3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

泣くのが嫌なら さあ歩け

昨日も今日も、母はご飯を食べてくれている。

ミキサー食でなくても、柔らかく炊いた野菜なら食べられるようになったし、飲み物もストローで飲めるようになった。

何を言っているか聞き取れないが、とにかく声が出るようになった。

こんなふうに調子が戻ってきたのも、暑さが和らいできたおかげかなぁ、と思う。

 

この夏は本当に老人殺しの猛暑だった。

うちの会社では社員の家族に不幸があった場合、社内の電子掲示板に出るのだが、今夏は本当に訃報が多かった。

従業員100人程度の規模なのに、毎週訃報続き。

きっと、あの世行き列車は乗車率100%超え、地獄の釜も昼夜3交代制でフル稼働だっただろう。

 

私の上司である課長のお母様も、7月の下旬に亡くなられた。

うちの母と同い年で、同じくパーキンソン病を患っておられたそうだ。

ただ、うちと違うのは、メインの介護者がお父様だということ。

 最初にその話を知ったのは、去年の夏、一緒に出張に行ったときだった。

 

そのとき、

「胃瘻について考えておくようにって医者に言われてるんですよ」

と語った私に、

「いつかうちの親も、考えなあかんようになるやろうなぁ」

なんて、課長はまだ先のことのように言っていたのを思い出す。

 

冬になって、お母様が転倒され、大腿部を骨折して入院。

入院中、パーキンソン症状が急激に悪化。

それに伴って認知症もひどくなった。

お父様が毎日病院に通い、週末には課長のご家族も病院にお見舞いに行っていたものの、行くたびに状態が悪くなっていたらしい。

 

今年に入り、それまで点滴で栄養補給をしていたものが、次の週に行くともう胃瘻になっていた、という。

もちろん、お父様が受諾したのだけれど、「どうしますか」ではなく、

「手術が整い次第、胃瘻にしますので」

という雰囲気だったという。

病院としては、「胃瘻にしなければ命が危ない」という判断だったんだろう。

 

それにしても、と思う。

夏にはまだまだ先だと思っていた課長のお母様が、冬の終わりにはもう胃瘻に…。

未来のことは誰も予測がつかないものだ。

 

私の頭の中では、なぜか、

♪あ~とか~ら 来~たのに 追~い越され~

という水戸黄門のテーマ曲のが流れていた。

しかし、リフレインされるのはそのフレーズだけ。

その続きの歌詞が思い出せず、レコードの針が飛ぶようにぐるぐる回った。

 

その後、小康状態だと思っていたら、夏の初め、お母様が危篤だということで、課長が会社を休んだ日があった。

あとで聞いた話だが、知らせを聞いて駆け付けたら人工呼吸器がついていて、

「一命をとりとめました」

という状況だったらしい。

「自発呼吸が止まって、何もしなければ死んでしまう」状態なので、病院としては人工呼吸器をつけるのが当たり前なんだろう。

しかし、意識もなく、栄養は胃瘻で流し込まれ、人工呼吸器で強制的に生かされている状態になってしまった。

 

「これから先、どれくらいこの状態が続くんかわからへん。明日にも心臓が止まるんかもしれへんし、このまま何年も生き続けるんかもしれへんし。あんな生きてるって言えるかどうかもわからへん状態で置いとくのはかわいそうでなぁ。止められるもんやったら、機械を止めてやりたいけど、殺人になってまうしなぁ」

 

結局、何週間かあとに、お母様は亡くなった。

結果論として、

「いろいろ準備ができとったから、ちょうどええ期間やった。葬儀場も先に決めとったから、スムーズに進んだわ」

という、「それはよかったですね~」的エンディングとなった。

 

延命治療について、誰もが悩む。

「処置を受けず、そのままだったら静かに逝けたかも…」

と、救急車を呼んだことすら、後悔する家族だっている。

でも、延命になってしまうのは結果論であって、治療したら回復するかもしれないし、少しでも生きてほしいと願うのは家族として当然だ。

 

家族を悩ませないために一番いいのは、本人がどこまでの治療を望むか、元気なうちに明確な意思表示をしておくことだそうだ。

 

「波野さんのお母さんは、意思表示はどうでしたか?」

と尋ねられたことがあったが、家族でそんな話は一度もしたことがなかったなぁ、と残念に思った。

延命治療、私はしたくないけど、お母さんはどう考えていただろう??

 

ひとつだけ思い出すのは、

「払った年金の元が取れるまで生きたい!」

と言っていたことくらいだ。

さすが我が母、お金にがめつい!

 

だから、せめて後期高齢者になるまでは生きてもらいたいと思っていた。

だいたいそれくらいで元が取れる、という話を聞いたような気もするし。

 

その目標は去年達成して、母は今年で76歳になる。

先日、施設でお誕生日のお祝いを企画してくれて、不二家でパーティがあったそうだ。

バースデーカードの中には、ペコちゃんの人形を抱く母の写真。

 

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今年の夏はなんとか乗り切った。

来年は乗り切れるかどうか。

うちの母のことだから、

「まだ年金の元が取れてないよ!」

と言ったら、根性を出すかもしれない。