3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

『ゴッホ〜最期の手紙〜』はみんなビンボが悪いんや。

来月、彼氏がオランダへ出張に行くという。
前回のヨーロッパ出張は帯状疱疹にかかっていたので、オフ日もホテルで寝ていたらしい。
だから次こそはオフに観光しようと楽しみにしているようだ。

数年前にオランダへ出張したとき、彼は半日の空き時間を有効活用してデン・ハーグにあるマウリッツハイス美術館フェルメールの『真珠の耳飾りの少女』を見に行った。

www.mauritshuis.nl

出張の最終日で、午後には出国予定だったから朝一番に出かけた。
開館を待って入ったので数人の来館者しかおらず、少女の真ん前に向かい合わせ。
至近距離で彼女を独り占めできたそうだ。

その後、神戸市立博物館に彼女が来日したとき私も彼と一緒に見に行ったけれど、当然のことながらものすごい人で、行列したうえに遠巻きに見るような状態だった。
並んでいるとき、
デン・ハーグでは、これくらいの近さで、彼女と二人きりやったからね」
と自慢げに語る彼氏。
「またその話! 何回聞いたか…」
とうんざりする私。
まるで、超有名アイドルがライブ会場では大勢の観客がいて遠い存在だけど、かつて彼女の地元で二人で会ったことがあるもんね、みたいなかんじの自慢話。

そんな良い思いをしたせいか、彼は来月のオランダ出張でも美術館めぐりを計画しているらしい。
前回はフェルメールを見たから次はゴッホで、クレラー・ミュラー美術館へ行って『夜のカフェテラス』を見て、時間があればゴッホ美術館へも行きたい、なんて言っている。

「でも、その割にはゴッホをあまり知らないでしょ?」
「そのとおり」

というわけで、11月3日は祝日を利用して、映画『ゴッホ~最期の手紙』を見に行くことになった。

www.gogh-movie.jp

ずいぶん前にSNSでこの映画のプロジェクトを知ったときに、一部分だけ出来上がったトレイラーを見て、油絵が動くという素晴らしさに感動した。
公開されたらぜひ見ようと思っていたので、ちょうどいいタイミングだった。

たまたま公開初日の一回目だったせいで、映画館は満席だった。
30分前だったのに、もう最前列の数席しか残っていない。
席に着くと、私の隣に座ったおじいさんが、
「こんな混んでる映画館、知らんわ、なぁ?」
と話しかけてきた。
ほんまほんま、隣の人に話しかけられるくらい混んでるなんて、なぁ?

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ゴッホ~最期の手紙~』はゴッホの死後、弟テオへ宛てたゴッホの手紙を親族に渡そうとする郵便局長の息子が主人公だ。
ゴッホの最期の足取りをたどっていくうち、その死の謎を探偵のように紐解いていくことになる。
自殺だと言われているゴッホの死は、実は事故による他殺ではないのか…。

よくよく考えたら、二日前に見たヨーロッパ企画の『出てこようとしてるトロンプルイユ』も不遇な画家が死んだあとの話だった。
ただ、トロンプルイユの画家は不遇なままだけれど、ゴッホは知ってのとおり後世これだけの人気画家になった。

だからこそ、
「もうちょっと生きていたら、ゴッホも報われたんじゃないだろうか…」
と思ってしまう。

もうちょっとお金に余裕があればもうちょっと長生きして、もうちょっと長生きしていれば認められる時代が来たかもしれない。
メディチ家級の大金持ちじゃなくても、一人でいいからゴッホを気に入って支援してくれるパトロンがいたら、ゴッホは死ななくて済んだかもしれない。

ふと、
「みんなビンボが悪いんや!」
という高橋留美子の『ザ・超女』という漫画の名ゼリフを思い出してしまった。

芸術の道は貧乏との闘いである。
自分一人の貧乏だったらいいけれど、弟テオのような愛する家族を犠牲にする貧乏だったりしたら、周囲に苦労をかけるだけの才能を自分は持っているのだろうか、と苦悩は深くなる。

全部が全部貧乏のせいかというと、そうとは言えない。
ゴッホが病んでいた心の病と、精神病患者に対する人々の偏見という社会的な問題もある。
でもそれだとて、もしかしたら金銭的な余裕さえあれば、何かが変わった可能性はないだろうか、と思わなくもない。
差別的な人たちは「弱いものいじめ」が好きだから、金持ちの病人より貧乏な病人をいじめたがるものだから。

今や100億以上で落札されるゴッホの絵の、何万分の1でもいいからタイムマシンで送金してあげられたらいいのに…。

matome.naver.jp

ちなみに、油絵で描かれた映画について、最初は本当にびっくりしたし、ところどころ登場する名画と同じシーンに「おおっ!」とうれしくなったけれど、正直言ってストーリーを追うのには不向きだと感じた。
Youtubeで見る予告編程度なら集中力が続く短さだからいいけれど、長編となると気が散ってしまう。
話がまるで頭に入らなかった。

映画は映画、絵画は絵画。

死の謎を追うミステリー仕立てなんだけれど、一人一人に話を聞いていくかんじが、なぜかファミコンの『ポートピア連続殺人事件』を思い出させた。
油絵の名画を前にドット絵を思い出すなんて失礼千万。
ていうのは、いくら動いても平面に感じるからかな。
ストーリーを味わうには普通の映像のほうがいいかも、と身も蓋もない感想。

ヨーロッパ企画『出てこようとしてるトロンプルイユ』

11月1日はABCホールヨーロッパ企画『出てこようとしてるトロンプルイユ』を見に行った。 

www.europe-kikaku.com

 

トロンプルイユというのはだまし絵のことだそうだ。

立体的に描いてあって、まるで飛び出してくるように見えるというあれだ。

今だとトリックアートと呼ぶほうが一般的なのかもしれない。

 

そういえば何年か前に兵庫県立美術館で『だまし絵』の特別展をやっていて、見に行ったことがあったっけ。(調べたら2009年だった。もうそんなに経ったのか~。)

兵庫県立美術館-「芸術の館」-【だまし絵 アルチンボルドからマグリット、ダリ、エッシャーへ】

 

私が行ったときも『だまし絵』展にはたくさんの人が見に来ていたけれど、企画側が意外に思うほどのヒットになったらしいと聞いた。

人はだまされることが意外と好きだし、「ビックリ」を求めるのがアートの本分のひとつとも考えられる。

 

そういう点で、トロンプルイユと演劇というのはどこか似ているかもしれない。

 

物語は、死んだ画家の部屋を片付けようと集まった人々たちに始まる。

トロンプルイユを描いていた画家で、彼は世に出ることなく、不遇のまま人生を終えた。

 

舞台はパリのアパルトマン。

ということで、登場人物は主にフランス人。

えーっ!? 本田力くんもフランス人!?

 

とは思ったけれど、実際に見てみたら全然違和感がなく、むしろあのマッシュルームカットが赤毛になっているのはすごく似合っていた。

ハウス名作劇場で主人公の友達の友達なんかにああいう子供っていたよな、と思わせるパリジャンぶりだった。

 

そして「出てこようとしてる」というタイトルどおり、絵からいろいろ出てくる。

だんだん現実と幻想の境界があいまいになってくる。

コメディではあるけれど、ホラーでもある。

 

子供の頃にテレビで見た映画に、絵画の中の墓穴から死人が蘇って、だんだん近づいてくるというB級ホラーがあった。(で、検索したらおそらく下記のブログに書かれている映画じゃないかなぁ。)

ameblo.jp

 

映画では段階的に絵をすり替えていたという種明かしがあり、「なーんだ」的な話だったけれど、絵の中の人物が動き、やがて出てくるっつーのはやっぱり怖いよ。

 

劇中には、合わせ鏡の世界が描かれた絵画があって、その一番外側に実在の人物がいるようなシーンが多々用いられた。

それも驚きと笑いのシーンではあるけれど、繰り返されるうち、登場人物たちも観客も笑えなくなってくる。

 

合わせ鏡の世界というのもやっぱりちょっと怖い。

合わせ鏡の奥から悪魔が出てくる、という説もあるし、もしもあっちの世界に引きずり込まれたなら二度と戻れない気がする。

子供の頃は、あの向こうには何があるのだろう、あれはパラレルワールドなんだろうかと思い、合わせ鏡をするたびゾッとなったものだ。

 

話の後半はそういう「二度と戻れない異次元世界」の話に突入するのだけれど、前半は芸術論の会話劇で楽しかった。

 

死んだ画家の絵を平気で捨てる大家と、捨てられない自称芸術家たち。

同じ芸術でもオペラは大好きだけど絵画はそうでもないパン屋。

 

このパン屋のピエールが、すごくいい。

「絵は捨てるけどパンは捨てない。食べられるからね」          

「下手な絵は捨てるけど上手い絵は捨てない」

という至極当然なことを素直に言う。

朗らかでまっすぐで、地に足がついている。

この人物がいるおかげで、物語が狭くならずにすんだ気がする。

 

フォービズムだ、印象派だ、レディメイドだと、カフェでいくらアート議論をしたとしても、地に足がついた普通の人々にはかなわない。

崇高な芸術と美味しいパンとだと、パンのほうに軍配が上がってしまう。

 

それでも魂を削って画家が向き合う芸術とは何なのか。

 

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終演後、友人の本多くんにあいさつに行って、

「今まで見たヨーロッパの公演の中で、私はこれが一番好き!」

と言うと、

「え~、そうれすかぁ」

と、本多くんはなんとなく自信なさげな態度だった。

この日は大阪公演の初日だったけれど、東京、京都、高知と公演してきた中で、反応に賛否両論があったらしい。

 

「あのシーンがしつこかったせいかなぁ?」

中盤、何度も何度も同じシーンが繰り返される部分があった。

合わせ鏡の世界のメタファーにも感じられて私は面白かったけれど、正直言って、涼宮ハルヒエンドレスエイトよりしつこい。

 

でも、本当にそのせい?

もしかしたら、西洋絵画史についていけなかった人が置いてけぼりに感じたのかも。

歪んだ時空の中でダリの歪んだ時計を持ってくるあたりなど、私はとてもうまいと感じたけれど、知らない人にはピンとこなかったのかもしれない。

 

私もそれほど美術のことは知らないけれど、BS日テレ『ぶらぶら美術・博物館』を見るようになってから、ずいぶんわかるようになってきた。

それもこれも山田五郎さんの解説のおかげ。

www.bs4.jp

 

美術の鑑賞には歴史の知識は欠かせない。

評価というのは歴史の上に成り立っているからだ。

 

そうすると、絶対的な美なんてありえない。

 

劇中の登場人物で、アフリカのセネガルからやってきた画家志望の男の子がいるのだけれど、村では一番絵が上手いという。

彼に対して自称画家たちは、パリで最新の芸術の流れを説く。

死んだ画家の絵も技術的にはすごく上手くて、

「時代が時代なら売れただろうけど」

と流行りの絵ではないからダメだったように言われる。

 

売れるか売れないかは運次第。

素晴らしい芸術家なのに、運がなくて埋もれてしまった人は星の数ほどいるのだろう。

 

そして私は、11月3日に映画『ゴッホ~最期の手紙~』を見に行った。≪つづく≫

漢方薬と動物の尊厳

漢方薬局について値段が高いだの糸練功が怪しいだのとディスりつつも、くだんの漢方薬局を再訪した。
漢方茶はそれなりに効いたし、再び胃腸の調子が非常に悪くなってきたからだ。

2回目だからか、問診も気功診断も簡単ですぐに終った。
今回の私の主訴は、
「食欲もあってすごく食べたいのに、膨満感がひどくて食べられない」
ということに尽きた。

何が辛かったって、トアウエストに新しくできた居酒屋さんに行って、カレー肉つけ蕎麦なるものを美味しく食べていたにもかかわらず、半分も食べられなかったことだった。

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食いしん坊な私が、食べられなくて食事を残すなんてありえない!
しかも、「蕎麦なら大丈夫だろう」「カレーなら食べられるはず」と選んだのに!

食べたら食べた分、いつまでもお腹に残っている。
身体の中が大渋滞を起こしているかんじ。
胃腸薬も便秘薬も効かない。

そう訴えた私に対して薬剤師さんは、
「これは、胆汁ですね。胃腸じゃないです」
と言う。

http://www.tanseki-guide.com/tannou/tanjyu.html

タンジュー?!

聞き慣れない言葉が出てきた。

「前とは状況が変化していますね。今は胆汁の循環が悪くなっていることが原因でしょう。胆汁の流れが悪いので、食べ物が流れて来ているのに腸が気がついてないような状態です」

はぁ〜。

なんだかよくわからないけど、なんとなく納得。

それまで自分で「膨満感」で検索し、対処法をいろいろ読んだけど、野菜やヨーグルトを食べろ、水分を摂れ、適度な運動をしろ、腸のマッサージをしろ、など、「そんなこたぁわかっとるわい!」みたいな当たり障りない常識的なことばかりしか書かれておらず、なんの参考にもならなかった。

「今までに経験したことのない消化不良」
を、
「今まで聞いたことのない胆汁の循環が原因」
と言われたことで、妙に説得力を感じてしまった。

そして出た薬が、前回と同じ漢方茶と「熊参丸(ゆうじんがん)」という丸薬だった。
熊参丸は小さい粒2つを夕食前に飲むだけなので、全く負担にならない。

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でもって、飲んで数日、消化不良は改善されて、普通に食事が食べられるようになってきた。

よかった、よかった、と言いたいところだけど、ふと冷静に熊参丸のパッケージを見て、「熊」の字がひっかかった。
これって、も、もしかして…。

動物と人間と、すべてに誠実

これまで出会った人の中で私が最も尊敬するのが、元・王子動物園園長の権藤眞禎先生だ。

仕事上で月に1回お話する頻度だったけれど、世界中のいろんな話を教えてくださって、私にとってはとても貴重な時間だった。
もちろん、話題の多くは動物にまつわる話である。

例えば、こんな話。

山の中に風力発電の風車を作ると鷹や鷲のような猛禽類にとってすごく危険だということ。
ボノボという類人猿がチンパンジーやヒトよりも平和な社会システムを築いていること。
犬に対する動物愛護の精神がイギリスなどのヨーロッパの国々と日本ではまるで違っていて、日本はまだまだということ(ペットショップなんてどれほど動物虐待なことか)。

挙げればきりがないのでこのへんで。

目からウロコが落ちる思いだったのは、動物を守るためには人間の社会が平和で豊かでないといけないということだった。

密猟の背景には、もちろん悪徳業者の存在もあるけれど、貧困や格差の問題もある。
ベンガルトラ1頭を売ったお金で村人が1ヶ月生活できるとなると、どんなに禁止したって、現金収入の乏しい地域では密猟をやめない。
そんなこともあってか、権藤先生は動物保護だけでなく、ミャンマーに学校を建てたりだとか、NGOを通じた新興国の支援活動もされていた。

私利私欲じゃなく活動している人に私は初めて出会った。
「こんな立派な人もいるのか…」
と驚いたのだった。


そんな権藤先生から聴いた話の中で、一番むごい話がこれだ。

漢方薬の材料にするために、中国人が動物を乱獲することは多々ある。
けれど熊については、殺すのではなく捕まえて、檻の中でずっと飼育し、身体に管を挿して生きたまま胆汁を採取し続けるのだそうだ。
捕まった熊は、生かさず殺さず、何年も拷問のような痛みに苦しみ続けるのだという。


想像するだけでもゾッとする。
私が生まれ変わって熊になったらどうしよう。

その話を聞いたのはもう10数年前だけど、その恐怖は忘れられない。

改めて、熊参丸を確認してみる。

成分の一番最初に熊胆(ユウタン)とある。
製薬会社のサイトを見るとやはりユウタンとは、

クマ科ヒグマ, ツキノワグマまたは近縁動物の胆汁を乾燥したもの

と書いてあった。

http://www.kegg.jp/dbget-bin/www_bget?dr_ja:D06797


今度漢方薬局に行ったら、 熊参丸は飲みたくないと言おう。

絶対に拒否する、というわけじゃない。
熊に苦痛がないように取られたものだったり、死んだ熊から採取されたものならいいと思う。
けれど、私が今飲んでいる薬がどういうふうに採取された胆汁かわからないのがつらい。

需要があれば製薬会社はたくさん製造するだろう。
これ以上熊の犠牲を増やしたくない。

いくつかのサイトを見ると、ユウタンの有効成分、ウルソデオキシコール酸は化学的に合成できるという。
だったら合成でいいし。
なんでもかんでも自然由来が良いというわけじゃない、というのを知ったのも勉強になった。

X.Y.Z.→Aのライブでヘドバンについて考えた。

10月24日火曜日は、オーケンファンの友達と二人で梅田Zeelaへ、X.Y.Z.→Aのライブを見に行った。

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X.Y.Z.→Aというのはどういうバンドかというと、メンバーはこんなかんじ。(下記はウィキペディアからのコピペ。)

二井原実(ボーカル) LOUDNESS、SLY
橘高文彦(ギター) ex.AROUGE、筋肉少女帯
和佐田達彦(ベース) TOPS、爆風スランプ
ファンキー末吉(ドラム) 爆風スランプ


つまり私たちは、筋肉少女帯のギターである橘高さんを見に行ったというわけ。

筋肉少女帯もものすごく演奏がうまいバンドだけれど、X.Y.Z.→Aもまたすさまじい超絶技巧のバンドで驚いた。

特に橘高さんのギターが、筋少のときよりソロを魅せる仕様になっている。
筋少では橘高さんは「城主」と呼ばれていて、ギタープレイで「城が建つ」と例えられるんだけれど、X.Y.Z.→Aではそれ以上にでっかいお城がド~ン!ド~ン!と築かれていた。
城の規模が違う!

橘高さんだけではなくベースソロもドラムソロも凄まじくて、なるほど各バンドから猛者が集まって来た化け物バンドだ、と今更ながらに思わされる。
ドラムのファンキーさんなんか、顔を真っ赤にしてドラムを叩く様は鬼気迫っていた。
(それをなぜか「ケンタッキーフライドおじさんみたい」と例える二井原さん。カーネルサンダースではなく。)

橘高さんは客席にピックを撒いてくれるのが恒例なんだけど、豆まきのごとき量でも、筋少のライブだと前方にいない限りゲットできない。
この日はハコも小さかったので、私も友達もピックをもらえて大満足。

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気をつけよう、加齢とヘビーメタル

橘高さん以外のメンバーは2020年には赤いチャンチャンコなんだそうだ。

ファンキーさんといえば、私のような中国語学習者にとっては有名な人だ。
国語学習の本も出されているし、北京在住でアジア全域で活躍されている。
おそらく今も日本と中国を行ったり来たりされているのだろう。
移動距離が長いのって、一番体力が奪われるパターン。
それでいてこのパワフルなドラム。
このケンタッキーフライドおじさんはどんだけアスリートなの!?

人間って加齢とともに声が低くなるはずなのに、二井原さんの声も相変わらずのハイトーン。
声量だってハンパない。

ミュージシャンは体力勝負なところがありそうだから、ある一定の年齢をピークに能力が落ちそうな気がしていたけれど、どうやら逆みたいだ。
年齢を重ねるごとにうまくなるものなの!?と驚いてしまう。

老いて益々盛ん…って、三国志黄忠かよ!


だがしかし。

一方、ステージと違って客席は…。


私自身は胃腸の不調がまだ続いていて、お腹を押さえながら目を瞑ってヘッドバンキングをしているようなテイタラク。
頭を振るから余計に気分が悪くなるのか、オールスタンディングで貧血を起こしているのか、食べてないから血糖値が下がっているのか…。
理由はわからないけれど、気分が悪いのを耐えながらライブを楽しんでいた。


筋肉少女帯もたいがい男性客の多いバンドだけれど、X.Y.Z.→Aはそれ以上。
いやそれも、年齢が筋少よりも10歳は年上。
偶然かもしれなけど、私の周りにいたのが年配の男性ばかりで、手を挙げるごと、頭を振るごとに加齢臭が漂ってくる気がした。


まだ30代半ばの友達が、
ヘビーメタルなのに年齢層高めって珍しいよね」
と言うので、
ヘビーメタルだからだよ!若者はヘビメタなんて聴かないんだよ!」
と私は反論。
10代20代のお客さんがやってくる筋少のほうが特異なんだと私は思う。


それで思い出したのが、数年前に何かの雑誌で読んだ「モーターヘッドのライブで脳出血」という記事のことだ。

kenko100.jp

あり得るあり得る!
絶対日本でもあるって、これ!!


私はもともと側弯症で骨が歪んでいるから、ヘッドバンキングをするとすぐに頚椎がずれてしまう。
自覚しているから、ほどほどに、自制しながらやってる。
(そもそも、本気でヘドバンしてたらステージが見られなくなるから好きじゃないってのもあるし。)

けれど、普段ライブ慣れしていないおじさんが、「久々に」「煽られて」「調子に乗って」やっちゃうと、かなり危険なんじゃないか。


うちの父は2回脳梗塞をやって週3回リハビリに通っているけれど、そこのリハビリで友達になった人のほとんどが脳梗塞脳出血だと言っていた。
太く短くロックに生きる!っていうのは理想だけど、現実は助かっちゃってリハビリ通いながら老後を長らえてしまうんだよ。

ロックと健康を考える、だなんて。
高齢社会ともなると、とんでもない時代になってしまった。

ファンはいつだって気遣い。

10月21日は神戸Bo Tambourine Cafeでオーケンの弾き語りライブ。
この日のライブの概要はこちらのブログで書いたので省略。


私はなまじ3番という整理番号をゲットしてしまったせいで、最前列に座れる緊張感から胃腸を壊すというくらい、楽しみにしていたこの日。

それが、よりにもよって台風!?!?(泣)
なんて、なんて悪運!!!
私、なんか悪いことしたんですかっ?!

そんなふうに嘆いていたら友達がメールで、
「直撃の日じゃなくてよかったじゃない。翌日だったら悲惨だったよ」
と言ってくれて、それもそうかと納得した。

翌日のニュースで見たけれど、日曜日に神戸で開催されるはずだった浜崎あゆみのコンサートは中止になったとか。
ほんと、1日ずれてたら中止だったかも。
逆に、運は私を助けてくれたのかもしれないね。

最前列のセキニンカンとヨロコビ

緊張する原因のひとつは最前列だということ。

これまでの経験上、最前列には責任があると勝手に思っている。
最前列が手を上げたら後ろも手を上げるし、最前列が盛り上がっていたら会場全体が盛り上がる。

ライブ告知などをしないといけないのに、オーケンは会場や日付がうろ覚えなことが多いので、「いつだったっけ? 大阪は会場どこですか?」と尋ねられたらファンとして即答しないといけない。
(実は今回も筋少の心斎橋のライブを「11月11日も来てくださいね」と名古屋と間違えて言ってたけど指摘なんてできなかったな。正しくは11月25日です。)

責任重大である。
頼まれてもないけど。


しかも、最近の弾き語りライブでは、お手紙やプレゼントの回収タイムがある。

筋少や特撮のようなロックのライブでは絶対にそんなことありえないけれど、ファンとの距離も近く、のほほんとした雰囲気の弾き語りライブでは、そういうのもアリ。

とはいえ、後ろの方の席だと遠すぎて無理なこともあるけど、今回は最前列だから絶対手渡せる!!

そんなこんなを考えていたら、なんだか胃腸が調子悪くなっていたのだった。

プレゼントって気を遣うよね

お手紙はしょっちゅう書くけれど、プレゼントはほとんどしたことがない。
要らないものをもらってもゴミになるだけだろうし、ツアー中ならなおさら荷物になる。

けれど、せっかく手渡しできるなら何かプレゼントしたいな、と思ってしまった。
せっかく神戸に来ていただいたのだし、という気持ちもある。


迷うのは、昔、オーケンはファンからもらった食べ物は口にしない、という噂を聞いたことだ。

甘いものやフルーツが好きじゃない、という好みの問題もあるけれど、昔はサイコで怖いファンもたくさんいたから神経質にならざるをえなかったんだと思う。

今はどうかわからないけど、きっと繊細さは同じだから、口に入れるものは良くないかもしれない…。

なんて思いながらも、わたしが選んだのは、トアウエストにある蜂蜜専門店ドラートさんのプロポリススプレーだった。

http://www.dorato.net/

プロポリスといえば、免疫を高めたり抗菌作用があったり、と言われるけれど、全般的に「のどに良い」というイメージがあると思う。

だから、
「あなたののどを大切に思っています」
という気持ちだけは伝わるだろう。

もちろん、できることなら使ってもらってのどのケアをしてほしい。

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去年、オーケン声帯ポリープ除去手術をしたときは泣くほど心配した。

決しておおげさな表現じゃなく、自分ののどよりオーケンののどの方が大切だ、と心の底から思う。

たとえ私の声が出なくなっても、たいして困らない。
気のきいたことをしゃべれるわけでもなく、歌も音痴だし、昔からよく「黙ってればかわいいのに口を開けば台無しだ」と言われたものだ。

人魚姫みたいに声を失ったって、たいしたことはない。

だからできることなら、もし神様がオーケンの声を奪おうとするときがあって許されるなら、私が代わりたい。

ていうか、それ以前にいつまでもオーケンののどが健やかでありますように、と願う。

ちゃんと手渡せたよ

と、いろいろ考えたプレゼントとお手紙は、最終的にちゃんと手渡しができた。

びっくりしたのは、今回お手紙を手渡したファンの多いこと多いこと。
お手紙タイムがあることをみんな見越してたから、ちゃんと準備してたみたい。

出口付近の通路で並んでる手渡し列を見ながら、この手紙の数だけ愛があるんだなぁとしみじみした。

たくさんの愛を受けとめるほうも大変だろうなぁ。
と、ここでも気遣い。

エンケンと劇団子供鉅人

ふだん友達から誘われることがない私に、珍しく連絡が入った。
「10月19日にこれを観に行きませんか?」

劇団子供鉅人はちょっと気になっている劇団。
何もなければ行くところなんだけれど、カレンダーを見ると、予定が入っている。

「あーすみません、その日は遠藤賢司のライブに行くんです」

梅田クラブクアトロにて、久しぶりのエンケンのライブ。
エンケンは去年、ガンで闘病中であることを公表した。

それ以降、大阪では初めてのライブになる。
エンケンの健在ぶりを楽しみにしていた。

ところが、その直後に入ったeプラスからのメール。
なんと、エンケンのライブが中止だと言う。

そりゃあ残念だけど、ご本人が1番くやしいだろうから、何も言えない。

今まで何度 倒れただろうか
でも俺はこうして 立ち上がる

がんばれよなんて言うんじゃないよ
俺はいつでも最高なのさ

という、『不滅の男』の歌詞が頭に浮かぶ。

エンケンは不滅。
だからきっとまた復活してくれる。

そして子供鉅人へ

そんな流れで、
「やっぱり行きます」
と、梅田HEPホールへ劇団子供鉅人『チョップ、ギロチン、垂直落下』を見に行くことにした。

見所のひとつは、内田理央ちゃん。
小劇場演劇にこういうグラビアモデルが出演するのってすごく珍しい。

美しいことを商売にしている「美人」を見るのは、それだけお金を払う価値があるなぁ、と感じる今日この頃。
「そこそこキレイな素人さん」と「それで食べているプロフェッショナル」とでは格が違うものだ。
最近は特に、有名女優さんやモデルさんに反応してしまうのは、ないものねだりだからか。

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だがしかし!
その内田理央ちゃんが、女子プロレスラー役ですって?!?!

そう、このお芝居は女子プロレス団体が舞台。
かつてクラッシュギャルズvs極悪同盟が大好きだった私には、なかなか血が騒ぐ設定。

でも、内田理央ちゃんにプロレスなんかできるんだろうか。
理央ちゃんだけじゃなく、ほかの役者さんだって一朝一夕にプロレスなんてできないでしょ。
ヘナチョコな形式だけ見せられたら、ちょっと白けるよなぁ…。


舞台上に設置された四角いマットを見ながら心配していたけれど、それは開演前まで。

始まると、ちゃんとプロレスに見える。
理央ちゃんはあまりプロレスはしないけど、ほかの女優さんたちはそこそこやってる。

特に、メガトン鈴木という、女子レスラー役の女優(億なつき)さんが、しゃべり方からファイティングスタイルから体つきまで、ほとんど本物!!
主人公が憧れるベビーフェイスのスター選手という設定だけど、私まで、「メガ様ぁぁ!!」と声援を送りたくなった。

団体の看板選手であるメガトン鈴木は入団の体力テストをパスした主人公に、レスラーになっても夢や希望以上に辛いことや苦しいことが多いと諭す。

そして最後に、
「心の腕力はあるのかい?」

メガ様、カッコいい!!!

男子プロレスラー以上に、女子プロの世界は悲哀がある。
戯曲では必要以上に主人公をブス呼ばわりしていて、作家の性格の悪さを感じるほどだったけれど、実際世の中はそれくらい残酷だ。

だから、女が残酷な世界にタチムカウには、心の腕力が必要だ。
私ももっと強くなりたい。

プロレスはすごい

さながらプロレスの試合そのものが繰り広げられるにあたって、見ているほうは少し戸惑った。

なんだかつい、お芝居だということを忘れて、手を上げたり、声援を送ったりしたくなる。

最終的には観客も慣れてきて、煽られるとみんな手拍子をするようになった。
それでスッキリ。

だって、すごくプロレスだったんだもん。
盛り上がらないとつまらない。

作品紹介に「演劇をプロレスで描く」とあったけれど、まさにそのとおりだったかと思う。


この日はアフタートークがあって、大阪にあるプロレス団体「紫焔」から本物の男子プロレスラー3人がゲストに来ていた。
最後にちょっとだけ、本物のチョップとブレーンバスターを見せてくれて、大満足。

常人が持っていない肉体や、常人ができない技を見せる、ってことがエンターテイメントの根本だと、つくづく思う。

プロレスも見に行きたいなぁ。

ちなみに、紫焔の選手たちが言ってたけど、舞台上のマットはプロレスのリングに比べてめちゃくちゃ硬いのだそう。
出演者の皆さん、どうか千秋楽までケガがありませんよう。

結成20周年に思う極私的CKB

10月15日日曜日は、神戸こくさいホールにクレイジーケンバンドを見に行った。

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実はこの日、NHKカルチャー梅田教室でオーケン先生の講座があった。
いつか重なることがあるかもしれない、と恐れていたことが起こってしまって、苦渋の二者択一…。

しかし最愛のオーケン先生ではなくCKBを選んだのは、ずいぶん前からCKBのチケットを取っていた、というのもあるけれど、今年がCKB結成20周年記念だからだった。

今回リリースされた20周年のベスト盤はシンガポールが舞台になっていて、ステージのオブジェもマーライオン

周年を強く打ち出すような仕掛けは特になかったものの、1stアルバムの『Punch!Punch!Punch!』から去年の『香港的士』までまんべなく選曲されたセトリだった。

アンコール後、私が大好きな『発光!深夜族』を演奏してくれたときは、心が2000年当時にタイムスリップした。

振り返れば、私がCKBを聴き始めたのは、その『発光!深夜族』が入った2000年のアルバム『ショック療法』からだ。

川勝正幸安田謙一といったサブカル系好事家たちが夢中になっているバンドがある」
という噂をきき、今はなきヴァージンメガストアの試聴器のヘッドフォンを耳にかけたのだった。

ショック療法 [Analog]

ショック療法 [Analog]

『ショック療法』のプロデューサーは小西康陽で、アルバムジャケットのデザインは常磐響だった。
サウンドだけじゃなく、アルバムから漂ってくる雰囲気全体がインターナショナルにカッコよくて(グローバルじゃないとこがミソ!)、他とはまるで違っていた。

当時は、和洋関係なく60年代や70年代レアグルーヴがクラブシーンなんかで流行っていて、どこのCDショップでも、橋本徹(政治家じゃないほう!!)のサバービア系コンピレーションが試聴器にズラリと並んでいた。

個人的な事情だけれど

ちょうどこの頃の私は就職して2年が過ぎていた。
学生時代はキラキラした渋谷系音楽に背を向け、あえて遠藤賢司三上寛のようなアングラフォークを聴いていたくせに、就職してからは若者文化にすがりつくように、クラブ系のダンスミュージックばかり追いかけていた。

「何者かになるまでの腰かけ」のつもりで入った会社なのに、徐々にその環境にも慣れてきて、ぬるま湯にどっぷり埋もれて腐っていくような気がしていた。

「本当の私の居場所は、こんなおっさんくさい、退屈でつまらない世界じゃないはずだ」
と、頭を抱えてもがきなから、することといったら結局、「今一番キテる音楽」を聴くことだけだった。

かといって、もともとアングラオタクな私が、オシャレな音楽なんて付け焼き刃な情報の武装でしかない。
身に馴染まないままの自己満足と自己見失い感。


そんな中でのCKBだった。

絶妙な立ち位置に、どっぷりはまった。

「レコードでしか出会えないと思っていた昔のレアグルーヴを、生音で今やっているバンド」
と、誰か有名なDJ(コモエスタ八重樫だったかなぁ、違うかなぁ。)が言っていたように、CKBの音楽はちょうど当時クラブで流行っていた60〜70年代のグルーヴそのものだった。
そのうえ、GSサウンドや昭和歌謡など和モノと言われる日本のレアグルーヴも人気な時代だったけれど、CKBはそこへピッタリと寄り添っていた。

そんなカッコいい音楽に、独特な歌詞がのる。
ねじくれたサブカル心をわし掴みにするユーモアのセンス。


当時は剣さんをはじめ、他のメンバーもまだサラリーマンをしながらのバンド活動だった。
社会人とはいえまだ青二才の私は、そこに「大人のたしなみ、大人のお手本」を見た気がした。

社会人として働いて、社会的責任を果たしながらも、好きなことを好きなスタイルでやりながら、スマートに生きる。


現代日本人はどこか、「若い」ことが素晴らしいような文化的価値観を持っている。
でも、青臭い若者よりも、成熟した大人のほうが面白いし楽しいしカッコいいよね、という新しい価値観をCKBが見せてくれた。

昭和歌謡ブームと重なってCKBが少し売れ始めた頃、どこかの雑誌がCKBのメンバーが40歳前後なのを揶揄して、「未来のないバンド」と評したことがあった。
(剣さんもそれにはすごく傷ついたらしく、インタビューなどで何度もそのことに言及されている。)

その「未来のないバンド」が今年は20周年。

私も同じく歳を取ったけれど、おかげさまで歳を取るのは嫌いじゃない。
大人は楽しい。

イイネ!イイネ!イイ〜ネ!!