森達也監督『FAKE』で障害を考える
水曜日の夜は神戸アートビレッジセンターで、森達也監督『FAKE』を見た。
作曲のゴーストライター問題で話題になった佐村河内守さんのドキュメンタリー映画だ。
オーケンののほほん学校でも話題に出ていたのは、先日のブログで書いたとおり。
naminonamimatsu.hatenablog.com
いろんな論点が可能な映画だと思うけど、やっぱり一番考えさせられたのは、聴覚障害のこと。
当時のニュースは、佐村河内さんの全聾は真っ赤な嘘で、実は耳が聞こえるのに周りをだましていた、と報道していたが、映画では、佐村河内さんは「感音性難聴」であり、音は聞こえたとしても言葉として聞き取れるレベルではない、という説明が出てくる。
佐村河内さんが京都まで、ある男性に会いに行くシーンがある。
ご自身も聴覚障害があり、佐村河内さんの聴覚障害についてブログで支援していた男性だ。
「このことで一番傷ついたのは誰かというと…、」
と言うと、佐村河内さんは少し声を詰まらせ、
「ほかの聴覚障害の方だと思うんです」
と言った。
周りから、「実は聞こえてるんじゃないか」と疑われた他の聴覚障害者もいるのではないか、と。
(※例によって正確な引用ではないのでご了承を。)
胸を衝かれた。
本当に、他の聴覚障害者はどんな思いでこの一連の報道を見ていただろう。
「佐村河内に騙された!」と声高に糾弾する人たちは、実は何も迷惑なんて被ってないはず。
報道によって傷ついたのは、聴覚障害者だ。
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昔、うちの職場では、聴覚支援学校の生徒の職場体験実習を受け入れていた。
私も何度か指導係をやったことがある。
休憩時間に筆談で雑談をしていたとき、ある女の子は友達とよくカラオケに行くと言った。
「カラオケ?!?!」
耳が聞こえなくても、振動とか動きとかで楽しめるのだそうだ。
音楽というのは、私たちが思っている以上に自由なのだなぁ、と感心したものだ。
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感音性難聴の、「全く聞こえないわけではない」というのが、いろいろなことをややこしくしてきたのだろう。
森達也監督が訴えているのは、白か黒かでは計れない、グレーな部分。
聞こえるか聞こえないか。
作曲したのかしていないのか。
果たして、答えはどちらか一方だけなのか。
真実はいつもその中間にあって、あいまいなものだ。
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ふと、うちの母が大脳皮質基底核変性症という病気を発症したばかりの頃を思い出した。
「左手が、うまく動かへん」
最初はそれだけだった。
ジャンケンのグーとパーは出せる。
でも、チョキが出せない。
フライパンは握れる。
でも、ピアノは弾けない。
志村けんのアイーンはできる。
でも、コント55号のトビマストビマスはできない。
それが次第に、握ったものを落とすようになり、握ったら手が自力で開くことができなくなった。
片手でも、生活はできる。
たいていのことは自分でやっていたが、思わぬところで、片手ではできないことを発見する。
例えば、キャンディの包み紙を切ること。
ひもを結ぶこと。
トイレットペーパーをちぎること。
若い人なら、口や足を使ったり、ハサミなどの道具を工夫したりできるのだろうが、母は認知症も少し入ってきたせいもあって、「左手を使わないで、どうやればいいか?」という方法が思い付かないようだった。
この頃の母について、
「左手は動かないんですか?」
と尋ねられたら、
「動くことは動くんです、けど」
と答えていたと思う。
最後の「けど」の2文字にどれだけ感情をこめたところで、生活の困難さは伝わらない。
家族である父ですら、母の困難さを理解できなかった。
他人なら当然のことだ。
父はずいぶん長い間、母の障害を認めようとしなかった。
「動くときもあるやないか。甘えとんや」
それが父の主張だった。
ある日、ゆで卵が原因で夫婦ゲンカをした。
「ゆで卵の殻をむいて」
と母が頼んだら、
「自分でむけ」
と父は断ったからだ。
「片手ではむかれへん!」
「いやむける!」
「ほんならやってみい!」
「やったるわい、みとけ!」
父は片手で、長い時間をかけて殻をむき、
「ほら見てみい!むけたぞ!食え!」
と、母に差し出したという。
最初からむいてあげてたらいいのに!
その話を教えてくれたのは父のほうだったが、
「片手でむくんは結構難しいな」
と、ぽつりと感想を述べていた。
誰だって、当事者にならなければ、本人の痛みなんてわかるものではない。
障害があるのかないのか。
動くのか動かないのか。
そんなことはどうでもいい。
ただ、困っている人を助けてあげるだけ。
どうして単純になれないものか。
***
若い頃は私も白か黒かのモノクロの世界で生きていた。
曖昧なものが嫌だった。
でも、生きていくうち徐々に、モノクロなのは自分のプリンタだけで、世界は実はカラーなのだと気が付いた。
真実は総天然色で、いろんな色が存在する。
答えは無数にある。
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映画の中で、
佐村河内さんが「絶対、豆乳を飲む」というシーンだとか、
森監督が「僕タバコをやめます」と言ったあと猫の唖然とした顔のアップだったりとか、
ちょくちょく、笑ってしまう場面があったのだけど、誰も笑わないので我慢していた。
あとで、先に見ていた友達にそのことをメールすると、
「ふつーに爆笑でしょう」
と返してきた。
笑いのツボにも答えはない。