3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

祝!!ザ・カセットテープ・ミュージック受賞!!

相変わらずの猛暑のため、サトイモと二人で家に引きこもっている。
友達が遊びに来てくれたり、給湯器が壊れて業者を呼んだり、毎日何かあるから退屈な日々ではないけれど、多くの時間は何事もなく過ぎていく。
何事もないからこそ、サトイモの笑い声のバリエーションが増えたなぁとか、泣き声のボリュームが大きくなったなぁとか、指でものをつまむのが上手くなったなぁ、などと小さな変化に気づける利点もある。

けれど、娯楽といったらもっぱらテレビだ。
昭和生まれなので、ネットよりは断然テレビを見てしまう。
ハードディスクは常にフル稼働。
録画しても録画してもどんどん消費する。

とうとう、これまで全然興味がなかった韓流ドラマを見始めた。
平日の昼間、毎日放送している韓流ドラマのなんと多いことか。
1話から始まるものがあれば手当たり次第に見ているけれど、どれも日本のドラマより面白い。
日中韓の中で俳優さんの顔だちの美しさは韓国が一番だし、今更だけど、中高年女性が韓流にはまる気持ちがよくわかる。
こうやってオバチャン化が加速度的に進んでいくんだなぁ。

3か月を実感したのは1クール

出産が3月末だったので、サトイモが満何か月になるのかの期間を数えやすい。
特に3か月ごとの単位はわかりやすく、4、5、6月で3か月。
企業でいうと第一四半期、テレビでいうと1クール。

だから、サトイモが満3か月になったのを一番実感したのは、4月に始まったアニメが終了したときだった。
特に、『銀河英雄伝説 Die Neue These』が終わったときには、「そうか、もう3カ月が過ぎたのか…」としみじみした。

gineiden-anime.com

出産後入院していたとき、朝も夜も関係なく3時間ごとに授乳していた。
最初のうちサトイモは新生児治療室に入っていたので、3時間おきにそこまで行かないといけなかった。
新生児治療室から自分の病室に戻り、お腹が空いたのでおやつをもぐもぐしながらテレビをつけた。

すると偶然にも、『銀河英雄伝説 Die Neue These』のオープニングが流れた。
第2話がちょうど始まったところだった。
しかも第2話は一番好きなエピソードである「アスターテ会戦」!

新しいクールが始まる前にはどんなアニメを放送するかチェックをしていたけれど、3月末はそれどころではなく、銀英伝の新しいアニメが始まることすら知らなかった。

夜中に起きててよかった!

うれしかったなぁ。
入院中のやることといったら、授乳と食事と睡眠くらいのものだったので、そこで見た銀英伝は心の栄養になった。

その『銀河英雄伝説 Die Neue These』が中途半端なところで終了してしまってすごく残念だったけれど、今クールでは『深夜!天才バカボン』を楽しみに見ているし、8月からは『進撃の巨人』も始まった。

『深夜!天才バカボン』が終わったら、サトイモは生後6か月になるってことだ。

期間の長さ、曜日の感覚、日々のサイクルなど、テレビ番組がカレンダー代わりになっている。
そうでもなかったら、毎日家に閉じこもってるので日付や曜日の感覚が狂ってしまう。


世紀の大発見!『ザ・カセットテープ・ミュージック』

もう一つ、夜中に偶然テレビをつけて発見した番組がある。

『ザ・カセットテープ・ミュージック』だ。

www.twellv.co.jp


BS12なんていう、まっとうな社会人だと存在すら知らないような局の、しかも深夜にやっている番組だ。
出演者はマキタスポーツと、音楽評論家スージー鈴木、それと主に元アイドリング!!!の女の子が不定期で出ている。
これが抜群に面白くて、今、アニメよりも韓流ドラマよりも、私が一番楽しみにしているのがこの番組だったりする。

毎回、テーマ別に80年代の邦楽を取り上げて、その良さについて二人があれこれと評論したり思い出語りをする。
マキタスポーツのおしゃべりが上手なのは芸人さんだから当たり前なんだけど、スージー鈴木という人がそこはかとない可笑しみがあって、飾らないおしゃべりにはまってしまう。
評論の内容も、「日本三大ブルース・スプリングスティーン佐野元春尾崎豊浜田省吾)」とか、「ミファミレドはエモい」とか、「キャロルの評価が永ちゃんに偏りすぎていませんか」とか、「なるほど!」かつ「そんなことが!」という驚きに満ちている。

同世代で音楽好きな友人に、
「コード進行やメロディの分析もしていて面白い番組なんだよ」
と、この番組を紹介したら、
「『関ジャム』みたいなのかな? 『関ジャム』は楽しみに見てるのよ~」
と言われてしまった。

www.tv-asahi.co.jp


なるほど『関ジャム』でも音楽分析をやっている。
でも、『関ジャム』が陽の当たる表玄関、『ザ・カセットテープ・ミュージック』は地下室の倉庫の隅っこというほど差がある。
メジャーvsアンダーグラウンド
圧倒的に地下倉庫のほうを好む超マニアックな自分の性を思い知った。

マキタスポーツは冒頭に、
「深夜のおじさんの解放区、『ザ・カセットテープ・ミュージック』の時間がやってまいりました」
といいつつ、
「奥さん!」
と呼びかけてくる。
こんな番組を楽しみに見てる“奥さん”は私くらいなもんだろう。
てことは、これは私に呼びかけてるんだな~、と勝手に思っていた。

ところが昨日の放送で、『ザ・カセットテープ・ミュージック』が第8回衛星放送協会オリジナル番組アワードバラエティ番組部門最優秀賞を受賞したと発表されていた。
この番組がめちゃくちゃ面白いと思っていたのは私だけじゃなかったんだぁ。こりゃ失礼しましたww

ところで先週から、『dele/ディーリー』というドラマも見ている。

dele.life

国を問わず外国のドラマなら少々変なところがあっても「外国だしな」と許せるんだけれど、日本のドラマはちょっとでも不自然だと気になって冷めてしまいがち。
『dele/ディーリー』はまだ2話目だけれど、菅田将暉山田孝之の演技に引き込まれて、今後もちょっと楽しみ。珍しく日本のドラマにはまりそう。
金曜日の深夜が充実してしまった。

4か月で頭が四角くなった。

土曜日で、サトイモは満4か月になった。

最近では、喃語でよくおしゃべりをする。
素晴らしくネイティブな発音で、Hello、All right、Help、Apeと言っている。
チンパンジーやオランウータンが大好きな私の息子だけあって、「エイプ、エイプ!」とよくしゃべる。 
初めてしゃべった言葉は類人猿。

それから、手で物がつかめるようになった。
布団替わりのタオルだとか、枕元に置いているガーゼのハンカチとかを引っ張りまわす。
ときどきタオルを頭にかぶって、前が見えなくなって泣いている。
泣いて知らせてくれるならいいけれど、変なものをかぶって窒息しやしないか要注意だ。

体重も6キロになった。
低出生体重児であんなに小さかったのに、標準的な月齢体重に追いついた。

そして何より、変わってしまったのは、、、頭の形だ。


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あんなにキレイなまん丸だった頭の形が、平行四辺形になってしまった。

「おい、頭の形がいがんどうぞ!」
抱っこする度に夫が言う。

生まれたときから左ばかり向いていた。
胎児のときから向き癖というのがあるらしくて、その後もずっとそれが治らない。
知らず知らずのうちに、左の側頭部がペッシャンコになってしまった。
それでいて頭が後ろに長くて、このままじゃピッコロ大魔王か、プリンプリン物語のルチ将軍だ。(それでIQが高いならいいけど。)

絶壁になるのは、よく寝る、手のかからない子に多いのだそうだ。
寝っぱなしにさせず、抱っこしたり向きを変えたりしていたらこうはならなかった。
私が「ほったらかし」ていた代償である。

そのうえ、最近は激しく泣くときに頭でブリッジをするようになった。
以前は「ら~~、れ~~」と小さい声で震えて泣いていたのが、今では「ぎゃぁあああ」と叫び、脚をばたつかせ、背中をのけぞらせて暴れる。
最終形は頭でブリッジ。
ブリッジするときの頭の向きも左向きに歪んでいて、レスラーもビックリな体勢である。
これでどうしてまだ首がすわらないのか不思議でしょうがない。

髪の毛は生えてくるどころか、部分的に禿げる一方だ。
襟足とか下のほうばかり長くなって、まるでノックさん。
寝ハゲ」という言葉があるのも初めて知った。

「こんなに寝てばかりで床ずれせぇへんのかなぁ」
なんて夫が言っていたけど、そういえば寝たきり老人には床ずれができても「寝ハゲ」ができたという話は聞かない。
そもそも老人はハゲていてわからないということもあるのかもしれない。
ちなみにうちの母は変わらずにボーボーだけれど。
(ちなみに赤ん坊に床ずれができないのは、身体に脂肪がたっぷりついているからだろう。床ずれできやすいのは痩せた老人だものね。)


赤ちゃん用枕は効果あり?

絶壁をなんとかするために、赤ちゃん用枕を買った。
生後6か月までなら、まだ頭が軟らかいのでなんとかなるらしい。

geltron.jp

 
届いたものを見てみると(上記製品)、単なるU字形の枕で、
「こんなんで効果あるんかなぁ?」
と半信半疑だった。

実際寝かせてみると、U字の凹みに頭がフィットして、正しく上を向く。
首をくにゃくにゃ動かすけれど、以前みたいに気がついたらいつも左、ということがない。
頭の形が丸くなるには時間がかかるだろうけど、向き癖が矯正できるだけでも効果はあるみたい。

激しく泣いて暴れるときはどうかというと、そこまで枕の威力は及ばず。
枕ごと移動していたり、U字も超えてブリッジしたり。
そもそも放置してたのが悪いんだから、泣いたら早めに抱っこしなきゃダメってことですな。

顔や体の造形は生まれ持ったものでどうしようもないけれど、頭の形は親の責任のような気がして、四角い頭のサトイモに申し訳ない。

理屈の通用しない奴が勝つ

先輩ママから「お古」としてもらったものの中に、『赤ちゃんにもママにも優しい安眠ガイド』という本がある。 

赤ちゃんにもママにも優しい安眠ガイド

赤ちゃんにもママにも優しい安眠ガイド

 

 
もらったときは「ふぅん」という程度だったけれど、いざ赤ん坊の世話に携わってみると、「赤ん坊にいかに眠ってもらうか」「自分がどれだけ眠れるか」が子育ての一大事だということが身に染みてわかり、こういう育児書の存在はとても頼もしかった。

一番助かったのは、「寝言泣き」の存在を知ったこと。
サトイモもときどき寝ている最中に声を上げるけれど、すぐにまた寝てしまうことがある。
知らなかったら心配しただろうけど、本を読んでからは、
「ああ、これは寝言泣きなんだな~」
と安心して無視できるようになった。

本を読んでからは、できるだけ早寝早起きの生活のリズムを整えることを目指している。
これまでは、行き当たりばったり、泣いたら起きて眠たくなったら寝て、だったけれど、そろそろ日々の習慣づけが必要だ。
それで、本で紹介されているとおり、サトイモの消灯・就寝時間は午後7時と決めた。

夫からも、「ここにも寝かしつけのことが書かれてたよ」と下記のサイトが送られてきた。

 

ここに書かれていることも大筋においては『安眠ガイド』と同じ。
あとは、ちゃんと実践できるかどうかだ。


どちらが根負けするか

 

理屈はわかっても、やってみるとなかなか上手くいかない。
午後7時になってベッドに連れて行かれると察知したとたんに大泣きが始まる。
本には、寝かしつけ方法を変えると赤ちゃんの抵抗にあうと書かれていたので、それなりの覚悟をしていたものの、実際体験してみるとなかなかキツイ。

午後7時といえば、食事の用意をしていたり、準備が終わって食べようとしている時間帯。
そうでなくても、洗濯物の片づけもしたいし、お風呂の準備もしたい。
眠ってくれたらどんなにか楽なんだけれど。

『安眠ガイド』には、 

長時間泣いた結果、前の習慣に戻ったことを、赤ちゃんがどう思うかというと、「ぼくの希望をママにわかってもらうには、一生懸命泣き続けないといけないんだ」と学んでしまうわけです。

と書かれていたので、強硬な姿勢で、
「どんなに泣いても抱き上げないよ!」
と決め、ベッドに置いたままで手を握ったり胸をトントンしたりしてなだめる。
本を読んだり、歌を歌ったり、抱き上げる以外のいろんなことを試した。
日によって、有効なときがあったりなかったり。

先日は一番大きな抵抗にあって、2時間以上泣き続けた。
そうこうしているうちに授乳時間になった。
こうなると、抱っこしてほしくて泣いているのか、お腹が空いて泣いているのかわからない。
「もうおっぱいの時間だから抱っこしてあげるね…」
と、言い訳がましく抱き上げると、持ち上げた瞬間泣き止んで、電池が止まったように眠ってしまった。

やられた!

サトイモのほうがウワテだった。

毎日その闘いは続いている。

でも、ちょっと考え直そうと思っているのは、「黄昏泣き」の可能性もあるからだ。
夕方になると意味もなく泣き出す「黄昏泣き」はこの時期特有のものらしい。

いずれにしても、理屈もへったくれもない赤ん坊が勝つ。
「ただ泣く」。
その行為は有無を言わさない。
赤ん坊、最強。

 

政治家と赤ん坊は似ている

 

理屈もへったくれもないで連想したのだけれど、最近テレビを見ていて気になったのが、トンチンカンな問答に対して「国会答弁か!」と言うツッコミを2度ほど耳にした。
言い得て妙なツッコミだったけど、それがお笑いに昇華しているということは、
「国会答弁=ちぐはぐでトンチンカン」
ということが一般に定着しているということだろう。

腹が立つからあんまり見ないようにしているくらい、政治のニュースはひどいものばっかりだ。
この国会でも、参議院定数6増なんていう、「なんで?!」ということがまかり通る。
森友加計問題にしても、うやむやにするばかり。

なぜそうなのか、どうしてそうなったのか、全く理解できない。
理屈や理論が通じない。
赤ん坊と同じ。
問答無用でぐいぐいとねじ伏せてくる。
まともに相手できやしない。

野党が内閣不信任案を出したのにも、「そりゃそうしたくもなるわなぁ」と思っていたら、Twitterで友達が内閣不信任案の演説の書き起こしをファボっていた。(それが下記。)

 


2時間半以上もある演説だから、とても全部読むつもりじゃなかったけど、読み始めてみると納得したり勉強になることばかりで、
「政治家にも理路整然とした人がいるんだな(笑)」
と感心してしまった。
えだのんって、コアラに似たオジサンだというだけじゃなかった!

何より納得したのは、「金持ちほど金を使わない」からトリクルダウンが起きずに格差が広がるばかりだという話と、保育士と介護職員の賃金の底上げが景気対策になる、という話だった。(どうしてそうなるのかは、私ではうまく説明できないので演説内容を読んでください。)

介護や子育てをしていると、介護や保育が行政の支援や法律に直結しているのを肌で感じる。
このままいけばうちのサトイモ保育所に入れない。待機児童まっしぐらだ。
若いころは、政治が自分たちの生活につながっているなんて、想像すらできなかったのに。
自分がやってるからわかるけれど、このまま介護や保育の問題をほったらかしていたら、この国は本当にとんでもないことになる気がする。

2時間以上の演説なので、全部読むのにはずいぶん時間がかかった。
読み終わってから、
「あ、これ演説なんだから、動画で見れたら家事しながら聞けたのに!」
と気が付いた。
それで動画を検索したら、ネットに出ている動画は揚げ足とりで枝野氏をこき下ろすものばかりで胸が悪くなってしまった。
演説の長さをバカにしている人たちは、ちゃんと内容を理解したうえで、それでもあえてやっているんだろうか? それとも、盲目的に「自民党支持だから野党が嫌い」というだけでやっているのかしら。

最近ネット上で「肉屋を支持する豚」という言葉を知った。
なんてうまい表現なんだろう、と感心したので調べてみると、この言葉はずいぶん前からあって、自民党支持のオタクを指す言葉らしかった。
オタクに限定するにはもったいない表現だと思う。

アメリカのニュースを見ていると、トランプ支持者の中に「累進課税制度に反対する低所得者」とか「オバマケアに反対する医療保険未加入者」とかがいて、なんておバカさんなんだろうとビックリする。
彼らはまさに「肉屋を支持する豚」そのものだ。

よその国のことだととってもわかりやすい。
でも、残念ながら自分の国のことだとなかなか気づかないものだ。
こんなこと書いていたら、私もネトウヨ豚さんたちに攻撃されるかなぁ?

ベビーカーで歩けばワインがもらえる

毎日家に閉じこもっている。
日々を有効に過ごすためにサトイモを連れていろんなところにお出かけをしよう、と思っていたけれど、こんな殺人的な暑さでは、ベビーカーの中でサトイモが煮っ転がしになってまう。

仕方なく毎日家にいるけれど、不思議と暇を感じることはない。

あっという間に時間が過ぎて、一日はすぐ終わる。
ついだらだら過ごしてしまって、「ああ、今日は一日何をしていたんだろう?」と呆然とするばかりだ。

しかし、やることと言ったら、録画しているテレビ番組を見るかネットを見るかという程度。
買い物に行けないものだから、特にネットショッピングばかり使ってしまう。

やがてお出かけする日に備えて、こんなものを買った。

抱っこ紐やベビーカーに取り付けて、UVをカットし、体感温度を下げるケープ。

 
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そういえば、街でこういうのをかぶって抱っこしている親子をよく見かける。
こういう機能があったのかぁ、と納得。
新米ママはこういう便利グッズを知らないので、ちょっとずつ学んでいくしかない。

あと、まだ届いていないけど、こんなのも。

 

 

 


これら便利グッズを使って、ちょっとでも快適にお出かけできたらいいんだけど、まだ使ってないから感想は後日。

言わずもがなだけれど、ネットショッピングはエアコンの効いた涼しい部屋の中から注文できるから本当に便利だ。
反面、それを暑い中届けてくれる宅配便の配達員さんには頭が下がる。
届いた段ボール箱が雨に濡れたように水滴が落ちていた。
こんなに晴れているのに何だろう?と思ったけど、たぶん配達員さんの汗だ。
そりゃ、汗が滝のように流れて当然だわ。

ネットで注文したものがどんどん届いていたとき、また配達員がチャイムを鳴らした。
予定していたものは全部届いていたので、一体何が届いたんだろう?と不思議に思いながら受け取った。
送り主を見ると、メガネ屋さんである。
メガネ屋さんが、一体何を!?!?


鴨居玲ゆかりのお店

そのメガネ屋さんは大学堂といって、三宮センター街にある老舗である。
3年ほど前、そこでメガネを作った。
そこは洋画家、鴨居玲ゆかりのお店で、鴨居玲の絵が飾ってあるのはもちろん、鴨居玲のメガネケースなどオリジナルグッズも作っている。



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何年か前に美術館で鴨居玲の絵を見て以来、私は彼の絵に魅了されてしまった。
暗くて孤独で冷え冷えとした作風なんだけれど、洗練されていてクールでカッコいいのだ。
鴨居玲自身とってもダンディなイケメンだったらしくて、その人柄が忍ばれる。
もし生前に会っていたら、メロメロになっていたかもしれない。

その鴨居玲のオリジナルグッズがほしくて大学堂でメガネを作ることにしたのはいいが、ここはなかなかの高級店だった。
しがない会社員には、ちょっとした贅沢品。

その前に作ったメガネは、眼鏡市場で買ったバットマンモデルのもので、当時オーケンが掛けていたのと同じものだ。(『中2病の神ドロシー』のPVで掛けてるメガネがそれ。)
それでさえ2万いくらして「高いなぁ」と思った私が、大学堂でその4倍のメガネの値段を見たときには目の前がクラクラした。

ただ、お値段だけのことはあった。

バットマンモデルのメガネはちっとも私に似合っていなかった。

オーケンとおそろ」というだけの理由で買ったせいで、似合うかどうかは二の次だったのだ。
大学堂のは、ちゃんと似合うものを厳選し、重さも軽いものを選んでもらった。

サイズも合っているから、一日掛けていても疲れない。

購入時、私が鴨居玲が好きだというと、これまでにお店が作った鴨居玲のポストカード一式をプレゼントしてくれた。
それ以降、毎年グリーティングカードが届くのだけれど、それも全部鴨居玲の絵で、大学堂のポストカードを集めれば鴨居玲画集ができるのではないかというくらいだ。

贅沢なお買い物だったけれど、価値ある散財だったなぁ、と満足していた。


ベビーカー出動の第1回目で

そのメガネが大活躍したのは、産前産後だった。
それまで、会社に行くときはずっとコンタクトをしていたので、メガネは家にいるときしか使わなかった。
けれど、産前休暇に入ってほとんど家にいるようになると、一日中メガネで過ごすようになった。
出産して入院中も退院後も、3時間ごとの授乳で寝たり起きたりの不規則な生活なので、コンタクトなんて使っていられない。
ウトウトして、メガネをかけたまま眠ってしまったことも何度もあった。

あんまりメガネを酷使し、雑に扱っていたので、メガネがだんだんずれてくるようになった。
特に、授乳で赤ん坊の顔を見るのにうつむくと、たいていメガネが下にずり落ちる。
その度にメガネをクイッと上げる。
でも、赤ん坊を抱いていて両手がふさがっていると、そのクイッができなかったりもする。
メガネがずれているとすごく気持ちが悪い。
大村崑とか三木のり平とか、よくメガネがずれたままで平気だったもんだ。(古い例えしか浮かばない!ていうか、最近の人はメガネがずれてたら耐えられないんだと思う。)

1か月健診が終わって自由にお出かけができるようになったら、一番にメガネを直してもらおう、と決めていた。
一応、ベビーカーがOKかどうか事前に電話で確認をしてから、生後2か月のサトイモを連れて大学堂に行った。

メガネのツル部分の調整だけだろうと思っていたら、鼻当て部分をそっくり新しいものに交換してくれた。
恐る恐る、「お値段は…」と尋ねると、サービスだという。
「エエッ!?よろしいのですかぁ!?!?」
根っからのケチンボさんな私は、それだけで有頂天になってしまった。


そして届いた贈り物

その大学堂から宅配便で届いた箱。

開けてみると、中には社長自ら書かれた暑中見舞いのメッセージカードとともに、オリジナルのワインが入っていた。
ワインはもちろん鴨居玲ラベルである。

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なんと、出産祝いだという。
2か月の赤ん坊を連れて来店したというのを知って、贈ってくれたのだ。

嬉しい驚き!!

素敵すぎる!!

犬も歩けば棒に当たる、ベビーカーで外出すればワインがもらえる!!

…早く外出できるように、気温が下がってくれないかなぁ。

お食い初めと赤ちゃんの私

話は前後するけれど、土曜日にサトイモお食い初め式を行った。
食器はお食い初め用のものではなく、その後も使える実用的なベビー用食器をネットで買った。

ネットで調べてみるとお食い初めに必要なのは、

  • 歯がための石
  • 祝い鯛
  • 赤飯
  • お吸い物

といったところ。
歯がための石はお宮参りのときに神社でもらった。
赤飯は近所のスーパーで出来合いのものを購入。
お吸い物は同じくスーパーでパックのハマグリを買って私が作った。

そして、鯛と蛸といえば、これはもう釣りバカな夫の得意分野である。
両方とも明石の海で釣れる代表選手だからだ。
蛸は3週間前くらいに釣ってきたものを冷凍してあるのでOK。

問題は鯛である。
この日、是が非でも、絶対に絶対に釣ってくる、という約束で夫は海に出てくれた。

お食い初めは生後100日目に行うとされているから、本当は先週する予定だった。
けれども大雨が続いていたので、釣りに行けないので延期になっていたのだった。

内祝いを送ったお礼の電話をかけてきてくれた伯母にお食い初めの話をすると、
「“食い延ばし”って言うてなぁ、延期するのはええことなんやで」
と言ってくれた。

普段は釣りに行っても一匹も釣れない丸ボウズなこともあるのだけれど、この日、夫は約束どおり、魚焼きグリルにちょうど入るいいサイズの明石鯛を釣りあげてきてくれた。
さばいて塩焼きにするところまで、全部夫がやってくれて、私は見ているだけ。


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一応、手作りで質素ながら形になった。(と本人たちは自負しているのだけれどどうだろう。)

お食い初めで食べさせる真似をするのは父親の役目らしく、夫がサトイモを抱いてお箸を口に運んだ。
残念ながらサトイモはこのときも寝っぱなしで、目をつぶったまま渋い顔をして口をムニャムニャ。まったく、どこまで寝太郎なんだか。

豪雨で延期していたお食い初めがようやく果たせて、大満足。


どっちに似ているか

 

サトイモは周囲から夫にそっくりだと言われ続けている。

あんまり似ていると言われるもんだから、夫は自分の赤ちゃんのときのアルバムを引っ張り出してきた。

確かに、夫の赤ちゃんのときは今のサトイモにうり二つ。まるで同じ顔。
頭のハゲ具合も同じである。

でもしかし。
私も赤ちゃんのとき、ずっとハゲだった。
それでよく男の子と間違われたらしい。

夫にそっくりでもあるけれど、私の赤ちゃんの頃にも似ているはず!

それで実家に帰った際に私も自分のアルバムを引っ張り出してみたけれど、思ったよりも髪の毛があった。


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「でも、ちょっと似てない?」
「俺のが断然似とうわ」
「男の子と女の子やから。でも、全く似てないってことはないでしょ?」
「似てないよ」

納得がいかないので、父にも尋ねてみた。
サトイモと私の赤ちゃんの頃、似てるよねぇ?」

「似てへんな」

撃沈。

ちぇっ!

まあ考えてみれば、赤ん坊が父親に似ているというのは救いである。
母親は自分の身体で産んだから赤ん坊を自分の子として認識できて当然なんだけど、父親はそうでもないだろうから。
父親似で幸い。


やっぱり気になる発達

驚いたのは、お食い初めの写真で私はベビーチェアに座り、フォークを手にしていたことだった。


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サトイモは座るどころかまだ首が座っていないし、私の服の端をひっぱることはあってもまだまともに物がつかめない。

私が早かったのか、サトイモが遅いのか、うまく写真を撮っただけなのか。

発達は赤ちゃんの個性によってそれぞれだ。

よその子と比べて早いだの遅いだの言ってもしようがないし、スピードを気にすることはない。…と、わかっているものの、やっぱり比べてみてしまう。
今回は自分との比較だけれど、これから山ほどこんなことが起きるんだろうなぁ。

子供の頃から何度も何度も繰り返し見た、自分の赤ちゃんのときのアルバム。
けれど、こんなに発見があったのは初めてだ。

自分目線で懐かしく見るのではなく、サトイモとは別の赤ちゃんの成長記録として親目線で見てしまった。

客観視すると、これまで見えていなかった手書きの添え書きが目についた。
誰から何をお祝いにもらったとか、何か月でどんな状況だったとか、その写真は何月何日何のときに撮ったものか、写真に説明が書かれていたからだ。
父の字もあれば、母の字もあった。

今はスマホでばんばん画像が撮れるだけに、デジタルのままデータをためっぱなしになっている。
「やっぱり紙ベースで残してやらなあかんなぁ。こうやって手書きしたら、愛情がわかるやんか」
と夫が言った。
「これ見とったら、一人っ子で大事にされたのがようわかるな。そらワガママに育つわ」
「ワガママは余計!!」

夫が言うように、1歳の誕生日くらいには0歳の記録を紙のアルバムにまとめようか。
面倒くさがりだから、やっぱりアプリにお任せしちゃうかもな~。

3回目のお見舞い

日曜日は3回目の実家帰省。

「こんにちは!」
と玄関を開けると、出てきた父は白いステテコ姿だった。
「何その格好!」
と私が呆れると、まだ衣替えができていないという。

もう7月なのに!?
「夏服を探さなあかんあかんと、ずぅっと思とんやけど」
父が服を探すスピードより、夏が来るスピードのほうが速かったらしい。

そういえば先月来たとき、父はまだ長袖ネルシャツを着ていたので、夫が驚いていたっけ。

毎年、季節の変わり目には私が服の入れ替えを手伝っていたので、こうなるのも仕方ない。
しまっている場所は同じなのに、父は毎回忘れてしまう。
とりあえず夏服の場所を伝え、

「今からお母さんの病院に行くけど、服取って来ようか?」
と言うと、
「お父さんは行かへんわ。足がやばいんや」
と自分の腿を叩いた。

確かに、この猛暑の中、父に無理をさせないほうがいい。
父は脳梗塞を2回とも真夏に起こしている。
水分不足から血がドロドロになるせいだろう。

「トイレが近くなるかもしれんけど、お茶か水はちゃんと飲まなあかんのやで!」
うるさがられるのはわかっててお小言を言うと、

「大丈夫、紙パンツはいとう!」

と、父は自慢げに言った。

 

母の病院で

 

病院に行くと、いつもの病室に母がいない。
どうやら病室が変更になっているようだった。

引っ越し先は前の病室の向かいだったので、ナースステーションに尋ねなくてもすぐにわかった。
今度の病室と前の病室との違いは、部屋の静けさである。
前の病室では向かいのベッドのおばあさんがずっとテレビを見ていて、その音がもれて聞こえていた。
私は逆にそれがありがたかったのだけど、今度の部屋は静かで退屈そうなのが心配だ。

その静かな部屋で、母は起きていた。
私を認識すると、うれしがっているような、泣いているような、そんな顔をして「あ~~」と言った。
夫がサトイモを抱いて連れてきてくれて、母に見せてくれた。

「あ~~」

過去2回ともはちょっとだけしか対面しなかったけれど、今回は看護師さんがイスを出してくれたのもあって、夫に座ってもらって前よりも長く母に孫を見てもらえた。

「月イチでしか来れなくてごめんね。退屈でしょう」
目の周りにたくさん目ヤニがついているのを、清浄綿で拭きながら話しかける。
「そうだ! ひばりちゃんの曲でも聞く? スマホでかけてあげようか? あ~、しまった、イヤホン忘れてきちゃった。音、ちょっとくらいいいよね?」
私がそう言ってスマホを取り出すと、

バンバン、バンバン!!!

隣のベッドのおばあさんが、手でベッドを叩いた。
どうやら怒っているらしい。
うるさくするなという意味のようだ。

「あ、どうもすみません…。やめます…」

曲をかけるのは断念。
次来るときは、イヤホンを忘れないようにしよう。

「こないだサトイモお食い初め式をしたんだよ~」
などと母に話しかけながら、乾燥して粉がふいている母の手足にクリームを塗った。

それより驚いたのは、脚の硬さだった。
膝の間には床ずれ予防のためにクッションが入れられている。
クッションを外してクリームを塗ったあと、クッションを元に戻そうとしてもなかなか脚が開かないので入れられない。
すごい力で頑張って戻した。
身体全体に拘縮がきつくなってきているけれど、相当な硬さである。

クッションを入れるのでさえ一苦労なのに、オムツ替えはどうやっているんだろう、と看護師さんたちの苦労を思った。
いつもオムツ替えのときは二人体制で回ってきているのも納得だ。

母の最期を在宅で看取れないか、とときどき考えていた。
いよいよ、というときになれば、自宅に戻してもらって、家族と好きなように過ごせないか。
私が育児休業中なら、なんとかなるんじゃないか、と。

けれど、足を開くのでさえ難儀をするような状況では、たとえ数日でも在宅で介護はできないな、と認識を新たにした。

鼻からチューブで入れる栄養にしろ、痰の吸引にしろ、私ができないことが増えていく。

病室から去る前に、サトイモの写真を病室の壁にメンディングテープで貼りつけた。
もし病院に写真を貼っていいかどうか尋ねたなら、きっとダメだと言われるに違いない。

だから、はがされるのを承知で勝手に貼った。

昨日病室に行った父に尋ねると、やはり写真を貼るのはダメだと注意されたらしい。
壁に貼るかわりにベッド柵ならかまわないからと看護師さんが写真を貼り直してくれたと聞いた。
「こっちのほうがよう見えるやろって言うとったで」
と父。
今の病院にいることが心配でしかない。

けれど、この病院なりによくしてくれていると信じて、あまり悲観しないようにしよう。

延命治療とおひるねアート

未曾有の大水害とかオウム真理教の死刑執行とか、心がざわざわするニュースがTwitterのタイムラインに流れてくる中、あるツイートが目に留まった。
大口病院の中毒死事件に関するものだった。

その事件についてはテレビのニュースで見ていたはずだけれど、詳細は聞こえてなくて、「また看護師による殺人事件か」というくらいにしか思っていなかった。
だから、そのモーメントが高齢者の延命治療について書いているのを読んで、背中が凍るような思いになった。

 

 

うちの母が今いるのも療養病棟である。
身体も動かせないし、しゃべれないし、ごはんも食べられずに鼻から栄養を流し込まれている。

延命治療と言われても仕方がない。

でも、救急で入った前の病院でも今の病院の転院時の説明でも医者と話したけれど、
「鼻からの栄養をやめたら数日で死にます。それでいいですか、という話です」
と言われてしまうと、とてもじゃないけどそんな決断はできなかったことを思い出す。
「目が開かなくなったら、そのとき中止を考えます…」
と答えたのが精いっぱい。

延命治療はやめましょう、と言うのは簡単だけれど、「やめます」の判断を任される家族はつらい。

かといって、延命治療をし続けて本人の苦痛が長引くのもつらい。

つらいのループ。


生きている意味をどこに見出すか

在宅と施設の半々で介護していたときは、まだ母に生きる楽しみを与えてあげられていたと思う。
口から食事が摂れていたのもあるけれど、ほかにも、音楽を聞かせてあげられたし、マッサージもしてあげられた。

介護スタッフの皆さんも優しく話しかけてくれていた。

でも今、療養病棟ではそのどれもを失ってしまった。

今だって、音楽を聞かせたり、マッサージをしたりすることはできる。
…私が帰りさえすれば。

サトイモを連れて実家に帰ろうか…。
でも、あんなニコチンまみれの家でサトイモを育てたくはないし、父の世話までしないといけなくなると私の身が持たない。

母のことをもっと父に頼めたらいいのだけど、リップクリームさえ塗ってくれない父には、母に楽しみを与えようなんて気持ちはサラサラ持っていない。
かといって、私が父に頼むのをやめてしまうと、つらい思いをするのは私でも父でもなく、母である。
母のためを考えると、根気よく父にお願いするしかない。

父のメールによれば、母はますます覚醒時間が減っているようだ。
「お母さん寝ていた頭さわっても起きない帰る」
というメッセージが定例化している。

目を覚まして苦しい思いをするなら、眠っていてくれたほうがまし。

そして楽しかった若い頃の想い出を夢に見ていてほしい。

人間は「肉体という牢獄につながれている魂」だと言ったのは誰だったか。
死によってだけ解放される。

苦痛は怖い。
でも、死も怖い。

考えていると、睡眠不足なはずなのに、夜眠れなくなった。


赤ん坊との日常は楽しくめぐる

母の療養病棟の現状と延命治療について暗い気持ちになった翌日、サトイモと「おひるねアート」の撮影会に参加してきた。
おひるねアートとは、床にシートを敷いてレイアウトをして、その上に赤ちゃんを寝かして撮影する写真アートのこと。

主催者の人に聞いたら、「お昼寝中の赤ちゃんを起こすなんてひどい!」と苦情を言ってきた老人がいて開催できなかった会場があるらしいけど、それこそまさに老害というもので、「おひるね」と名前がついているだけで赤ちゃんは寝てるわけではない。
立っているのではなくて寝ころんだ状態で撮影するという意味だ。

人気の講座で、かなりの倍率の抽選だったのを運よく当選した。
私はくじ運が良くないほうなので、サトイモのくじ運に違いない。

この調子で運の良い子に育ってくれますように。


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今度実家に帰るときにはこの画像をプリントして、母の病室の壁に貼っちゃおうか。

サトイモが自分の孫だってわかるかな?