疥癬の悪夢ふたたび
先週の金曜日の夜、母の服を着替えさせたとき、太ももに虫刺されのあとを発見した。
3ヵ所、点々と。
蚊?
にしては、ズボンの上から刺せるかなぁ?
そして、右ひじの内側にポツポツとかぶれがふたつ。
あせも?
にしては、大きなのがふたつだけってのも気になる。
土曜日も日曜日もそれらの赤みは改善はされないままだった。
日曜日の夕方、母を送ってくださったケアマネさんの、
「疥癬じゃなかったらいいんですけどね…」
という一言が突き刺さった。
か、かいせん?!?!
母は過去2回、疥癬にかかっている。
忘れもしない、2014年11月と2015年8月。
疥癬というのは、ヒゼンダニというダニが皮膚に寄生する皮膚の病気で、ダニのアレルギーで皮膚がかぶれ、かゆみが出る。
ダニは人から人へ伝染し、体力や免疫力が落ちている病人や高齢者がかかりやすい。
治療法は、ストロメクトールという薬を飲むこと。
その日のうちに皮膚のダニは全部死んでしまう。
ただし、卵には効かないらしく、1週間後、卵が孵化するくらいのタイミングでもう一度ストロメクトールを飲む。
それでおしまい。
(ただし、上記は通常の疥癬の場合で、重症化した場合は別。数ある疥癬情報の中で、私が最も信頼して読んだオススメのブログはこちら。↓)
http://d.hatena.ne.jp/makikuni/touch
実はこのストロメクトール、去年ノーベル賞を受賞した大村智さんが発見した薬、イベルメクチンのことで、受賞のニュースのとき、
「あの薬のおかげで母も助かりました!ありがとうございます!」
と快哉を叫んだものだ。
それだけ聞くと、疥癬なんてたいしたことないように思うけれども、介護者にとってはこれほどやっかいなものはない。
なにしろ、伝染病だ。
伝染を防ぐため、衣服とシーツは毎日熱湯消毒。
介護者はビニール手袋をはめ、エプロンなどで防護する。
簡単に熱湯消毒とか言うけど、これがどんなに面倒か。
ビニール手袋だって、いちいちややこしい。
他の利用者さんへの感染を防ぐため、基本的にデイサービスは治るまで預かってくれなくなる。
去年も一昨年も、疥癬にかかったとき最初の3日ほどは会社を休んで自宅で介護した。
できるだけ清潔に保つために入浴したほうがよいのだけど、お風呂に入れるのがまた大変だった。
そのときはまだ母も自分で立てていたので、支えながら浴室を歩くと、濡れた足元が不安定で、常にハラハラする。
母はもちろん裸だが、こちらは伝染予防のために長袖長ズボンとゴム手袋。
サウナ状態で、蒸し上がるかと思う暑さ。
去年は小規模多機能からスタッフさんが入浴ヘルパーに来てくれて、ずいぶんラクだった。
もう歩けなかったので、浴室用の車イスも持参してくれたのも大きい。
その後、去年も一昨年も、なんとか無理をいって施設で預かってもらった。
ただし、他の利用者さんとは隔離されたところでひっそりと。
身体の動かない母を、一人ぼっちで隔離部屋に預けるのは忍びなかったけれど、そんなに会社を休むわけにはいかない。
介護離職してしまう人の気持ちもわかる。
うちの職場は理解があるのでまだ続けていけるけれど、こんなに休んでばかりいられないと思う。
預けていても不安があると、後ろめたいし精神的につらい。
普段、介護でつらいと思うことはそうないけれど、疥癬のときだけは心底つらかった。
それに、一番接触しているんだから、私だって疥癬に感染する可能性がある。
ちょっとかゆいだけで、もしかしたらうつったかも?!と毎日不安だった。
そんなこんなで、疥癬にかかった期間はまるで悪夢だった。
まさかまさか、その悪夢ふたたび…?!
前回までの疥癬で学んだことに、ヒゼンダニは手足の指の股に、トンネル状の穴を掘り、卵を産み付けるということがある。
線のように見えるそれが、孵化したら皮膚が少し破ける。
疥癬の発見方法のひとつがそれだ。
母の足の指を見た。
キレイだったら、心配は払拭されるはず。
…あった。
右足の中指と薬指の間、5ミリほど線状に皮膚が剥けている。
太ももの虫刺されあとも、ダニが移動したように線で結べるし、肘にできてるのも前回のかぶれとよく似ている…。
またかよぉ~~~~!!
絶望的な気持ちになり、あのつらい日々を思い出したらパニックになりそうになった。
が、悩んでいる場合じゃない。
もしそうなら1日も早く病院に行って薬を飲むしかない。
月曜日の朝、事情を説明して訪問リハビリは中止してもらい、皮膚科を受診しに行った。
少し離れた病院なのだけど、もう3回目なのでなれてしまった皮膚科。
おばちゃんの先生とその娘らしき先生の、母娘でやっている個人病院。
おばちゃん先生は母のことを覚えていて、またか、みたいなウンザリした表情。
「肘の内側と太ももに虫刺されみたいなかぶれが出まして」
と説明する私。
太ももの患部を見るために足首からまくり上げようとするものの、ズボンは膝のところで止まってしまい、ベッドに寝かせて脱がせることに。
疥癬の疑いがあるため、ラバーシーツを敷くなど装備する。
「ジッパーで足首から開けられるズボンがあるからね、そういうのにしたったら」
とおばちゃん先生。
膝とのこまでジッパーが付いてるズボンは持ってる。
私も便利だろうと思って買ったけど、トイレ介助で脱がせるときに裾のジッパーはあんまり関係なく、たいして役に立つとは思えなかったので、あまり使っていなかった。
「皆さんそんなん穿いてますよ。施設の人のためにも、ジッパー付きのほうがええと思うわ」
とおばちゃん先生。
そんな風に言われると、「施設の介護スタッフさんの苦労を知らない家族ねぇ」みたいな言われ方をされているような気分。
そうじゃないとわかっていても、介護している家族としては、自分が至らないんじゃないかといつも思って被害妄想に陥りがちだ。
そうこう言いながらズボンを脱がせ、太ももを見せる。
「あ、これは普通のダニやね」
「え?」
「お腹見せて」
「はい…」
「キレイなもんや。陰部も見せてもらうよ~」
そういいながら、おばちゃん先生は母のパンツを勝手にめくって覗き、
「ないない。ちゃうわ、これは」
と言い放って、出ていった。
「で、でも、足の指の間に、皮膚がめくれたあとが…」
残った娘さん先生に訴え、母の靴下を脱がせて見せた。
娘さん先生は足の指を確認すると、
「これは…水虫ですね」
と冷たく言った。
「へ?水虫??」
「薬がありますから出しときましょか。治るまで時間はかかりますけど」
普通のダニと、水虫だったのか…!
力が抜けて、笑ってしまう。
「お母さんよかったなぁ!疥癬じゃないんやって!!よかった!本当によかった!」
ボンヤリしている母の肩をポンポン叩きながら、ハイテンションで喜ぶ私。
こんなに嬉しいことはない。
でも、この喜びは誰にもわからない。
例えるなら、悪夢から目覚めたときの、夢でよかった、という感覚。
「起きなかったことも歴史のうちである」
というのは、寺山修司の言葉の中でもとても好きなものだけれど、今回の疥癬騒ぎもひとつの歴史になった。