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3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住むアラフォーOL、波野なみ松の、仕事と趣味と母の介護を両立させる日々の記録。

元町でオーケンに会った。

介護 大槻ケンヂ 文学

10月15日土曜日は長い1日だった。

朝は実家で母の訪問リハビリ。
本来訪問リハビリの日は月曜日なんだけど、祝日だったので土曜日に振り替えてもらったのだ。
シフトの都合上、振り替えのときはピンチヒッターの療法士さんが来る。
今回は、半年前くらいに一度来てもらったことのある、イケメンの療法士さんが来てくれた。

母はとても調子よく、呼び掛けによく声が出ていた。
イケメンが気に入ったのかもしれない。
「久しぶりに来させてもらいましたけど、調子よさそうですね」
と療法士さん。
「最近よくなったんです。夏は本当に調子悪くて死にそうだったんですよ。飲み込みが悪くて、食事が取れなくて、点滴も入らなくて。嚥下訓練も含めて、リハビリしてただいたおかげです」
と、私。

そう、最近では、夏が嘘のように、普通に飲み込める。
トロミさえつければ、ストローで飲み物がちゃんと飲める。
飲み物が飲めるから、トイレも定期的に出る。
呼び掛ければ笑おうとする。
悪化の一途じゃないことに、希望が見える。

今日の夜はお泊まりに預けるので、調子が良ければホッとする。
遊びに出かけるために預けるとき、母の調子が悪いと罪悪感が増すからだ。
今日は安心して出掛けられる。

********

簡単に昼食を済ませてから神戸へ帰る。

大槻ケンヂ弾き語りLIVE ハチドリツアー最終日こっそり神戸で編、Bo Tambourine Cafe にて18時30分開演。

夕方まで、時間があるようでない中、何を着るか、アクセサリーはどうするか、メイクはどうか、あれこれ慌ただしく準備する。

身支度だけでなく、手紙を書くのも準備のひとつ。
ライブのときには必ず手紙を持参し、マネージャーさんに「渡していただけますか」とお願いするようにしている。
秋色の便箋を選び、愛用の万年筆で手紙を書いた。

もう四半世紀、大槻ケンヂのファンをやっている。
大昔、本人がインタビューなどで言った、
「ライブにはオシャレして来てほしい」
「お手紙をくださいね」
という発言を、いまだに守っている。
言った本人はもう覚えてないだろう。

手紙の内容は、曲やライブや著作の感想が主だ。
そして、いいところだけ見つけて誉める。誉めたおす(お世辞や嘘は書かない)。
ご本人もそれが一番読みたいだろうと思うからだ。
学校の読書感想文で何度も入賞した腕前を、ファンレターで発揮せずしてどこで役立てよというのか。

残念なことに現在はCDも本も発売前で、書かなければならないトピックがない。
そこで、筋肉少女帯の新曲『人から箱男』にちなんで、安部公房の『箱男』を再読した話を書いた。

箱男 (新潮文庫)

箱男 (新潮文庫)

箱男』のテーマの1つに、「見る者」と「見られる者」の関係というのがある。

箱男は段ボールで身体を隠し、世間から無視された存在だ。
人としての存在を消すことで、相手から見られずして見ることができる。

ふと、アーティストとファンの関係性がだぶった。
アーティストは見られるだけ。
ファンはただひたすらに、見るだけ。
需要と供給のバランスがとれた、その幸福な関係。

オーケンがMCで、
「老眼が進んで、オーディエンスが粘土の塊のように見える」
と言ったことがあるらしい。
ファンたちは、「ひどーい、この日のためにオシャレして来てるのにぃー」などと言いつつも、内心ホッとしたはずだ。
ファンというものは、「見たいけれども、見られたくはない」ものだからだ。

一人の個として認識してほしい気持ちもないことはない。
けれど、認識されて嫌われたらどうしよう、と不安になり、だったら見ないでほしい、と願う。(実際、どこの世界でも嫌われるファンはいるものだ。)
嫌われたら生きていけない。穴があったら入りたい。いや、箱があったらかぶって、箱女になりたい。
そう、いっそ箱女になって、認識されず、ただ、見ていたい…。

そんなふうな、「ファンは箱女」論を綿々と展開し、オーケン宛の本日のファンレターとしたのだった。

*******

開場までの待ち時間、オーケンファンの友達と落ち合い、お茶を飲むことにした。
待ち合わせはモトマチ喫茶だった。

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来るなり彼女は、ほかのオーケンファンの方がTwitterで、元町でオーケンとすれ違ったってつぶやいていたよ、と言った。
すごいね、私も可能性あるかもと思って来る途中キョロキョロしながら歩いてたけど、あかんね、私には一生、偶然オーケンと会うような幸運は訪れないと思う。あー、私もないだろーなー、そんなに運ないもん。

そう言って二人でアハハと笑ったあとは、個人情報の廃棄問題だとか文書管理の保管期限だとかいう、仕事の愚痴を言い合っていた。
もっと楽しい話をすりゃあいいのに、何の悲しい業だろうか。

そうしていると、すりガラスの窓越しに見覚えのある黒いハットが横切った。
ハットの紳士が店に入った来た。
友達が二度見し、硬直した。
次の瞬間、私もフリーズ。

お、おおおお、おーけんっ!?!?!?!

オーケン入ってきたーーッッ!!!

どうリアクションすればわからず、うつむく二人。
ティーカップを持つ手が震える。
向かいにいるくせに、友達からLINEが入る。
「ごめんしゃべれない」

しばらく二人してうつむいて固まっていたものの、もうそろそろ開場の時間である。

声かけたら迷惑かなぁ、嫌がられたらどうしよう、でもやっぱり、このチャンスをみすみす逃すのか…、と長い逡巡の末、
「せっかくだから、手紙だけ…。迷惑にならないように、帰りがけにそっと手渡して去る!」
と決心した。

お勘定を済ませ、店を出がけに、
「すみません、お手紙を渡してもいいですか?」
と、用意してきた封筒を差し出した。
「あ。ありがとう」
と、小さな優しい声。

「今日のライブは来られるんですか?」
オーケン
「はいもちろん!」
と私。
心のどこかで俯瞰している自分が、‘今日のライブに来ない人が、ファンレター持ち歩いてたらすごいよなー’と笑っている。

「どちらから来られたんですか?」
「元町です。元町に住んでて、会社もすぐ近くで」
「そーですかぁ」
「あのぅ、私、今年の1月に初音オーケン階段の握手会に参加させていただいたんですけど、そのとき大槻さんが元町の合気道道場が気になってるっておっしゃってて…」
「元町の合気道道場?」
「探したんですけど、ないんです」
内田樹さんの道場かなぁ」
「内田先生の道場は東灘だと思うんですが」
「元町じゃないよねぇ。うーん、何だろう? きっと、僕の勘違いだと思います」

狭い喫茶店の中というのもあって、オーケンの声はか細くて柔らかだった。
そしてこれ以上ないほど穏やかだった。
近くで見るオーケンの顔は本当にキレイで、帽子からはみ出るお髪(ぐし)も天使の羽のように白くてふわふわしてて、私はクラクラしながら、
「では、のちほど~。楽しみにしてます~」
とかなんとかモゴモゴ言って、その場を立ち去った。

外に出てから、後悔の念。
体調を尋ねるとか(風邪引いてるって知ってたのに!)、喉の調子を労るとか(声帯の手術を泣くほど心配してたのに!)、どうして気のきく言葉が出なかったのか。
もっと話すことがあっただろうに!
合気道道場の話とか、どうでもいいし!

それにしてもしかし…、10か月以上私がずーっと気にしてた「元町の合気道道場」は幻だったのか…。
だいたい、発言したご本人は、そんなことすら覚えちゃいない。
私が誰とかは知らないとしても、道場の話くらいは覚えてるかと思っていたので、少々がっかりもした。
私が渡した手紙が「認識されることを望んでいない」という内容だったことを考えると、がっかりなんてどの口が言うか!ってものだけど、やはり全く覚えられていないのは、ちょびっと、寂しかった。

友達は外で待っていた。
「なんで出ちゃったの??」
「緊張でいたたまれなくなって…」
「えーっ!?」
「外から窓越しに見てた~」
「そんなんでよかったの?!すりガラスだよ?」
彼女のほうがよっぽど箱女だ。私はニセ箱女。

その後のライブについては、もう片方のブログを参照されたし。
http://naminonamimatsu.hatenablog.jp/entry/2016/10/16/154740


ライブ終了後は、友達と二人で西元町の焼き鳥屋「くらわんか」で激ウマ焼き鳥を食べながら反省会。

しかしなぜ「うれしい」よりも「恥ずかしい」が先に立ち、喜び反芻会ではなく反省会になってしまうのだろう。
やはり、見るだけの箱女が見られる可能性を感じてしまった所以か。

ふと、源氏物語の末摘花が思い浮かぶ。
「いもはずかしき(とても素晴らしい)」光源氏に、彼女はさぞや恥ずかしかったことだろう。
かわいそうに。
ついつい彼女に同情してしまう。

いつまでもいつまでも源氏を想い続ける、私たちは末摘花。