3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

ケアマネさんが病院についてきてくれた。

もう12月になってしまった。

1年がこれほど早いのだから、2か月に1度の神経内科の受診日なんてアッという間にやってくる。

 

昨日の土曜日がその受診日だったのだけど、今回はいつもとは違っていた。

なんと、母のケアマネさんがついてきてくれる、スペシャルデー。

 

「次回の受診に同行させてください」

と言われたときには、事情がよくわからなかった。

「お忙しいのに、わざわざなぜでしょう?」

ってなもんである。

 

訪問リハビリの療法士さんとケアマネさんの二人が相談し、一度ケアマネさんが同行したらどうか、という話になったそうだ。

というのも、診察時、母の状態については毎回私が話をしているけど、イマイチ医者は反応が鈍い。

私が何をいっても、先生はいつも、

「そういう症状もあるかもしれません」

というだけで、真剣に考えてくれているようには思われなかった。

 

大脳皮質基底核変性症という病気は、まだ原因もわからない、治療法もない難病である。

だからいつも、「病気だから仕方ない」という態度で終わらせられていた。

効くのか効かないのかわからない薬をもらうため、わざわざ病院に足を運んでいるだけ。

 

医療というのはそんなものなんだろう、と私はもうとっくにあきらめていたのだけど、ケアマネさんと療法士さんは、そんな状態を歯がゆく思ってくれていたらしい。

ケアマネという立場の人が尋ねれば、先生も専門性を持って助言してくれるのではないか。

二人がそう決めてくれたのだった。

 

これまで診察室は私にとって、医者との対決の場だった。

医者は、一緒に協力して母の治療に当たる人ではない。

母の治療方法をいかにして医者から引き出すか駆け引きしなければ、医者はおざなりに診察を終えてしまうのだ。

頭を使って状態を説明し、一つでも情報を聞き出さなければ、

「いつものお薬出しておきます。次回の予約は二か月後で」

とスルーされ、徒労感を募らせるだけの場になってしまう。

 

だから、ケアマネさんが一緒に入ってくれて、援護してくれるのは本当にうれしかった。

戦っているのは母と私の二人だけじゃないぞ、と思うと心強い。

(ちなみに父は戦力外。)

 

待合室で待っている間、診察時に先生へ話す事柄をケアマネさんと打ち合わせした。

寝ているときに舌がのどの奥に落ちてしまうことがあって、窒息の恐れがあること。

フリーズしたように左上を凝視したまま固まってしまう発作が起きていること。その頻度が多くなっていること。

尿の頻度が少なくて1日2回程度しか出ていないこと。

 

そして、ケアマネさんがもう一つ、今回確認しておきたいことがある、と言った。

「施設にいる間に、もしも、本当に万が一のことが起きた場合の緊急搬送について聞いておきたいんです。ここの病院で受け入れをしてもらえるかどうか…」

進行性の病気だから、、母の状態は時を経るごとに悪化する。

何があったって、おかしくない。

「あのぅ、私の、家族としての思いなんですけどね」

私は、ここ最近考えるようになったことを話した。

 

「緊急搬送されて、『命が危ない』ってなって胃瘻になって、また『危ない』ってなって人工呼吸器がついて、排泄はカテーテルになって…、緊急のたびに延命処置がされて意識がないまま何か月も…、そういう状態だけは避けたいな、って最近思ってるんです。会社の人のご家族でそういう話を聞いたもので…」

 

するとケアマネさんは、

「お母さんに聞こえてたらあれやから…」

と隣で車イスに座っている母の耳を、そっと手のひらで覆ってから、小さな声で言った。

「食事が口から食べられなくなったとして…、それはそれで自然な寿命だと受け入れて、最期を待つこともひとつです…」

 

私はその細やかな配慮に感謝しながら、

「病院に入院してしまうと、一命をとりとめるためにできるかぎりの医療処置をするのは当然のこととして行われてしまうと思うんですよね。でもそれは回復の見込みがあればの話なので…。家族としては、単に長く生きるのではなくて、今の生活をできるだけ長く続けさせてあげたいなと思っているんです」

と伝えた。

 

今お世話になっている小規模多機能では、医療処置がある利用者の受け入れができない。

胃瘻も、尿道にバルーンをつける処置も、呼吸器や吸引の処置も。

そういう医療的な処置が必要な人は受け入れができないのだ。

 

私が理想的だと思って満足している現在の、母の介護生活。

在宅と施設の半々のこの生活は、私にとっても母にとっても、本当に良いバランスが保てていると思う。

だから、少しでも長く今の状態が保てればよいのだけど…。

 

**********

 

診察室へは、思ったよりもずっと早く呼ばれた。

 

さっき打ち合わせをした事柄を、ケアマネさんが先生に伝えてくれる。

ただ、先生の反応は、残念ながら相変わらずだった。

 

まず、発作と舌根沈下については、

「呼吸が止まることが度々あるようなら、マスクをつけて呼吸を促す機械を使う処置もあります。ただ、今の状態ならまだ必要ないでしょう。そういう処置もあります、ということだけ、お知らせしておきます」

というだけだった。

 

尿の回数についてはもっとひどく、

泌尿器科で見てもらってください」

という一言だけ。

 

いつもの私だと、突き放されたことにガッカリしてしまって後追いしないのだけど、ケアマネさんが、

泌尿器科はこちらの病院で受けられるんですか?」

と突っ込んでくれた。

「受診したことはないですか?」

と先生。

「ありません!」

と私。

すると、後ろにいた看護師さんが、

「今日午前中も泌尿器科はやってますから、受付しておきましょうか?」

と声をかけてくれた。

「せっかくだから、今日受けちゃいましょう!」

と、ケアマネさんに促され、あとで泌尿器科をハシゴすることに。

 

お薬と次回の予約の確認で終わりそうだったところを、

「それと…」

と、ケアマネさんが追加で質問をした。

「緊急時のことなんですけど、こちらの病院の神経内科を緊急搬送先にしてもよろしいですか」

 

先生の回答は、またしてもそっけなかった。

「どういう状態での万が一なのかによります。心臓疾患だったら循環器になるでしょうし、一概には言えないでしょう」

 

そりゃあそうなんだろうけどさぁ…。

もやっとする。

ケアマネさんからも、もやっとオーラが伝わってきた。

ただ、ケアマネさんがもう一押ししてくれて、救急車を呼んだときには主治医としてここを伝えさせてもらうことだけは了承してもらった。

 

そりゃ、何の病気かによって緊急搬送先は違うんだろうけど、でも、ちょっと腑に落ちない。

意識がないとか苦しんでいるとか、様子がおかしいことはわかっても、それがなぜかなんて素人にわかるはずもないのに…。

じゃあ、どうしたらいいんだ、という安心感は手に入れられずじまいじゃないか。

 

神経内科の診察室を出たあと、ケアマネさんが、

「お医者さんは病気しか見てませんよね…」

と、こぼした。

そう、医者が見るのは病気だけ。

 

医者は「人」を見ない。

 

母の病気に携わってから、本当にそう思う。

 

私はずっと医療へのガッカリを繰り返してきた。

母の血圧は100を切ったり200を超えたりの乱高下。

神経内科で相談しても、

循環器科で見てもらってください」

と言われ、循環器科では、

「病気のせいで自律神経がコントロールできていないせいでしょう」

と逆戻り。

嘔吐が激しかったとき、神経内科では、

「薬の副作用もあるし、病気で背中が曲がっているせいでどうしようもない」

と言われ、嘔吐のせいで食事ができず衰弱するばかり。

前のケアマネさんのススメで別の病院を受診したら、逆流性食道炎の薬で嘔吐が治まった。

 

高血圧や嘔吐だけじゃない。

便秘もそう、歯科治療もそう、疥癬での皮膚科受診もそう…。

元をただせば、大脳皮質基底核変性症という病気のせいで、いろんな不具合が出てしまう。

けれど、何を相談したって、「あれは何科」「これは何科」とたらい回し。

別の科を受診するたびに、長い時間待合室で待たされ、母はクタクタに疲れ果て、問診票の既往歴欄にどう書こうか苦労する。

唯一のメリットは待合室で私の読書がはかどることくらい。 

 

ときどき、NHKでやっている「総合診療医ドクターG」という番組を見る。

そこに出てくる先生方は立派な人ばっかりだ。

でも、まるでフィクションだな、と思う。

今の日本で総合診療なんて、夢のまた夢だ。

 

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