3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

心斎橋に夜と記される

昨日の夜は、友だちが出演する空の驛舎『ただ夜、夜と記されて』を見に行った。

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劇場は、心斎橋にあるウイングフィールド。
久々に心斎橋筋のアーケードを歩いたら、道行く人のほとんどが外国人で、どこか違う国に紛れ込んだような気分になった。

ウイングフィールドがあるあたりを歩くと、昔はいかがわしい大人の夜の空気があったけれど、今はただ、時差の狂った夜の観光地。

にぎやかな街を抜けて入った劇空間では、暗くてウツウツとした日常が描かれていた。
街の高揚した非日常と、劇中の日々の暮らし。
リアルとフィクションがすっかり逆転してしまっている。

劇は、主にビルの間にある空き地で展開する。
正確な台詞は忘れたけれど、空き地研究会に入っている男性が出てきて、空き地の良さを語るシーンがある。

空き地とは、かつて何かがあった場所であり、これから何かができる場所である。
今は何もないけれど、過去の思い出を抱えつつ、何かになっていく。
そんなふうに、空き地を再生の象徴として描いているのがいいなぁ、と思った。

…というのが、私が劇の感想で、私が書けるのはここまで。
それというのも、後半のほとんどを眠ってしまったからだ。

劇中では、主人公の夢が現実と交錯しつつ進むのだけど、私自身もだんだん意識が遠のき、夢の中に入ってしまった。

公演終了後、本当は出演していた友だちに会いに行くつもりをしていたけれど、あまりに寝ていたので会わす顔がなく、手渡すはずだった御影ダンケのコーヒーを、受付に預けて逃げ帰った。
京子ちゃん、ごめんね。


自慢じゃないけど、私はよく眠る。
仕事中、電車内、トイレの中、劇場、映画館…。
どこでも寝れる。

いつもいつも、眠たくてたまらない。
会議などで眠ったらいけないときは、最近は薬を飲むようにしているくらいだ。
これが私の会議必需品。

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眠れない睡眠障害の人がうらやましいくらいだ。
もし私が眠れないなら、起きている時間でいろんなことができる、と考えてしまう。
本を読んだりビデオを見たり、長い夜をあれもこれも、とワクワクする。
睡眠障害で困ってる方は、実際そんな呑気なことも言ってられないくらい辛いのはわかってるんだけど。)

父は70代以降、やたらと眠れないと訴え、かかりつけ医から安定剤をもらうようになった。
テレビ通販でCMをしている味の素のグリナという健康食品を買って飲んでいたこともある。

だけど、私に言わせれば、父は睡眠障害なんかではない。
父が夜に眠れるはずがないのだ。

昼間のほとんどを、テレビを見ながらうたた寝して過ごしているからだ。
「寝てるやん!」
と指摘しても、
「寝たという記憶がない。覚えてないから、寝たかどうかわからへん」
と屁理屈を言う。

父は眠れないと言っては夜中2時頃までテレビを見て、朝は11時近くまで寝ている。
まるで若者のニートの生活だ。

ときどき、父がよく眠れたと言うときは、
「昨日は夜9時に寝て、朝9時に起きた。調子ええぞ」
と言うのだから、子供と同じ。
どこの老人が12時間も眠るのだ。
老人は早寝早起きだと言われるけれど、それも人によりけり。

病気の母にしても、医者からは夜は眠れるかといつも尋ねられるが、寝ていないことがない。
薬の副作用もあるかもしれないが、眠れないどころか、眠ってばかりで困るくらいである。

寝坊助は遺伝なのか?
人生の半分を眠って過ごしてしまうのが、もったいない。
私が寝坊助でなければ、もっとエライ人になって、起業独立くらいしてるかもしれない。
…無理か。