3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

一人カラオケに行ってみた。

声帯ポリープ除去手術後のオーケンがブログで、
オーケンのかわりに皆さんカラオケ行ってオーケンの曲を熱唱してはいただけませんか」
と呼びかけたので、‘おでん’ことオーケンファンたちがこぞってカラオケに出かけている(らしい)。

だったら私も!と、昨日は会社帰りに一人カラオケへ出かけることにした。

一人カラオケ
皆さんやったことはおありだろうか。

お一人様ブームということで、一人焼肉や一人遊園地なんてのがあるみたいだけど、一人カラオケも難易度が高いものの一つらしい。
たいがいのことは「一人でできるもん!」な私でさえ、昨年までは、
「カラオケ屋に一人で行くのはちょっと恥ずかしいなぁ…」
と思っていた。

ところが、去年新しく元町にできたネットカフェで、お一人様用のカラオケがあると知り、それなら平気かも!とチャレンジしてみたのだ。

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ネットカフェ「快活CLUB」。

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安い!

ワンツーカラオケと名付けられているカラオケルームはこんなかんじ。

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元町店にはこの部屋が4つある。

実際行ってみると、
た、楽しい~!!!!

世の中にこんなに楽しい遊びがあったのかと思うほど楽しかった。

なぜそれほど楽しいのか。

まず、聴かれている恥ずかしさがない。
声が裏返えろうが、音を外そうが、サビ以外うろ覚えだろうが、関係なし。
腕を振り上げるもよし、跳び跳ねるもよし、ヘドバンするもよし、空気に向かってコール&レスポンスするもよし。

人生で初めて振り付けしながら歌ってみた。
なりきり度のカタルシスにおいてはハンパなし。

しかし、それ以上においてすばらしいのは、選曲において遠慮がいらないことだ。
今まで、どんなに気のおけない友達グループであっても、カラオケの場では知らず知らず、こんな配慮をしていた。

「私しか知らない曲を歌うのは悪いな」
「盛り上がらない曲は悪いから、TPOに配慮しよう」
「途中で歌えなくなったり、音をはずしそうな曲は除外。それなりに上手く歌える曲にしとこう」

一人カラオケでは、このような気づかいは一切不要!
歌いたい曲をバンバン予約して、歌えなかったらガンガン切ればよい。

なんて楽しいのかしら!
みんなも一人カラオケすればいいのに!!

一人カラオケってすごく楽しいよ~」と人に話しているうちに、「カラオケとは何なのか」についていろいろ考えている自分に気がついた。

アラフォーの私たち世代は、子供の頃からカラオケがあった。

かつてカラオケは大人がスナックで1曲100円で歌うものだった。

やがてカラオケボックスができた。
1時間いくらで入る部屋は、高校時代の私たちの遊び場のひとつだった。
「テストが終わったらカラオケ行こうね」
というのが、播州の片田舎に住む女子高生たちのささやかな楽しみだった。

大学時代は、あまりカラオケにはいかなかったけれど、行けばみんなが個性を発揮した。
「こんな曲を歌っちゃう私!」
みたいな、自意識過剰な選曲と、
「あ、それ歌っちゃう?!」
「そのアニメ、ずっと見てたなぁ」
というマニアックなものを共有する連帯感。
音楽による小さな仲間意識。

就職して入社したての頃は、まだ職場でカラオケに行く習慣が残っていた。
飲み会の二次会でカラオケボックスに行ったし、スナックでも歌った。余興という名のカラオケ大会もあった。
パワハラやセクハラという言葉がなかった時代、無理矢理注がれるビール同様、無理矢理マイクも持たせられた。酔ったおじさんにデュエットさせられることもあった。

善きにつけ悪しきにつけ、カラオケは‘コミュニケーションツール’だったのだ。

2000年代以降、徐々にそんなカラオケ風景は減った。
それは、カラオケによるコミュニケーションが一定の役割を終えたからではないか。

コミュニケーションツールでなければ、純粋に歌だけを楽しむことができる。
音楽を音楽として楽しめばいいのだ。

さあ、見よ、この筋肉少女帯オンリーの予約リストを。

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好きな歌を好きなだけ歌える幸せ。
人間がますますワガママになるなぁ。