すと、
「キリスト教では、ホームレスへの炊き出しとかの奉仕活動をするとき、『してあげてる』のではなく『させてもらう』と考えるんだよ」
と教えてくれた。
その話を聞いたとき、私はすぐには理解できなくて、ずっと胸の途中でつかえていた。
誰かに何かをするということ。
「してあげる」という、傲慢さについて。
わかったようでいて、わからないでいた。
ふいにそのことを思い出し、急に納得したのは、今週の終戦記念日のこと。
Twitterを見ていたら、例のごとくネトウヨの皆さんが「先の大戦」を聖戦と呼んで、NHKが戦争関連のドキュメンタリーを放送することを反日行為だと叩いていた。
そんな一連のツイートの中で、おや?と思ったのは、
「アジアの国では、西欧列強の植民地から解放してくれた日本に感謝している国も多い」
というような記述だった。
真否はわからない。
どう感じたかは、その国の人の声を聞かなければわからないし、人によっても違うだろう。
日本軍の侵攻を感謝した人もいただろう。なんとなく迷惑に思った人もいただろう。激しく憎悪した人もいただろう。
受け手がどうであれ、軍隊を送り込んでそこを戦場にした日本が、
「助けてやった。感謝してもらっている」
なんて、絶対に思ってはいけない、と私は思う。
百歩譲ってアジア解放のための戦争だったとしても(それは政治的タテマエで本当は違うと私は思うけど)、「西欧列強から助けてやった」と考えた瞬間から、その傲慢さは恥になる。
「助けてやった」を、「してやる」ではなくて「させてもらう」に言い換えた場合、「助けさせてもらう」という奇妙な日本語になって、言葉として成り立たない。
となると、「助けてやった」は、受け手のことを考えない「押しつけ」でしかない。
小さな単位で置き換えると、「手伝いに来てやった」という姑を、「迷惑な侵入者がやってきた」と感じる嫁みたいなものか。
考えれば考えるほどに、「他人に何かをしてあげる」ということの傲慢さがお腹にストンと落ちてきた。
だから、他人に何かをするときは、「してあげる」のではなく、「させてもらう」という謙虚な気持ちじゃないといけないのだ。
もしいつか、私が子供の貧困とかの社会問題とかに対して何かするときがあったら、それは単に、罪滅ぼしをさせてもらっているだけだ。
だって、私は日本を滅ぼす害獣だもの。
お菓子やカップ麺ばっか食べてないでごはん食べなさい!
うちの父がリハビリに通うようになって1年が過ぎたが、それなりに楽しげに行っているようでうれしい。
「俺は2回脳梗塞をやって、どうも左足があかんのや」
と父が言えば、ある80代後半のお爺さんは、
「まだまだやな。俺なんか5回やで。」
と言い返してきたそうだ。
なんの自慢か。
でも、父からしてみれば、病気を乗り越えながらも元気に通っている先輩方に勇気づけられるのだろう。
「あと3回いける」
って、やめてくれ!!
父からよく話を聞くのは、90代のおばあさんのことだ。
いつも父に話しかけてきて、
「しっかりごはん食べとうか。頬がこけてしもとうやんか」
と心配してくれるのだと言う。
マッサージチェアの順番を待っていたら、そのおばあさんが譲ってくれて、
「男の子は遠慮しとったらあかん」
と言われたそうだ。
78のジジイに男の子って!
90代からすれば息子くらいに思うんだろうか。
ありがたいのは、そのおばあさんのアドバイスを父が真摯に聞くことだ。
カップ麺が好きな父に、
「ラーメン食べるのもええけど、塩分取りすぎになるから、お汁は全部飲まんときよ」
と注意してくれる。
20年以上前から私が常に言っていることだけど、私とおばあさんとでは言葉の重みが違うようで、
「美味しいけど最近は残すようにしとんや」
と父が言うようになった。
そのように、おばあさんが気にかけてくれるほどに、父の食事はめちゃくちゃで、身体はガリガリである。
父の食生活は、朝はコーヒーとお菓子、昼はカップ麺、夜は宅配弁当というパターンで、お腹が空かなければ朝と昼は抜くことも多いようだ。
ケアマネさんが低栄養を心配してくれるけれど、本人が改善する気がないのでどうしようもない。
せめて、食欲がないときの食事がわりにと、冷蔵庫に高エネルギードリンクのコーヒー味をストックしている。
こういうものがない時代だったら、父はとっくに栄養失調になっているかもしれない。
先週、父はかかりつけの脳外科で血液検査をした。
問題はなかったらしいが、
「ちょっと糖尿が出ていますね」
と言われたらしい。
初めてのことだ。
医者からは、
「炭水化物は糖に変わりますから、白いごはんは控えてください」
と言われたという。
その脳外科は、うちの母の心筋梗塞を3度にわたって「気のせいだ」と診断し、去年父が膝の皿を割ったときもレントゲンを撮りもせず湿布を貼るだけだったヤブ医者だ。
まだ通っている父も愚かだけど、低栄養気味の老人に「ごはんを控えろ」とは呆れてしまった。
父が糖尿になりかけているのは、コーヒーとお菓子のせいだろう。
1日に何杯もコーヒーを飲み、角砂糖を2つ入れる。
あっという間に角砂糖のストックはなくなる。
ごはんを食べるのが面倒臭いからと、お菓子ばかり食べる。
初めはカロリーメイトやバランスアップのような栄養食を買っていたのだけど、カップケーキやマドレーヌのほうがよく食べる。
入れ歯がなくても食べやすいからだそうだ。
何も食べないよりましかと、私もついお菓子を買い置きして父に与えていた。
買い置きのお菓子の減りの早さから、実はちょっと、父が糖尿になりはしないか私も気にしていたのだ。
先週、伯父の法事があり、お供えのお菓子のお下がりを紙袋いっぱいもらっていたのだが、1週間で全部消えていた。
これじゃ糖尿も出るわ。
だから、糖分の取りすぎは白ごはんのせいではないのである。
むしろ、父は白ごはんをあまり食べないほうだ。
医者に言われて控えられたら、さらに栄養不良が進んでしまう。
患者の生活を知ろうとも考えようともせず、数値だけ見て一般論しか言わない医者に腹が立つ。
食生活や栄養については、医者よりネットで調べたほうが確かなんじゃないか。
六甲アイランドで手塚治虫展
先日彼氏と空港コードの話になった。
関西空港だとKIX、大阪(伊丹)空港だとITM、羽田はHND、成田はNRT。
まるでAKBやNMBみたいだ。
「神戸空港は何か知っとう?」
と尋ねられ、
「KOB?」
と答えると、
「と思うやろ? 正解はUKBやで」
と言う。
KOBという空港がすでにあるらしく、その名前を取れなかったらしい。
じゃあ、Uは何なのかというと、わからない。
知恵袋に同じような質問があって、UniverseのUじゃないかという説が有力らしい。
らしい、っていうのも変な話。
「UKBはようわからんけど、竜馬空港とか鬼太郎空港とか、変な名前がつかんかっただけよかったわ」
と、彼氏。
「単に、神戸と言えばこの人!って偉人がおらんだけちゃう?」
と私の主張。
と彼氏は言うけれど、空港の名前になるほどではない。
と私も名前を挙げてみたけれど、彼氏は三人とも知らないという。
えーっ、横溝正史も!?!
「ほんなら、古田新太空港でええんちゃうか」
というところで、二人の合意となった。
百歩譲って、神戸出身ではなく兵庫県出身ともなれば、もっとたくさん有名人がいるけれども、そうなるとたくさんすぎる。
その中でもあえて絞るなら、兵庫県出身の最も偉大な有名人は手塚治虫だと思う。
その神様の展覧会を「神戸ゆかりの美術館」へ見に行った。
この美術館の名前も、「ゆかり」っていう逃げがこずるいね。
展覧会のハイライトは、神戸の北野が舞台になっている『アドルフに告ぐ』。
ちょうど8月、戦争について振り返る時期でもあるから、とても感慨深く見ることができた。
アドルフに告ぐ 漫画文庫 全5巻完結セット (ビジュアル版) (文春文庫) [マーケットプレイス コミックセット]
- 作者: 手塚治虫
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- メディア: コミック
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蛇足な説明だけれど、『アドルフに告ぐ』は神戸に住むドイツ領事の息子のアドルフと、パン屋の息子のアドルフ、そしてアドルフ・ヒトラーの三人のアドルフにまつわる話。
展示では、漫画で描かれた外国人住宅のモデルとなった異人館の写真を比較できるように展示されていた。
私は中学生のときにこの漫画を読んだきり。
その当時は戦争のことも、ナチスのことも、神戸のこともよく知らなかった。
今なら当時と全然違うふうに読めるだろうから、ぜひ再読しなきゃと思う。
神戸に住むようになって、漫画に登場する在日外国人のことをよりリアルに感じられるようになった。
例えば、八百屋のおじさんが、ドイツ人のクォーターだというので驚いたことがあった。
冗談かと思ったら、本当に祖父が洋服のボタン技術を指導にやって来たドイツ人で、
「おじいさんの名前はウィルヘルムやで」
と、コテコテの神戸弁で言うのだから呆れてしまった。
会場だった「神戸ゆかりの美術館」は、六甲アイランドにある。
この立地もまた、アドルフのことをちょっと想起させられた。
というのも、六甲アイランドは北野や旧居留地のように、外国人が多く住む地域だからだ。
P&Gなどの外資系企業があるので、その外国人社員たちが住んでいる。
日本だけれど、ここもちょっとだけ外国。
コミュニティを形成しなければ、外国人にとって日本の社会は住みづらいという裏返し。
昔の六甲アイランドは、映画館もあったし、ショッピングモールもにぎわっていたけれど、映画館も閉館し、お店もどんどん閉鎖していっている。
行ったのは8月11日。祝日でお盆休みの始まりだというのに、ショッピングモールの中は驚くほど閑散としていた。
寂しいけれど、ごった返す三ノ宮よりこっちのほうが正解。
とはいえ、寂しすぎる。
だだっ広い建物内の広場の中には、誰もいなかった。
ラピュタかここは?!? ロボット兵が花摘んで出てくるんじゃね??
あ、アトムとかロビタかも。
祝日の昼間にこれとはひどすぎる。
まるでSF、ロストワールド。