3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

木綿のハンカチーフと2回目の帰省

木綿のハンカチーフ』を聴くと、思わず泣いてしまう。

上京した彼と故郷に残された彼女の心の距離が次第に離れていく、歌詞のせつなさがたまらない。

私自身に東京に行った彼氏に捨てられた、な〜んて体験があるわけじゃないのに、彼女になった気分で胸が締め付けられる。

松本隆マジック!

 

 

ところが最近、彼氏の立場で涙してしまうようになった。

 

君を忘れて 変わってく 僕を許して

毎日愉快に過ごす街角

ぼくは ぼくは 帰れない

 

サトイモと大変ながらも楽しく過ごしているうちに、気付くと病気の母のことを忘れている自分がいる。

なんなら、両親の面倒をみないといけないことが、正直邪魔くさいと思ってしまうことさえある。

 

先日気が付いたのだけど、ここ何年か患っていた慢性胃炎が、出産後うそみたいに消えてなくなっていた。

育児休業だし実家にも帰っていないから、仕事と介護という二重のストレスから解放されたおかげだろう。

 

一旦下ろしてしまった荷物を再び担ぐのには、なかなか気力がいる。

妊娠中は、出産後はすぐに介護を始めようと思っていた。

それなのに今は、とてもじゃないけど介護は無理だと思う。

 

サトイモのことで手一杯で…」

というのは、半分合っているけど半分嘘だ。

自分に嘘をついて、介護から逃げようとしているのをわかっているから、『木綿のハンカチーフ』で泣いてしまう。

泣いたところで、自分で自分を甘やかしているだけなんだけど。

 

2回目の帰省

この前の日曜日、再び実家に帰った。

前回と同じく、夫に車で送ってもらい、サトイモも連れて行った。

 

5月に母のお見舞いに行ったとき、母の左手の甲に内出血があり、左膝には包帯が巻かれていた。

後日、電話で看護師長に尋ねたところ、左膝は表皮剥離のため手当てをしたのだということだった。

自分で身体を動かせない母。

身体を移動させるのは入浴のときくらいだ。

 

しかし、原因を尋ねても看護師長は「わからない」としか言わない。そして、

高齢になるとちょっとしたことでなりやすいんです」

とか、

「心配されなくてもすぐ治りますよ」

とか、

「故意ではないです」

などと言う。

 

そんなことは、こっちもわかってる。

なんでなったか、今後ならないようにどう対策するかが知りたいんだ!

 

そう言いたかったけど、しょっちゅうお見舞いに行ける家族ならまだしも、月に1回顔を出すだけの遠く離れた娘が口やかましく言うのは厚かましいのではないか、と遠慮してしまった。

 

いや、違う。

それも言い訳で、本当は、言っても通じなさそうな人に食い下がっても、こちらが消耗するだけなのが面倒くさかったのだ。

 

以前だったら、改善を求めて私は食い下がっていただろう。

それだけ、母のことに対して使う熱量が下がってしまっていた。

 

今回お見舞いに行ってみると、手の甲も膝も治っていた。

新たな傷はない。

ひと安心である。

 

父には週に2、3回はお見舞いに行ってもらっているけれど、父は本当に何にも気が付かない。

母の顔を見ることと、入浴で使ったタオルを交換することしかしない。

それだけでも助かる、よしとしないといけない、とここでも妥協だ。

 

「ところでお父さん、入院費は払ってくれてるよね?」

 

ふと思い出して、父に尋ねた。

すると、

「払ってへんで」

と言う。

ビックリして、

「払ってへんってどゆこと?!?!」

と声が裏返ってしまった。

 

「口座引きができなくて現金払いやから、毎月20日以降に受付に行って払ってよってお願いしてたよね?」

「それがまだ請求が来うへんのや」

「請求なんか来うへんよ! だから20日以降に忘れんと行ってねって言うてたでしょ!?!?」

「そうか。知らかったなぁ」

 

母の入院は3月からである。

その間、一度も支払ってないというのだ。

 

父に言いっぱなしで忘れていた私も悪いのだけれど、お願いしたことをすっかり忘れてしまう父に腹が立つ。

 

母に水虫の薬を塗ったり、リップクリームを塗ったりするのも、お願いしていても忘れている。

でもそれはまだ許容範囲だけれど、お金のことはシャレにならない。

週明けに絶対支払いに行くように、しつこいくらいに言い付けた。

 (火曜日に無事、3ヶ月分の支払いが完了したという。)

 

書類仕事も介護のうち

実家で父から、

「これ、来とうから見て」

と手渡されたのは、特定疾患医療受給者証の更新手続き書類だった。

マイナンバーが導入されて制度が新しくなって、去年までよりも時期が早くなっている。

 

書類の記入はするけれど、書類を保健所に持っていくのは父にやってもらわないといけない。

「行ける?」

と聞くと、

「行ける。大丈夫や」

と答える。

 

本当に大丈夫なのか。

 

帰りの車の中で、

「ほんまに大丈夫かなぁ…」

と愚痴ると、夫には、

「大丈夫やないやろう」

と言われてしまった。

 

だからといって、じゃあサトイモを連れて電車で実家に帰って、私が手続きできるかと言えば、往復の時間も含めてメチャクチャ大変だし、サトイモにも負担がかかってしまう。

 

父ができると言ってくれた以上、とりあえず信じて任せるしかない。

 

身体介護は病院に任せられても、手続き関係で家族がやるべきことが残っている。

父にできるだけ協力してもらいながら、なんとかこなさなければ。

お宮参りとファミリア

先週の土曜日は、サトイモのお宮参りに行ってきた。

本来なら生後30日で行くものなのだけれど、早産のサトイモはすべてが1ヶ月遅れだ。

 

お宮は湊川神社にした。地元では楠公さんの名で親しまれている神社で、神戸三社といって、神戸を代表する大きな神社のひとつだ。

神戸三社は、

の3つである。

 

三社のうちどれにしようか迷ったけど、サトイモは男の子なので、楠木正成公のような武将にあやかるのもいいかと思い、楠公さんを選んだ。

 

なーんて言いつつ、実はこれまで、楠木正成がどういう人か全く知らずに楠公さんにお参りしていた。

今回お参りにあたって、初めてネットで調べてみた。

 

そっかー、智謀にたけた軍略家だったのね。

三国志好きにとっては、孔明と比べられるなんて最上級の誉め言葉。

忠義の人というのはあんまり見習ってほしくないけれど(社畜にはなってほしくないし)、楠公さんみたいな知略でもって、大きな敵にも知恵で立ち向かえる子になってほしい。

 

晴れ着をどうするか

お宮参りのときには赤ちゃんに晴れ着を着せるらしい。

出産前、ベビーグッズの中にお宮参り用の衣装レンタルが載っていて、夫にどうしようか尋ねると、

「今どきそんな着物なんか着せへんで。そんなんするん田舎モンだけや

というので、そんなものかなぁ、と思っていた。

 

子供のいる友達にきいてみると、今はベビードレスを着るものらしい。

でも、お宮参りのためだけにベビードレスを買うのもなぁ…。

しかも、女の子ならまだしも、男の子にあんなヒラヒラのベビードレスって、なんだかなぁ…。

 

いろいろ迷った挙げ句、夫がファミリアでベビードレス風の2wayオールを買ってきてくれた。

 

派手すぎない、けれどきちんと見えるもので、お宮参りだけでなく、よそゆき着として使えそうだ。

 

私たち親はというと、夫は会社に行くのと同じスーツ姿、でもノーネクタイ、私はきちんと感のあるワンピース、でもジャケットではなくカーディガン、という、ややカジュアルな服装だった。

 

ところが。

 

湊川神社社務所に入り、祈祷受付をしようとすると、すでに2組の先客が待機していた。

どちらも、両方のおじいちゃんおばあちゃんも揃って、全員がフォーマル、赤ちゃんも着物の掛け着をしている。

 

さらに、受付の手続きの様子を見ていると、ご祈祷の初穂料を納めるのに、ちゃんと水引のついた熨斗紙に包んで用意していた。

もちろん、うちはそんなことまで考えも及ばなかったので、お札は裸である。(ちなみに初穂料は1万円から。)

 

この日は結婚式があったため、本殿が空くまで少し待たされる形になったのだけれど、それまでにもう一組増えて、私たちを含めて計4人の赤ちゃんが祈祷してもらうことになった。


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待ち合わせ所で待っていると、お互いによその家族が気になってしまう。

ていうか、付き添いは夫婦二人きりで、礼装ではなく、赤ちゃんも晴れ着じゃないのはうちだけ。

しかも親が年寄り。

明らかに浮きまくっている。


「みんな着物着てるやん。誰よ、そんなんするん田舎モンだけやって言うたん!」

と、冗談のつもりで言ってから、失言に気がついた。

隣のご夫婦に聞こえていたらしく、ジロリとにらまれてしまった。

 

ご祈祷

時間が来ると、順番に並ばされて本殿へ案内された。

初めて入る本殿は、天井画がすばらしい。


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ゆっくり見たかったけれど、儀式はトントン進んでいく。

百人一首から抜け出てきたような顔立ちの巫女さんが舞う。

神主さんが祝詞をあげる。

最後はベビーベッドみたいなところにそれぞれ赤ちゃんを寝かせて、お祓いをしてもらった。


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抱っこしているうちはいいけれど、置くと泣き出すサトイモ

案の定、お祓いの最中にフニャフニャ泣き出してしまった。

身体が小さいぶん、声も小さいのが救い。

 

4人の赤ちゃんの中で、サトイモは1番早く生まれているのに1番小さかった。(誕生日と名前を読み上げるのでわかるのだ。)

しかも晴れ着を着てない。

 

そんな風に、私が少しひがみっぽく言うと、夫は、

「ほかの赤ちゃんの顔見た? 3人ともブっサイクばっかりやったな。サトイモが1番可愛かったわ」

と。

なんとまあ、親バカなことか。

 

やっぱりファミリアか

本殿を出るときに、御神酒を一口と、撤饌の紙袋をもらった。

帰ってから開けてみると、御守りとお食い初め用品が入っていた。

歯がため石やお砂糖、お塩、お米に加えて、スプーンなどのセットと前掛けだ。


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やっぱりこれもファミリア。

 

赤ん坊が出来て何が驚いたって、神戸におけるファミリアの勢いだ。

同じ兵庫県でも播州で生まれ育った私には、ファミリアの印象は薄い。

日本の高級子供服といえばミキハウスだった気がする。

さすが地元というか、病院で退院時にもらった記念品もファミリアだったし、お友達からもらうお祝いもファミリアが主流だ。

これは神戸ならではの現象なのか、それともあのつまらなかった朝ドラ『べっぴんさん』以降の風潮なのか…。

ちなみに、『べっぴんさん』はヒロインにイライラしすぎて途中で見るのをやめてしまった。神戸が舞台だから期待してたのになぁ。

 

勤め先を自慢したがるオヤジには反吐が出る

ファミリアといえば、こんな思い出がある。

大学時代に、女友達と二人でカリフォルニア旅行に行った。

帰りの飛行機では3列並びの席だった。

私たち二人、プラス、ビジネスマンのおじさん。

 

旅行を終えても女子大生の話題は尽きず、機内でも私たちはひっきりなしにしゃべりっぱなしだった。

会話から西宮の大学生だと知ったからか、隣のおじさんが話しかけてきた。

 

「私の会社、どこだと思いますか?」

 

知らんがな!

と一蹴したかったけれど、

「ちょっとわかりません」

ととどめておいた。

見知らぬオッサンの会社に何の興味があろうか。

迷惑そうに返答しているのに、

「神戸で有名な会社ですよ」

としつこい。

「知らないと思います」

「絶対知ってるって。阪神間のお嬢さんなら、皆さんなじみがあると思いますよ」

「いえ、知らないと思います」

 

私は播州人だし、友達も近江人だ。

近畿圏ではあっても、阪神間ではないから、微妙に文化が違う。

私たちがいくらそっけなく答えても、おじさんはしつこい。

 

「聞いたら『あー!』ってなると思いますよ」

「いえ、ならないかもしれませんけど…」

「実はね、…ファミリアなんです!」

 

へぇぇ…。

 

きっと、愛社精神に溢れた人なんだろう。

けど、そのおじさんのせいでファミリアの印象は最悪になった。

 

最近話題の悪質タックル問題で、広報担当者が日大ブランドは「落ちません」と言ってさらに印象を悪くしてたけど、それに匹敵。

自分の発言が相手にどんな印象を与えてるかちゃんと気を付けなきゃ。

 

そんなこんなで印象が悪かったファミリアだけど、今こうやって赤ん坊に製品を使ってみると、さすがにモノは良い。

と、一応フォローはしておこう。

抱っこ紐と食べたことがないもの

月曜日、区役所へこども医療費助成制度の申請に行ってきた。

本来ならもっと早くしなきゃならなかったのに、すっかり忘れていたのだ。

 

言い訳をすると、まず、こども医療の申請には子どもの健康保険証が必要だ。

で、親のどちらかの健康保険に入るのだけれど、サトイモは私の健康保険に入れようと思っていた。

というか、夫の住民票は私たちと別の住所になっているので、夫の会社の健康保険には入れないんじゃないかと思っていたのだ。

 

なので、サトイモを夫に預けられる日を待って私が自分の会社に行き、手続きをしようとしたら、

「扶養も健康保険も、ご夫婦で収入が多い方で手続きしてください」

と言われてしまった。

勝手に気をまわしていた同居・別居については、あんまり関係ないみたい。

わざわざ私が会社に行くまでもなかったよぉ。

 

で、夫に健康保険に入るための手続きをお願いしていたら、出張などで忙しくて日がかかり、しかも総務担当者が仕事をミスして日がかかり…。

やっとのことで健康保険証が届いたときには、こども医療のことなんてすっかり私の頭から抜け落ちていた。

1ヶ月健診のときに病院の窓口で、

「こども医療はまだ手続き中ですか?」

と指摘され、ようやく思い出したというテイタラク。

 

抱っこ紐デビュー

1ヶ月健診が終わったら、サトイモを連れて積極的にお出掛けをしようと思っていた。

まさかそのお出掛けデビューが区役所になろうとは。

 

お出掛けツールは抱っこ紐。

新生児からでも使えるように、エルゴのアダプトという、まあまあ値の張るやつを買ったのだ。

 

4月下旬、抱っこ紐が届いた日にちょうど遊びに来てくれた友達がいたので、一緒に取扱説明書を読みながら使い方の練習をしたのだけど、

「ほんとにこんなややこしいことできるの?!」

も驚いてしまうほどの困難さだった。

新生児バージョンだからかもしれない。

クロス装着というのをやってみたのだけど、身体がかたいから背中の紐に手が届かないっ!

二人いて赤ん坊なしでもワタワタしてるのに、こんなの一人でやってたら、装着してるうちに赤ん坊を落としてしまいそう!

 

そのさらに翌日くらいに、実際にサトイモを抱っこして装着の練習をしてみた。

腰につけるセーフティベルトを着けた瞬間から泣き出し、声はだんだんクレッシェンド。

装着してみている間じゅう大泣きされてしまって、完全に装着しないままあきらめてしまった。

 

新生児訪問の保健師さんに外出を勧められたとき、その話をし、

「それ以来、抱っこ紐を使ってないんです」

と言うと、

「赤ちゃんも初めてだったからというのもあるでしょうし、お母さんも不安に思いながらやっているのを感じとって、余計に泣いちゃったんじゃないですか。日が経ったら反応が違ってくると思いますよ。何回かトライしてみてください。」

とアドバイスしてくれた。

確かに、ビビってたのは私のほうだわ。

 

1ヶ月健診後、再び抱っこ紐の装着を練習してみたら、今度は全く泣かなかった。


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それどころか、スヤスヤ心地良さそうに眠っている。

普通の抱っこ以上にぴったりくっついているホールド感がいいのかもしれない。

コアラ式の抱っこは妊娠してたときの感覚に似て、私自身もしっくりくる。

中にいるか外にいるかだけってかんじ。

 

区役所への行き帰り

そんなわけで、区役所へお出掛けした小一時間ほどの間、サトイモはほとんど眠ったままだった。

そうなるだろうなぁ、と予想はしていたけれど、家について抱っこ紐から出した瞬間、大声で泣き出した。

もしかすると途中からは起きていたけどお外にいる不安から寝たふりをしていて、家についた瞬間ホッとして、たまらず泣き出したんじゃないか。

でも本当は、家についた瞬間ホッとしたのは私のほう。

 

久しぶりに外を歩くと、身体が重くてひどく疲れた。

重いのは赤ん坊を抱いているせいもあるけれど、明らかな運動不足と体重オーバー。

これはなんとかしなきゃ。

数分歩くだけで息がきれるなんて。

 

小一時間の間に、エレベーターや駅で、3人の見知らぬおばあちゃんたちに声をかけられた。

「可愛いわねぇ。生まれたばかり?」

3人とも同じセリフ。

妊娠中もそうだったけれど、おばあちゃんってほんと話しかけてくるよなぁ…。

 

「首がすわってないのに、縦抱っこで大丈夫なの?」

最新の抱っこ紐で、大丈夫なように出来ているんですよ、と説明すると、

「私らの時代とは違うもんねぇ。私らのときはねぇ…」

と、自分の話に流れていく。

 

赤ん坊ができて、いろんな人の反応をみているうちに、子育て経験がある人ほど赤ん坊が大好きなことに気付いた。

私の同世代だと、多くの人が子供がもう中学生くらいになっている。

何人かから、

「もう赤ちゃんに接する機会がないからねぇ」

という言葉を聞いた。

きっと、赤ん坊を育てたことがあると、また育てたいと思う中毒性があるようなのだ。

それも、懐かしさを越えた何か、な気がする。

 

子育てをしたことがないシングル女性だって赤ちゃんに接する機会はないはずなのに、シングルの友達たちはそんなふうには言わない。

単に子ども好きな人とそうでない人の違いかというと、そうではないように思う。

 

シングルの友達にそのことを言うと、

「食べたことがないものは、また食べたいと思わないのと同じだね」

と言われて、なるほどなぁ、と思ってしまった。

 

私もあと10年したら、赤ん坊にまた接したいと思ってしまうんだろうか。

だとしても、電車で子連れの母親に話しかけにいくようなばあさんにはならないようにしよう。

1ヶ月健診と産後うつチェック

先日の水曜日、ようやく1ヶ月健診が終わった。

実際はもう2ヶ月なんだけど、なぜ1ヶ月健診かというと、退院してから2週間後に2週間健診、それから1ヶ月後なので1ヶ月健診、というわけだ。

2週間入院していたから、ほかの赤ちゃんより2週間遅い。

 

私は順調に回復したということで、これでもう産婦人科の診察は終了。

サトイモも小さいながらも順調に発達していて、どこも問題なし。

せっかくの機会なので、赤ちゃんの手足が冷たくて腕や脚に網目模様が出ることとか、ミルクを吐き戻しするときに粘っこいものを吐くことがあることとか、ミルクの量を増やすタイミングはどういうときなのかとか、おっぱいの先のほうばかり吸われるので乳首が痛いこととか、普段気になっていることをここぞとばかりに質問した。

たいていは、「そんなもんです、大丈夫です」であしらわれたのだけど、ミルクの量についてだけは、

「楽に飲みきれるようになって、次に欲しがるまでに間隔が短いようなら量を増やしてみてください。増やしてみて、次に欲しがるまでの間隔が長く空くようなら元に戻す、というように、様子をみながらコントロールしてみてください」

と小児科の先生にアドバイスをもらい、すごく参考になった。

こうやって書いてみると当たり前の話みたいに思えるけど、当事者だと判断がつかない。

こうやって話がきける機会があってよかった。

 

不安と恐怖の中身

健診で毎回書かされる問診票がある。

産後うつのチェックのためのもので、下記のサイトと同じ項目だ。

 

私は全く問題ないし大丈夫だけれど、

「はっきりとした理由もないのに不安になったり、心配したりした。」

と、

「はっきりとした理由もないのに恐怖に襲われた。」

にいつも「ほとんどそうではなかった」をつけている。

 

そうすると、のちほどヒアリングがあって、

「どういうときに不安になるんですか? どういう不安ですか?」

と尋ねられてしまう。

 

「この子が重い病気になったり事故にあったらどうしよう、とか、災害や戦争が起きたらどうしよう、とかです」

と答えると、

「子育ての不安じゃなくて?」

と毎度不思議がられる。

 

「恐怖もそうですか?」

「そうですね、寝る前にふと、拷問を受けたらどうしようとか、こんな死に方は嫌だ、とか考えると怖くなるんですよね」

「子育てではなく?」

「子育てではなく。」

するとたいてい、産後うつとは関係ないな、と判断されるようで、前のめりに尋ねていた姿勢が元に戻る。

 

かといって、子育てと本当に無関係か、というとそうじゃない。

これまで自分一人を守るだけだったのが、子供を守らないといけなくなった。

だから、災害や戦争がより怖くなったのだ。

 

戦争末期の沖縄の話だったか、防空壕にたくさんの人数が隠れていたとき、赤ちゃんが泣き出した話を思い出す。

声がもれると隠れ場所がアメリカ兵にばれてしまうということで、周囲に強要され、お母さんは泣きながら、濡れたハンカチで赤ちゃんの口を押さえて窒息死させたという…。

もし自分がそんな立場になったらどうしよう…、と想像しただけで怖くてたまらない。

 

昔、貧しい農村で行われていたという間引きもそうだ。

それをしなければならなかった母親たちは、どんなにつらかっただろう。

 

ほかにも、「子供を助けるためには拷問されても決して口を割らないで耐えることができるだろうか」とか、「子供を助けることと引き替えに毒を飲むように強要されたら飲めるだろうか」、なんて考えてみたりすると恐怖に襲われる。

考えなかったらいいだけなんだけど。

 

「映画なんかでそういうシチュエーションってあるじゃないですか」

と言うと、

「映画がお好きなんですねぇ」

と感心されてしまった。

 

子供を守れるかどうかが不安だし、守れなかったときのことが恐怖なのだ。

 

「子供を守る」ための現実的なことを考えたら、ダニから守るためにまめに掃除したり、紫外線から守るために外出時にちゃんとUVケアしたり、そういうことなんだろうけどね。

母親になったんだから、いつまでも映画の世界で物事を考えてちゃいけないな。

新生児訪問

全然ブログを書くような時間がとれない。

ちっちゃくて可愛らしい怪物に振り回されて、まだ自分の時間のコントロールがうまくつけられない。

睡眠不足で頭がうまく回ってないのもあるかもしれない。

 

けれど、老人介護と子育てとはどっちが大変か…、といえば、今のところは介護時代のほうがしんどかったかなぁ…。

それは、ひとつには単純に身体の大きさが違うからで、オムツ替えひとつにしても大変さは百倍くらい違うかんじがする。

今はまだ生後1ヶ月でちっちゃいから楽なだけなのかな。

 

とはいえ。

先々週くらいからサトイモがミルクの吐き戻しと夜泣きをするようになって、時間の余裕もよりなくなったし、気持ち的にも余裕がなくなった。

抱っこして揺らしていないと泣き出す。

それも、立ってないとダメ。

部屋の中を抱っこしてぐるぐる歩き回っていないといけない。

ほとほと疲れて、そっとソファに腰かけると、とたんにグズり出す。

座らせてさえくれへんのかよぉ〜っ!!

 

保健師さんが来た!

そんな折り、区役所から保健師さんが新生児訪問に来てくれた。

 

例によって、産後うつなどの傾向がないか、私の状況についてヒアリング。

そのあと、

「困っていることはありませんか?」

と言われたので、待ってましたとばかりに元気よく「あります!」と返事し、吐き戻しと夜泣きについて相談をした。

 

吐き戻しをするということは、ミルクの飲ませすぎかもしれない、と思って最近ミルクの量を控えめにしてみたこと。

すると、だいぶましになったけれど、すぐ泣き出すし、夜に泣いて暴れるようになったこと。

 

もし飲ませすぎなのだとしたら、量が明確なミルクではなく、いくら飲めてるかわからない母乳のほうだ。

泣いたらまずおっぱいを咥えさせているし、以前よりもおっぱいを咥えてる時間が長くなってきた。

思っている以上に飲めているとか?

…それにしては、搾乳しても以前と変わらなず、たいして量が取れないのはなぜ?

 

これまで自問自答して試行錯誤していたことばかり。

 

保健師さんは、持参したベビースケールで、母乳を飲む前と飲んだあとのサトイモの体重を測ってくれた。

残念ながら、サトイモの体重があまり増えていなかった。

結局母乳は搾乳したのと同じくらいしか飲めていない。

ということは、ミルクの量を減らしたうえ母乳も飲めてないから、すぐ泣くし、いつまでもおっぱいを咥えて離さなかったのだ。

「おっぱいは左右各10分くらいで切り上げて、ミルクは量を増やしてもいいと思いますよ」

とアドバイスしてもらった。

病院でもおっぱいは「赤ちゃんが疲れない程度の10〜15分で」と教わっていたのに、いつの間にかリズムが狂っていた。

出もしないおっぱいを、だらだら咥えさせて時間を浪費してしまっていたのだ。

 

「吐き戻しの原因は、十分ゲップができてないからじゃないですか」

ゲップのさせ方を見てもらい、

「もっと角度は前傾させたほうがいいですよ」

とアドバイスしてもらった。

一人でやっていたら、なかなか気付かない。

 

画像は、胸囲を測ってもらって泣き出すサトイモ

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夜泣きは続く…

保健師さんにアドバイスしてもらったように授乳の時間やゲップのさせ方を改善してみると、夜泣きも吐き戻しもずいぶんマシになった。

新生児訪問は本当にありがたかった。

こういう公的制度が無料で行われている日本っていい国だなぁ、としみじみ思う。

ヨーロッパとかにはもっと充実してる国もあるだろうけど。

 

マシにはなったけれど、日によってはまだまだサトイモの夜泣きは続行中。

いつになったら、ゆっくり横になって眠れるんだろう。

初孫初対面

こどもの日の一昨日、出産後初めて実家に帰った。

チャイルドシートを買って、夫に車で連れて行ってもらったのだ。

約1ヶ月と1週間ぶりの実家。

玄関を開けると、びっくりするほどタバコ臭かった。

 

「ただいま!」

とフルボリュームで声をかけるものの、父は出てこない。

「帰ったよ!赤ちゃん連れてきたよ!」

リビングを覗くと、父がのっそりと立ち上がろうとしているところだった。

立ち上がることすら困難なのである。

「えっ?!そんなに脚動かへんの?」

「そうなんや。さっぱりわやなんや」

 

父の脚は驚くほど悪化していて、家の中を移動するのもやっと、という状態になっていた。

幸い、母の介護のために家の中はバリアフリーで至るところに手摺がついているので、なんとか歩けてはいる。

 

私たちは唯一タバコの毒に犯されていない和室に陣取って、買ってきたお惣菜などのお昼ご飯を広げた。

「少し多目に買ってきたから、お父さんもちょっと一緒に食べたら?」

と勧めたが、

「今日は弁当もう食べたんや」

と言って、座に加わらない。

足が悪いので、畳が無理なのはわかるけれど、だったらイスを持ってくれば済むことだ。

なのに、父は和室に入ろうともせず、よたよたと玄関に向かっていった。

「ちょっとちょっと! どこ行きよん?」

「新聞取ってくるんや」

 

せっかく連れてきた孫のサトイモをちらっと見ただけで、父はポストへと歩いて行った。

新聞を取り、そのまま玄関でタバコをふかしはじめた。

 

孫との対面をさぞや楽しみにしているだろうと思っていたのに…。

しかもタバコ!!

「何よ、あれ!」

と憤慨する私に、夫は父をかばってみせた。

「足が悪いのをあんまり見せたないんやろ」

男性だからこそ気持ちがわかるものがあるのかもしれない。

 

父のケアマネさんから数日前に電話を受けており、父の調子が悪いことは聞いていた。

脚が動かないせいで、トイレに間に合わず、廊下もしくはトイレの中で漏らしてしまっていることも知っている。

それで、先日からヘルパーさんの日数を増やしてもらい、掃除もお願いすることになった。

ヘルパーさんが来てくれているおかげで、久しぶりの実家でもびっくりするような汚さではない。

父一人だったら、もっと無惨な様子になっていただろう。

けれど、いろんな場所、いろんな物が劣化していた。

何がどうというわけではないけれど、家の中のすべてが色褪せてしまっていた。

 

母の病院へ

赤ん坊サトイモのオムツ替えと授乳を済ませたあと、父も伴って母の病院へ出掛けた。

2週間健診のとき小児科で、

ゴールデンウィークに、母が入院している病院へ赤ちゃんを連れて行きたいんですけど大丈夫でしょうか」

と尋ねたら、小児科の先生はこんなふうに言った。

「そうですねぇ、たくさんの人がいる場所は避けたいので、赤ちゃんを病室まで連れていかないほうがいいですね。知らないおばちゃんたちが寄ってきて、『抱っこさせて〜』って触られるのは、病院あるあるですからね〜。可能なら、お母様に駐車場まで出て来てもらうとか」

 

そのアドバイスを受けたあと、母のケアマネさんに、

「母を車イスに乗せて、駐車場まで連れ出せないかと考えているのですが」

と相談したら、わざわざ病院に連絡してくれて、許可を取ってくれた。

まだ担当ケアマネではあるけれど、もう介護サービスは受けてないのに、親切にしてもらって本当に感謝しかない。

 

事前にそんなふうに話がついていたので、私が病棟を訪ねると、看護師さんがリクライニングの車イスを貸し出してくれて、二人がかりで母を移乗させてくれた。

 

「お母さん、なみ松が来たよ!」

と声をかけると、母は、

「あああ〜」

と声を出して破顔した。

笑顔でも泣き顔でもないから、「破顔」という言葉がぴったり来る。

ウェットティッシュで目ヤニなどの汚れを拭き取って、車イスを押して病棟を出ると、入り口でサトイモを抱いた夫と父が待っていてくれた。

 

病棟の玄関には大きな桜の木があって、前回3月に訪れたときはちらほらと開花が始まっている頃だった。

今は葉っぱが青々と繁っている。

その代わり、垣根にはたくさんの鮮やかなツツジが咲いていた。

 

桜の木の葉陰で、母にサトイモを見せた。

「待ちに待った孫さんだよ〜」

わかっているのかどうかわからないけれど、母はああ〜、と声を出した。 

 

サトイモはクルマに揺られてすっかり眠りについていて、ちっとも目を開けてくれない。

サトイモは目をつぶった顔のまま、記念写真を撮った。

 

大切にしてくれる人の不在

記念撮影をしたあと、母はすぐ病室に戻した。

母をベッドに戻してもらったあと、母の身体の様子をチェックした。

 

あんなにすべすべだった母の顔はカサカサになり、小じわができていた。

腕も足も、皮膚が乾燥して粉をふいている。

唇も固くなって、皮がめくれてしまっていた。

気になるところにクリームを塗りながらマッサージすると、どこもましになったようだった。

 

皮膚のカサカサなんて、たいした問題じゃないだろう。

でも、肌のうるおい不足は、「大事にされて」いれば解消される。

 

老人はすぐに肌がカサカサになって、乾燥から痒みがでたりする。

そういうこともあって、介護施設の小規模多機能では持参したボディローションを塗ってくれていた。

病院では、そんな無理を言えない。

父に言っても、リップクリームすら塗ってくれない。

母を大切に思って、手入れをしてくれる人がいなくなったことが寂しかった。

 

それ以上に、左の手の甲の全面に青アザがあり、左ひざは包帯が巻かれていた。

サトイモたちを待たせているので、原因などを尋ねる時間がなかったけれども、不注意でぶつけられたのではないか。

 

病院の転院先を選んでいたとき、ケアマネさんから、

「娘さんが無理なく通える神戸の病院か施設、ということは考えられませんか?」

と提案してもらっていた。

そのときは、

「父が通える範囲の地元のほうがいいと思うんで」

と全く考慮しなかった。

 

けれど、父が通えなくなったら、母を地元に置いておく意味がない。

落ち着いたら、母を神戸に呼び寄せよう。

状況は刻々と変わる。

泣き虫ママ

入院中も退院後も、何人かの友人や同僚がお見舞いに来てくれた。

中でも今週の月曜日は一番にぎやかで、大学時代の友達たちとその子供たちがベビーグッズのお古を持ってきてくれた。

2歳と4歳のお嬢さんたちは、これまでちっちゃい赤ちゃんに思えていたのに、うちの赤ん坊と比べるとすっかりお姉さんに見えた。

この子たちが、

「赤ちゃんかわいいね〜」

と言ってくれると、大人たちが言うよりも数倍うれしかった。

でも、最初その子たちは、うちの赤ん坊を見て開口一番、

「サトイモ〜!!」

と叫んだのには笑ってしまった。

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確かにサトイモ!!

これから、ブログではうちの赤ん坊のことをサトイモと呼ぶことにしよう。

 

「これからもお古をどんどんもらえるよ。それが高齢出産の旨味やから」

と言われたけれど、確かにそれは実感する。

至るところに先輩ママ。

ありがたや、ありがたや。

 

新居でも、これまで同様うちは通い婚状態で、ほとんどの日は私とサトイモの二人で暮らしている。

たいして困ることはないけれど、赤ん坊を沐浴させるのは一人では怖くて、常に誰かに手伝ってもらっていた。

二人いれば、お風呂場で洗う人と、脱衣所で乾いたバスタオルを持って待ち構える人に分担できる。

というか、二人いないと難しいなぁ、と思っていた。

 

それが、いただいたバウンサーのおかげで、赤ん坊の沐浴を一人でさせるのも楽勝になった。

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それまでは、お風呂上がりの濡れた赤ん坊を、バウンサーに置いたバスタオルの上で拭けばよい。

道具さえ揃ったら、ワンオペ育児も怖くない。

 

2週間健診

昨日は2週間健診だった。

私は産婦人科、サトイモは小児科を受診する。

私の産後回復もサトイモの発育も、問題なく順調。

強いて言うなら、サトイモの右目に目やにがひどいことくらい。

神戸市の子育てメールマガジンによれば、


これは、鼻涙管閉鎖(びるいかんへいさ)または狭窄(きょうさく)と言われるもので、片方の目だけがなることが多いです。でも、まれに両目のこともあります。軽い場合は目頭(めがしら)のマッサージで治ります。自然に治るケースも多いですが、「うちの子、そうかな?」と思ったら、1か月健診や小児科で相談してみましょう。

ということらしい。

なので、今日は小児科の先生に相談して、目薬を出してもらった。

 

健診では、身体のことだけではなくて、母親のメンタル面についてもかなり突っ込んでヒアリングされた。

ひっかかってしまったのが、

「子育ての協力者はいますか」

という点で、

「ご実家のご両親はいかがですか?」

と尋ねられると、どうもつらいものがあった。

 

うちのサトイモは大人しい子で、今のところさほど手はかからない。

家事を自分でするのも、体調はだいぶ回復しているのでそれほど苦でもない。

買い物は基本的に配偶者がしてくれるし、友達が買ってきてくれたりもする。

だから、別に両親がいなくたって何も困らないのだ。

 

けれど、ときどき、

「普通の若いママたちは、実家でお母さんに甘えられるんだな」

と思うと、どうにも切なくなる。

うちの母が、どんなにか母になった私と赤ん坊の世話をしたかっただろうと思うからだ。

まだ母が元気なときに、こんなふうに常に口にしていた。

「あんたが赤ちゃんを産んだら、お母さんが全部面倒見てあげるからね。そやから、安心して、早う子供産み」

それに対して、私はいつも、

「子供なんか産まへんし、結婚もせぇへんし」

と反発ばかりしていた。

今になってこんなことになって、母に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

母が元気だったなら、私だって甘えてみたい。

みんな親切に助けてくれるけど、私自身が心の底から遠慮なくすがれるのは、結局母だけだからだ。

 

今、病院で寝たきりでいる母を思うと、小児科の先生を前に涙がこぼれてしまった。

ホロリ、とこぼれだすと、堰を切ったようにボロボロ止まらなくなって、

「すみません、すみません、ティッシュもらいます」

と鼻をかみ、泣き続けた。

「いいんですよ。どうしても産後はホルモンバランスが崩れて、コントロールできなくなりますからね」

と言いながら、優しい女性の小児科医は、困ったなぁ、と言う表情を見せた。

「睡眠不足だと気持ちも弱ってしまいますから、できるだけたくさん寝てくださいね。食事も多目に摂ってください」

 

診察室を出て会計を待っていても、涙腺が弛みっぱなしでコントロールできない。

西田敏行並の、いやそれ以上の泣き虫になってしまった。

これはいつか治るんだろうか。