負うた子が教えても年寄りは聞く耳を持ちません。
母の食事では毎回が格闘だ。
「しっかりお口を開けて!モグモグゴクンする!おーかーあーさーん!寝ないでー!起ーきーてー!ほら、食べる食べる!」
その様子を見ていた父が、
「小さい頃のなみ松と一緒やんか。あんたもごはん食べ、言うても食べへんかったんや」
と笑った。
確かに、幼い頃の私は、ごはんを食べない子だった。
「もっと食べないと大きならへんよ!」
と急かされて育った。
それが今やどうだ、この横成長期。
もっと食べたいのをガマンする日々だ。
中高生のときは、朝ごはんを食べながら眠ってしまうこともよくあった。
朝に弱くて、食卓についてもまだ脳が寝ていた。
「しっかり食べなさい!」
「こら、寝たらあかん!」
そう言うのは母の役割で、言われていたのは私。
すっかり立場が逆転してしまった。
逆転といえば、中高生の頃、大きな音で音楽を聴く私に、
「何時やと思とんや!もっとボリュームを下げなさい!ご近所にまる聞こえや!」
とオーディオの音量を注意していたのは父だった。
私自身、そんなに大きな音のつもりはなかったのだけど、そもそも筋少のようなラウドロックが父にはうるさかったのだと思う。
それが今や、
「テレビのボリューム下げなさい!外まで聞こえとうよ!音量50とかありえへんでしょ!」
と父に怒るのは私。
耳が遠いのに補聴器を嫌がる父は、毎日が爆音上映会。
映画の場合は目をつぶってあげるけど、爆音ナイター、爆音テレショップは気が狂いそうになる。
爆音でも、ドアをきちんと閉めていればそんなに音が漏れることはないのだが、父は出入りするとき必ずドアを開けっぱなしにしてしまう。
いくら注意したところでダメだ。
音は漏れるし、エアコンの冷気もダダ漏れ。
ドアどころか、窓を全開にしたままエアコンをつけていることすらある。
かつて親戚の叔父さんに、
「ひろ松さんに、エアコン買うたばっかりやのにひとっつも冷えへんから一辺見てくれ、て頼まれたけど、ほんまなんか?」
と尋ねられたことがあった。
「エアコンは大丈夫。冷えへんのはうちのお父さんがすぐドアを開けっぱなしにするから。壊れてるのはお父さんの頭!」
と返事をした。
だいたい、なぜ電気屋でもなんでもない叔父さんに頼むのかも、よくわからない。
この週末も、ドアの開けっぱなしについて何回注意したか知れない。
私がいない平日は、「〇〇しっぱなし」がどれだけ多いことだろうと心配になる。
おにぎりなどの食べ物を買いっぱなしで賞味期限が切れる。
洗濯機で洗いっぱなしで干すのを忘れる。
お風呂を沸かしっぱなしで入らずに寝る。
それくらいはもったいないだけで済んでいるけれど、ヤカンの火のかけっぱなし、タバコの火のつけっぱなしなどになったら、危険が及ぶ。
私は一人娘で、何かと心配ばかりされて育った。
でも今は自分が心配ばかりしている。
心配されるうちが花だったんだなぁと今さら気づく。