3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

ようやく通常運転

弱音を吐いたせいで、5人もの友人が心配して連絡をくれた。

おかげで元気が出て、水曜日にはほぼ咳もおさまって、木曜日には確定申告にも行けた。

ようやく通常運転。

さっきまでオーケンが出てるのでNHKの「おやすみ日本」を観てたところ。

眠いいね。

そろそろ寝なきゃ、また風邪ひいちゃう。

ご心配くださった皆様、すみません。

いつになったら元気になれるのか。

2月の半ばに引いた風邪をまだこじらせている。

咳が原因なのか肋間神経痛になり、腕を動かす度に痛みが走るようになった。

風邪が治りかけたと思ったらぶり返し、微熱が続くと思ったら今度は胃腸炎に。滝のように吐いて悶え苦しんだ。

風邪ってこんなにつらいものだったっけ?

毎日一度は、誰か助けて!と心の中で呟く日々。

こんな折りに夫はドイツに出張中。頼れるのはお姑さんだけ。お姑さんが助けてくれなかったら、本当にのたれ死んでいた。

でも、お姑さんが助けに来てくれるのは、私のためではなく孫が心配だからなだけ。

父も私が病気なのは知っているはずなのに、よこしてくるメールは「サトイモは元気か?」ばかり。

当のサトイモは、へばって倒れている私の髪の毛を容赦なく引っ張り、抱っこをせがんで泣きじゃくるばかり。

誰も私のことを心配してくれる人はいない。

身体が弱ると心も病むので、孤独で惨めな気分が止まらない。

「母親がそんなんでどうするの」

とはお姑さんの言葉だが、風邪を引きやすくて身体が弱い私は、まったく母親失格だな。

ああ、私母親に向いてない、って、初めて思ったわ。

このしんどい身体から、どうやれば脱出できるの?

ひどい風邪

先週からひどい風邪に苦しんでいる。

病院に行って、インフルエンザではなかったのでほっとしたものの、熱はなかなか下がらないし、咳は苦しいしで毎日がつらかった。

おとといようやく熱は下がったけれど、まだ咳が続いている。

咳き込みすぎて吐くほどで、咳のせいでろくに眠れもしない。

 

そもそも子育てしていると、しんどいからといって寝ていられないし、キツい薬は飲めないし、

「なんで風邪なんて引いてしまったんだろう」

と悲しむばかりだ。

サトイモは元気なのに、私のせいでお外に出られない。ストレスがたまっているはず。ごめんね、サトイモ

早く良くなれ、私 !

ママ友なんて欲しくない

最近の平日はほぼ毎日、児童館か子育て広場に行っている。
そういう場所にはいろんなオモチャや絵本があり、節分など季節ごとのイベントも行われるので楽しい。
サトイモはまだ友達と遊べるほど成長していないけれど、ときどきオモチャを取り合ったり、頭や身体を撫でられたり撫で返したりしている。
ちっちゃなことだけれど、そういう交流から何かしらいい影響を受けているはずだ。

しかし、児童館に通う理由は、サトイモを遊ばせてやりたいというより、家の中で二人きりでは間が持たないということに尽きる。
家にいると、オモチャにはすぐに飽きてしまい、あっちの引き出しこっちの開き戸といじくりまわし(もちろん決して開けさせたりはしない)、魚焼きグリルを引っ張り出し、ゴミ箱を倒し、タオルかけや室内物干しにぶら下がる。

だから連れ出さざるをえないのだ。
「それはやめて」「これはダメ」では息が詰まってくる。
だから児童館などの外出先があるのは、本当にありがたいことだ。

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そんな折、『母をたずねて三千里』のとあるエピソードを思い出す。
マルコが旅先で出会ったある親子のこと。
(例によってうろ覚えなので違ってたらごめんなさい。)
荒野の中にポツンとある一軒家に母親と幼児が住んでいて、マルコは宿を借りる。
子どもは言葉をカタコトしゃべれる程度なので、2歳くらいだろうか。
マルコが連れているアメデオをとても喜ぶ。
母親は「さみしい暮らしだから泊まってくれてうれしいわ」と、マルコにもう少し長く滞在してほしいと言う。
幼児もアメデオと別れたくなくて、マルコが出発するのを泣いて嫌がる、というほっこりする話。

母と子の孤独を思った。
寂しいだけではなくて、安全面でも不安でいっぱいだ。
強盗などの荒くれものがやってくるかもしれない。
コヨーテなどの動物だっているかもしれない。
病気のときは?ケガは?
女性ひとりに幼い子供。
出稼ぎの父はいつ帰って来るのか。
なんて頼りない暮らしだろう。

今、満10カ月の赤ん坊と二人で暮らしていて、あの親子のことを考えるとゾッとする。
私だったら耐えられない。
ああ、荒野の一軒家じゃなくてよかった。


ママがブロックで遊んでいたら変ですか?

 

児童館に通い始めて2回目のとき、帰るのに靴を履いていたら、年配の指導員にこう声をかけられた。
「大丈夫よ、やがて仲間もできるからね、通っておいでね」

その言葉が私にはとても意外だった。
あれ、私、友達が欲しそうに見えてたのかな?

ドーナツのオモチャを無心でしゃぶり続けているサトイモの横で、私はブロックで完成度の高いジャングルを作ろうと夢中になっていた。
ほかのママたちは見向きもせずに。
その様子が寂し気に見えたんだろうか。

挨拶ぐらいはするけれど、ほかのママたちに積極的に話しかけることはしなかった。
荒野の一軒家は寂しいけれど、児童館でおしゃべりをしに来ているわけじゃない。
ママ友が欲しいなんて、思ってもみなかった。
どうせ、意識的に話しかけなくても、何度か会って顔見知りになれば自然と挨拶や軽い世間話をする程度の知り合いになれるだろう、と気楽に思っていたのもある。
だから何も心配していなかったし、焦りもしなかったし、実際、何度か会っている人とは簡単な会話くらいする。
なのに「大丈夫よ」なんて励まされると、なんだか私は大丈夫じゃない人に見られてるんだろうか、と思ってしまった。

でも、よくよく考えると、児童館の人がそんなふうに声をかけるのは、多くのママが友達を欲しがっているからなんじゃないか。

私は40過ぎで、これまでの長い生活基盤があるから、既存の友達や知り合いがいる。
それに、もともと一人で外食に行ったり旅行に行ったりできるくらい、一人に耐性がある。
だから、わざわざママ友なんて新しくほしくない、という発想になるのだけれど、何も持ってなければどうだっただろう。
荒野じゃなくても、見知らぬ土地で慣れない環境だったら?

うーん、それでも必死に友達を作ろうとはしないかもしれない…。
経験上、本当の友達はなろうとしなくても自然に仲良くなっているし、作ろうとしてなった友達なんてすぐ離れてしまう知り合いでしかないから。

 

島根のママに声をかけられた

 

そんなことを考えていたある日、児童館からの帰りにあるママに声をかけられた。
「おうちはどっち方面ですか? 途中まで一緒に帰りませんか?」
あ、じゃ、一緒に行きましょう、と答えて、私たちは少しの間商店街を歩いた。

そのママに会うのは2回目だった。
ある意味で、ちょっと気になっていた存在だった。

というのも、初対面のとき、彼女はその場にいたママたち一人ひとりに、
「はじめまして、○○です」
と挨拶をして回っていたのだ。そんな人は珍しい。
挨拶をされた常連のママたちは、
「あ~、ど~もよろしく~」
と軽くかわして、それ以上会話をすることがなかった。
なんだかわからないけれど、その光景がひどく気持ち悪いものとして印象に残っていた。

うまく言えないけれど、彼女は人付き合いがナチュラルにできないタイプに見えた。
ほんのちょっとだけのことで、断定はできないけれど、小中高生時代にクラスによくいた「なじまない子」を彷彿とさせるものがあった。
一生懸命友達を作ろうとしているのに、どうもうまくいかずにあがいていて、それがちょっと痛々しい、そんな雰囲気だ。

だから一緒に帰ろうと誘われたとき、
「やっぱり彼女は友達が欲しいのか…」
と、来たな、と思ってしまった。

イントネーションが関西方言ではないので、出身を尋ねると島根だという。
詳しくは聞かなかったけれど、「見知らぬ土地慣れない環境」というクチか…、と合点がいった。

私は夕食の食材を買って帰りたかったので、
「いつもお買い物はどうされてます? このあたりで買ったりします?」
とふってみたら、
「いつもGAPです」
と返ってきたので、面食らった。
「ああ、ごめんなさい、服じゃなくて野菜とかのつもりだったの。」
と慌てて訂正し、
「この先にある八百屋ってすごく安いんですよ!」
と誘うつもりで言ってみたけれど、
「そうですか」
とスルーされて、店の前も通り過ぎてしまった。

そのすごく安い八百屋は狭い店で、ベビーカーが入らない。
二人なら交代で店に入れるから買い物ができるのになぁ、と私は目論んでいた。
交代で野菜を買わない?、そう提案してもよかったけれど、私の心のどこかでブレーキがかかった。純粋に友達が欲しい彼女を利用することになるんじゃないか、と。
仕方ない、八百屋はあきらめて家の近くのスーパーに行くか…、とちょっとがっかりしながら。

 

泣いたKちゃんの思い出

 

彼女はなんとなく、私の中学時代の同級生のKちゃんを思い起こさせた。
いじめられていたわけじゃないけれど、友達のいない、存在感が薄く大人しい子だった。

合宿だかバス旅行だかで、グループ分けをしなければいけなくなったとき、私は人数合わせにKちゃんを誘った。
私の仲の良い友達グループが3人だったのに対し、4人ごとの班にならなければいけなかったからだ。
Kちゃんはとても喜んだ。
その後、再びグループ分けをする行事があった。
今度は5人組。
私たち3人は、2人の仲良しさんと一緒に組んで班を作った。
Kちゃんが一人余った。
その瞬間、教室で突然Kちゃんが泣き出した。
普段、声が小さくて、発表のときも聞き取れないくらいのKちゃんが、「そんな声出るんだ」というくらい大きな声を出して泣いた。

…私が悪かったのだ。
友達のふりをして人数合わせに利用して、状況が変わったら捨てた。

ごめんね、ごめんね、と何度も謝ったけれど、意地の悪い私は班組を変えなかった。
だって、Kちゃんを入れたらあと一人の班員に困るじゃない?
それに、それに、…Kちゃんはどうしても一緒の班になりたい仲良しじゃなかったんだもの。

残酷だけれど、友達にはフィーリングというものがある。
一緒にして楽しい人とそうでない人がいる。
会話が盛り上がる相手と、どうやったってかみ合わない相手がいる。
Kちゃんは、班のメンバーとして一緒にやっていけるけれど、日常から一緒に遊びたい相手ではなかった。

どうやったらKちゃんを傷つけずにいられただろう。

あのときのことを思うと、今でもどうすればいいのかわからない。

ちなみに、その後学年が変わると、Kちゃんにも仲良しの友達ができていた。
そのグループでは、饒舌にしゃべっている声を聞いたことがある。
良かったなぁ、と思う反面、なんだか私は「あのときはいい面の皮だった気な」とも思う。

結局、無理に友達を作ろうとしたって無駄だということ。

島根の彼女からは、
「また会いしましょうね」
と言われて別れたけれど、私はちょっと気が重い。
ママ友なんて欲しくないんだ。

物をもらうということ

まんが日本昔ばなし」の絵本を全巻持っている。
子どもの頃に買ってもらったものだ。
1巻はauのCMでおなじみの3太郎。
奥付を見ると昭和55年10月20日第13刷発行となっている。
値段はなんと260円。さすがに安い。


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まだお話には興味を示さないサトイモだけれど、私が自己満足のために読み聞かせをする。
できるだけ市原悦子になりきって読む。
「もっと悦子風に!」
と思うだけで、同じ話を繰り返し読んでも全く飽きない。
どうやればもっと悦子になれるだろう。

そんな私なので、市原悦子が亡くなったのはショックだった。
樹木希林と違って突然だったので余計である。

先日、『ぴったんこカン・カン』で追悼のためにやっていた市原悦子樹木希林の回を見た。
実は偶然、最初の放送のときも見ていて、本当に面白かったのでもう一度見ることができてうれしかった。
ああいう婆さんたちになりたいともなれるとも思わないけれど、見ている分には本当に面白い。

その中で、二人が、
「物をもらうのもあげるのも嫌い」
と言っていたことがひっかかった。
しがらみが嫌で、自由でいたいという、大女優の二人らしい。

大女優ではない私は、物をもらうのもあげるのも好きだ。
だから不自由な女なのかもしれない。

物を通したコミュニケーション

結婚・出産を通じて、お祝いを少なからずいただいた。

先輩ママの友達からはお古もいただいた。
お姑さんやお姑さんの妹さんからはしょっちゅう食料やお菓子を差し入れていただく。

「誰それから○○をいただいたよ」
と私が報告したりすると、夫は必ず、
「ええ迷惑やな」
と言う。
人付き合いが好きではない夫は大女優派なのだ。
「迷惑だなんてとんでもない! うれしいよ!」
と私は慌てて否定する。

「買われへんほどビンボなわけちゃうやんか。お礼せなあかんだけ面倒くさくない?」
というのが夫の理論である。
「人がくれるものは自分で買わへん物やったりするから面白いのよ。お礼を何にしようか考えるのも楽しみのうちやし。」
「ふーん、考え方が全然ちゃうんやな」
「男女で捉え方がちゃうんかもしれへんね」

大女優は別として、一般的に物でやりとりするのはおばちゃんの感覚な気がする。
「安かったからようさん買うてん。ちょっとおすそ分け」
とか、
「これめっちゃ便利やったよ。ちょっと使こてみて」
とか、
「これ美味しいから、ごはんのときにご家族でどうぞ」
とか、物と一緒におしゃべりがついてくる。
そして、物が行ったり来たりするのと同時に人も行き来する。
そういえば、先日遊びに来てくれた大学の先輩から、マスクケースと速乾タオルをいただいた。
「どうして…?」
と尋ねると、
「赤ちゃんにはみんなあれこれくれるでしょうけど、ママには誰もプレゼントをくれないでしょ」
という言葉をいただいた。
物には優しさも詰まっているのだ。

お古のありがたさ

服にうるさい夫は、サトイモの服を見ては、
「それどこで買うたん?」
と尋ねてくる。
「これは○○さんのお古」
と答えると、
「お古ばっかりで可哀想に。サラ着させたり」
と言う。

お古は果たして可哀想だろうか。

夫が言うように、新品が買えないほど貧乏なわけじゃない。
けれど、節約以上に、お古をもらうメリットを感じている。

大人だったら好きなファッションをすればいいだけだけれど、赤ん坊は違う。
デザインの問題じゃない。
機能性が最も重要だからだ。
私自身が、赤ん坊に何を着せればいいのかがわかっていないので、お古でもらったものによって、
「この月齢だったら、○○ちゃんはこんな服を着てたのか」
と参考になる。
それを実際に着てみると、メリットや使い勝手もわかってくる。

服だけじゃない。
オモチャについても、お古でよく遊んでいる。
先輩赤ちゃんがいっぱい遊んだものは、サトイモもよく遊ぶ。

トイザらスでずらりと並んだオモチャを見て、どれがいいのかわからず選ぶのにやたら時間がかかってしまうのに比べて、すごく時短で効率的でもある。

これまた別の先輩からいただいオモチャに、「なめられ太郎」というのがあった。
大人からするとひどい見た目の人形で、もらったときは正直、「これはいらんわ」と思った。 

ノンキャラ良品 なんでもなめるようになったら なめても安心なめられ太郎 3代目

ノンキャラ良品 なんでもなめるようになったら なめても安心なめられ太郎 3代目

 

 「何じゃコレ、と思ったやろ? でも子どもはめっちゃ食いつくから! だまされたと思ってもらっとき!」

そう言われてもらった「なめられ太郎」だったけれど、言われたとおり今やサトイモのお気に入りのオモチャである。
サトイモがいつもなめているので、お姑さんが見て、
「その気持ち悪いの好きやなぁ。何がええのん?」
といぶかしがるほどだ。
さすが「なめられ太郎」、名前どおり。

最近、友達の奥さんが妊娠中で、3月が予定日だという話を聞いた。
「お古いるか声かけてみようかな」
と私が言うと、夫は案の定、
「やめとき。ええ迷惑やで」
と言った。
それでも私はあえて、メールを送ってみようかと思っている。

9カ月健診の覚え書き

先日、サトイモの9カ月健診を受けた。
4カ月健診と違って、区役所ではなくかかりつけ医での受診だった。
年明けにじんましんのことでアレルギー外来に相談に行ったばかりだったので、
「その後、じんましんはどうですか?」
と先生に尋ねられた。

アレルギー外来で、
「卵は?」
「全卵食べられます」
「え?全卵!?どうやって!?」
「溶いたものをゆっくり火を通してドロドロにしてですけど…」
「ミルクは?」
「ミルクって?」
「粉ミルクです。飲めますか?」
「生まれたときから飲んでますけど…」
「小麦粉は?」
「最近食パンのおかゆを食べるようになりました」
というやり取りをして、
「それだけ食べられるなら、食べ物が原因ということはまずないでしょう。卵、牛乳、小麦が食物アレルギーのほとんどなんです。それ以外もまれにありますが、まず考えにくい。そうなると、正直、今回の原因を特定することは困難です」
と言われてしまった。

私がハウスダストとカビのアレルギーがあるので、そうじゃないかと尋ねると、
「この月齢でハウスダストのアレルギーはありません」
と先生はキッパリ断言した。
結局、もしまたじんましんが出たときに対処するための錠剤と塗り薬を出してもらった。
お守り代わりのようなものだ。
「おかげさまで、あれから一度も出てません」
健診はまずそこからスタートした。


9カ月健診の内容と結果

 

目のチェックをして、
「この子は少し斜視のように見えますが、斜視ではありません」
と言われた。
赤ちゃんは鼻が低いのでより目に見えがち、というのは情報として知っていたので心配していなかったけれど、はっきり言ってもらえて安心できた。

おすわりができるかどうかのチェックをするときに、棚に並んでいるアンパンマン人形の一群からドキンちゃんを渡されると、サトイモは躊躇なくかじりついた。
「すみません、よだれだらけにしてしまって」
と私が謝ると、
「気にしないでください、みんなそうですから」
と言われ、逆に、いろんな子たちのよだれまみれの人形じゃないのかと、こっちが気になってしまった。

オムツ一丁のサトイモの身体を腹ばいにさせたり起こしたり、身体を傾けて歩かせてみたり、腹ばいに落とそうとしてみたりした。
「これがホッピング反応、これがパラシュート反射です。どちらもできてますね」

それで検査が終わりそうだったので、
「あのう、4カ月健診のときに陰嚢水腫と言われたんですが…」
と尋ねると、
「あのね、誰だって左右の玉の大きさは違うもんです。全く同じなんて人はいませんよ。旦那さんに聞いてみるといい。全く気にすることないです」
と先生が言う。
私だって全く気にしていなかったけれど、4カ月健診で陰嚢水腫があるせいで「異常あり」にされ、かかりつけ医で経過を観察してもらうように言われたから尋ねたんだけど。
そもそも陰嚢水腫って玉の大きさが左右違うだけのことなの?
毎日オムツ替えしてるけど左右差なんて全然わからない。
だいたい、その部分の見た目にこだわる人がいるだろうか?
だったら最初から「異常あり」になんてしないでほしいもんだ。

結果、
「月齢相当の発達です」
というのが今回の結論。
歯が一本も生えていないのは相当遅いはずだけれど、それはかまわないらしい。
今度は何もなくてよかった。


追いついた!

 

 

医者による診察の前に、身長体重測定と看護師による問診があった。
問診では普段の生活や離乳食についてヒアリングがあった。

夜はよく寝てくれるし、離乳食もパクパク食べてくれる。
最近では離乳食が一日3回になって、量も増え、食事に追い回されている日々だ。
そのおかげで身長はぐんと伸び、とうとう平均身長に追いついた。
低出生体重児で生まれて、「小学校に上がるまでには追いつくよ」なんてよく言われたけれど、9カ月でもう追いついてしまった。

夫がときどき、眠っているサトイモを眺めながら、
「このまま大きくならんとってほしいなぁ」
とつぶやく。
私は
「やめてよ、そんなん困るわ」
と言うものの、どんどん成長するサトイモを見ていると、うれしいけれどちょっぴりだけ寂しい。

かつて会社の先輩がこんなことを言っていた。
「子育てで一番感動したのは幼稚園の卒園式やわ。変化がすごく大きいもの。入園したときはできひんかったことが、あんなことができるようになった、こんなこともできるようになった、って考えたら涙が止まらんかったわ」
それを聴いたときは、自分が子育てするなんて思いもよらなかったので、そんなもんかな、と思った程度だったけれど、今はよくわかる。

今はつかまり立ちできるのがうれしくて仕方ないサトイモ
立ち上がると、これまで見えなかった世界が見える。
それがうれしくてたまらないらしい。

楽しそうにしているのは親としてもうれしいけれど、これまで手が届かなかった場所に手が届くようになって困っている。

テーブルの上、棚やラックの上など、物は全部片づけておかないと何をされるかわからない。
気が付くと、引き戸や開き戸に手をかけて開けようとしている。
早くロックをつけなければ。

成長が早い。

日々のごはんに追い回されているうえに、対策がまた後手後手になっている。

愛情と行動とひどい母親像

元旦の話。
さておせち料理を食べようか、というそのとき、父がこんなことを言った。
サトイモくんの将来を見たぞ」
いきなり何を言い出すのだ、と思ったが、どうやら夢の話らしかった。

書写山に連れていって円教寺を見てな、雪彦山にも登ったんや。ほんで次は新舞子で潮干狩りをしようか、いうことになっとったんやけど、サトイモくんが友達を連れて来たんや。参ったな、二人連れて行くなら車で行かなあかんな、待てよ、運転免許の切り替えはあと2年やった。サトイモくんが10歳やということは、俺は90歳か? もう免許が切れとうやないか、どないしよ、いうて目が覚めたんや」

免許の更新というリアルなところが夢に出てくるのが面白い。
運転ができない以前に、父の脚では山登りどころか平地の散歩でさえ難しいのだけれど、書写山雪彦山に登っているのがさすがに夢である。

「正月早々いい夢を見ましたね」
と夫。
「あと10年、もつかなぁ」
と父。
「10年も経たなくても、あと4、5年で走り回るようになるけどね」
と私。
夢に見るほど父がサトイモの成長を楽しみにしてくれているのだと思うとうれしかった。

家に帰ってから、夫がサトイモを抱きしめながら、
「おまえはえらいやっちゃなぁ。いろんな人を幸せにしてくれとんやなぁ」
と頬ずりをした。
サトイモは小さな手で夫の頬をアイアンクロー。
私もよくやられるから知っているけれど、爪が小さいからメチャメチャ痛い。
それでも夫は、イテテテ、と言いながら喜んでいる。
本当に、サトイモはみんなを幸せにするえらいやっちゃ。


それでもタバコはやめられない

父はサトイモを可愛く思ってくれているはずなんだけれど、それでもタバコはやめない。

さすがに同じ部屋では吸わないけれど、家じゅうにタバコの煙が充満している。
隣の部屋で吸っているとき、ドアを閉めるように注意すると、
「大丈夫や、そっちに煙は行きようへん」
と言う。
「大丈夫やない! それに、大丈夫かどうかはこっちが決めることや!」
と怒鳴りつけてしまった。

ミルクを作ろうとキッチンに行くと、ダイニングテーブルで父がタバコを吸っていたこともあった。
「そこでタバコを吸われると、私がキッチンで用事できなくなるからやめてって言ったよね!?」
「わかった、もう消す」
そう言いながら、父はまだ一吸いしようと口へ持っていくので、
「まだ吸うか!」
と頭に来た。

どうして月に1回、数時間の我慢ができないのだろう。
タバコを完全にやめてくれとは言っていない。
せめて私たちが来ているときだけやめてくれ、という願いが聞き入れてもらえない。

孫は可愛いけれど、タバコは我慢できない。

つまりは自分自身のほうが可愛いのだ。

「今度そこでタバコ吸ってたら、二度とサトイモを連れて来んからね!」
そう釘を刺したら、少しは反省したように見えた。
来月になったらわからないけれど。


愛情と行動は別物

夫はサトイモのことをメロメロに可愛がっている。

「ほんまにおまえは特別可愛いなぁ。特別な赤ちゃんやから、特別賞や」
と毎回特別賞を授与している。

けれど、だからといって毎日家には帰ってこない。
これまでどおり、半分は実家だ。
そのほうが家事の負担が減るので私は助かるけれど、行ったり来たりで逆に疲れないんだろうかと思うくらいだ。

父がタバコをやめないのと同様、夫もサトイモが可愛いからといってベッタリ一緒にいたいわけではないらしい。
それはそれ、これはこれ、なのだ。

かくいう私だって、サトイモのことはメチャクチャ可愛いけれど、ときどき面倒くさくなると泣いていても知らん顔してしまうときがある。
余裕があるときは泣いたらすぐ抱き上げるのだけれど、何をやってもすぐ泣き出すときや、何かをやっていて手を放したくないときは自分でも恐ろしく冷たくなる。
「今ごはん作ってるんだから。泣いても知らないよ」
とわかるはずないのに、泣いている赤ん坊に言い聞かせる。
かわいそうなサトイモ

かつて茂木健一郎先生の講演会を聴きに行ったことがあった。
たくさん面白い話を聴けたけれど、その中にこんな話があった。
兄弟姉妹のIQを調べると、たいてい上の子のほうが下の子より高い結果が出る。
それはなぜかというと、赤ちゃんの頃に親がどれくらい子供をかまったかに比例しているのではないか、というのだ。

その話が頭にあるから、サトイモにはできるだけ丁寧に接してあげようと心がけている。
にもかかわらず。

わかっているのに、面倒くさいとついほったらかしてしまう。

…ダメだなぁ。


比較対象として思い出すもの

その反面、反省するかというとそうでもなくて、

「これまで一度だって母親になりたいなんて思ったことない人間がやってるんだもの、良い母親になんてなれなくて当然だよね」
と開き直ってしまう。

 

そしてときどき、映画『闇金ウシジマくん Part2』の木南晴夏を思い出す。

ヤンキーの妻で、ホストクラブにはまっている最低な女。
家のシーンでは後ろでずっと赤ん坊が泣いているのだ。
赤ん坊がいるのにどうしてホストクラブに通えるんだろう?と疑問に思うけれど、答えはひとつだ。

赤ん坊を一人で置き去りにして夜遊びに行くといえば、『ジョジョの不思議な冒険 黄金の風』のジョルノの母親もそうだった。
暗い夜のなか一人ぼっちにされる赤ん坊のジョルノは、どんなに不安で心細かったことだろう。

ウシジマくんもジョジョもフィクションだけれど、おそらくこういう母親が実在するんだろうと思う。
赤ん坊を持つ親としては、とても考えられないことだけれど。

そんな母親たちに比べれば、私なんて全然マシ!
夜遊びしないだけまともな母親じゃん。

日々、上を見ずに下と比べて、自分を甘やかしている。