ドラマ『夏目漱石の妻』に両親を重ねる。
実家でテレビを見るときは、一応番組のチョイスに気を使う。
エロいものグロいものだけでなく、難解なものも対象外。
退屈なものはそもそも私が見たくないけれど、家事や介助をしながらの“ながら”見になるので、集中してガッツリ見たいものも外す。
そうすると、けっこうNHKがチョイスされることが多いわけで、さすが公共放送、無難な番組構成だと思う。
『夏目漱石の妻』はそんな無難チョイスから見始めたのだが、2話目からは“ながら見”はやめて、ちゃんと見るようになったドラマだ。
そういえばやはり尾野真千子が出てた『夫婦善哉』も、結局目が離せなくなったっけ。
彼女はちょっと古い、気骨ある女性を演じさせると天下一品だ。
1話目を見始めたとき、父が「これ何てドラマ?」と尋ねた。
「『夏目漱石の妻』やって」
「鏡子か」
「へえ、お父さん漱石の奥さんの名前知っとん?」
「それくらい知っとうわ。なんや、悪妻やったらしいやないか」
悪妻。
その言葉の響きに、嫌な思い出が去来した。
そういえば昔、母が文字どおり地団太を踏みながら悔しがったことがあった。
「お父さん、よそで私のことを『うちの女房は悪妻や』て、言うてまわっとんやで!」
母は父のことでしばしばヒステリーを起こす女だったけれど、その爆発を受け止めるのはいつも私だった。
ドラマの夏目夫妻を見ていると、昔の両親を彷彿とさせられた。
うちの父は漱石ほどえらくもない代わりにあそこまで偏屈でもないけれど、夫婦特有の気持ちのすれ違いは見事なまでにうちの両親と同じだった。
ドラマでも、漱石は鏡子さんを愛しているのか、と尋ねられるシーンがある。
漱石は答えをはぐらかす。
同じことを、私はずっと子供のころから疑問に感じてきた。
父は母を愛しているんだろうか。
父が母を大切にしたり、思いやりを見せた様子を見たことがなかったからだ。
いや、疑問というより、最近まで「父は母を愛していない」と思っていた。
私が結婚に憧れを抱いたことが一度もないのも、妻という人種が幸せに見えたことがなかったせいだ。
「あんなお父さんなんか見捨てて、離婚すればいいのに」
私がそう言うと母は決まって、
「親が離婚したらあんたがかわいそうやからせえへんのや。あんたのためやないか」
と私に怒った。
夫婦喧嘩でギスギスした家庭で育つより、養育費だけちゃんともらって伸び伸び暮らすほうがよっぽど私のためになるだろうに、と思ったけれど、母は受け入れなかった。
妻になんかなるもんじゃないし、母にもなるもんじゃないな、と10代の私は強く悟った。
今は大人になったから、ちょっとわかる。
母は私のためではなく、父を愛していたから離婚したくなかっただけだ。
負けん気の強い母のこと、たぶん癪に障るから、父を愛しているとは認めたくなかったんだろう。
漱石の妻・鏡子さんも、あんな理不尽な夫を決して見捨てはしなかった。
愛しているとか好きだとか、そんなチープな言葉は使わない。
でも、ちゃんとそれが悲しいほど伝わるドラマに仕上がっていた。
ドラマは晩年の、夫婦が一旦落ち着いたところで終わる。
この夫婦、最後の最後はいったいどんな感じだったんだろう。
うちの両親は、老年に入って徐々に徐々に、夫婦らしくなってきた。
まず、母は父のことが気になってしょうがない。
「お父さんは?」
「なんでそんなにお父さんのことが気になるのん?」
私がそう尋ねると、病気になってしばらくは、
「なみ松が朝ごはん作ってくれとんのに、まだ居眠りしとんかと思ったら腹立つやんか」
とか、
「病気の私のことをほっといて、どっか遊びにいっとんかと思ったら憎らしいわ」
とか、憎まれ口を叩いていたが、認知症も進んで悪知恵が働かなくなってからは、
「お父さんがおらんかったら淋しいもん」
と素直に口にするようになった。
母が憎まれ口を叩いている間は、いくら母の身体が不自由であっても、父は母と本気で言い争いをしていた。
父は最後まで、母の病気を認めなかった。
「やる気になったら動けるくせに、甘えとんじゃ!」
私がどんなに病気について話し、治療もできない難病であることを説明しても、父は頑として、
「治そうと思ったら治る。あいつの治そうという気が足りんだけや」
と受け入れなかった。
父も認めざるを得なくなってきたのは、ここ1年前くらいからか。
口喧嘩をすることもできなくなった母を、父はようやくいたわるようになってくれた。
昨日、母の飲み込みが少し悪くて、食事介助のときに飲み物が口からこぼれる様子を見ていた父が、
「こうやってな、顔をマッサージするんや」
と口をはさんできた。
父が夏から通い始めたリハビリで、嚥下を促すマッサージを教えてもらったらしい。
「じゃあ、お父さんが教わったこと、お母さんにやったげてよ」
と私がお願いすると、父は母に向かい合った。
両手で母の顔を包み、
「こうやってな、こうやって、さするんや」
と優しくマッサージしてくれた。
父が母に何かをしてくれるのを初めて見た。
「よかったね、お母さん」
ね、お母さん。
離婚しなくてよかったね。
私がわかってなかっただけなんだね。
ドラマに話を戻すと、鏡子さんんが嫉妬する女流作家・大塚楠緒子が壇蜜というキャスティングが絶妙だと思った。
大塚楠緒子は漱石の理想の女性であり、そして理想の女性を文鳥になぞらえるという構図なのだけれど、壇蜜が文鳥に似ているのが笑えた。