3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

『深夜特急1』とHeartTalking

先週、元町高架下の64カレーでランチを食べていると、ラジオからスピードラーニングのCMが流れてきた。

しかも「スピードラーニング中国語」だ。

英語と同じく、「聞き流す学習法」をうたっていて、「英語よりも先入観のない中国語のほうが聞き流す学習効果は高い」というようなことを言っていた。

 

おいおいそれはないだろ、と、極旨キーマカレーを食べながら鼻で笑ってしまった。

 

もともと、スピードラーニングについては好感が持てない。

そもそもTVCMに出ている「英語が話せるようになった」という人たちの英語が、たいしたレベルではないからだ。

だいたい、「話せる」というのはどういうレベルのことを指すのかがわからない。

 

それでも、スピードラーニングがどんなものか興味があったので、彼氏が会社の人から英語版を借りてきたのを幸い、私も聞かせてもらったことがある。

どんなに画期的な学習教材なのかな~、と期待しながら再生してびっくり、何ら特別なことはない、普通の音声教材だった。

 

スピードラーニングを聞いていれば、英語の学習になる。 それは確かだと思う。

何回か聞けばスキットが覚えられると思うし、覚えたフレーズは話せるようになるだろう。

ただ、それって当たり前のこと。繰り返し聞けば、頭に入る。

何もこれだけが特別優れている教材ではない。

 

日本語と英語が交互に出てきます、というのを売りにしているみたいだけど、多くの学習教材の付録CDはそうなっている。

いたって普通。

例を上げるなら、代表的なのはNHKの語学だ。

NHKのダウンロードだったら、ほとんどが千円以内。

ていうか、テレビやラジオ、NHKのアプリ「らじる★らじる」ならタダだ。

 

呆れる反面、スピードラーニングは商売がうまいなぁ、と感心してしまった。

 

スピードラーニングのカモになるのは、語学学習をしたことがない人たちだ。

やったことがないから、学校の教科書以外の学習教材がどんなものか知らないし、相場の価格を知らない。

普通のものなのに、普通より良いものだと思い込んで、10倍ほどの値段を払う。

カモに対する目のつけどころがすばらしい。

ビジネスとしてあやかりたいものだ。

 

しかも、スピードラーニング中国語は、初心者が多い分、英語よりもタチが悪い。

相場を知らない人が英語より多いからだ。

うちの彼氏は4年前、中国語ができない状態で上海近郊に長期出張に出かけた。

 行って帰っての繰り返しをしつつ、合計すると約2年間くらい滞在していただろうか。

私がちょっとずつ初歩的な中国語会話を教えてあげつつ、現地でちょっとずつ中国語を覚えていった。

今では、簡単な日常会話くらいならできるようになっている。

 

そんな彼氏に、スピードラーニング中国語について、

「聞き流すだけで中国語ができるようになると思う?」

と尋ねてみると、

「あかんやろ」

と即答した。

「英語と違って中国は漢字の国なんやから。日本人は漢字を知ってるアドバンテージがあるんやから、それをうまく生かさなあかんわ」

実戦で中国語を学んでいった彼氏の意見には私以上に説得力がある。

しかも、私と同じ考え方なのでうれしくなった。

 

私は英語より中国語のほうが好きだ。

というのも、英語で全く知らない英単語が出てきたらお手上げだけれど、中国語では知らない単語が出てきても、表意文字である漢字があると、だいたいの意味が推測できるからだ。(もちろんできないものも多いし、誤解をする可能性も大きいけれど。)

それに、音だけで覚えるのではなく、目で見て耳で聞くほうがイメージがつかみやすい。

 

日本語で漢字に読み方があるように、中国語でも漢字に読み方がある。

この漢字はこう読むんだな、とわかった瞬間、たくさんの単語が読めるようになる。

例えば、「方法」という単語を知っていたら、「方」と「法」の両方の読み方を覚えたことになるわけだ。

そうすれば、「方向」という単語は「向」の読み方を知ればいいだけだし、「法律」も「律」の読み方を覚えればすむ。

熟語は漢字の組み合わせなので、知っている単語がどんどん増える。

英語だとこうはいかない。

 

だとしたら、スピードラーニング中国語で漢字を見ずに音だけ知ったところで、音と漢字が結びつかなかったらどうなのか?

すごくすごく損な学習法なんじゃないか、と思わざるをえない。(他にも、声調とか発音の問題などいろいろあるけど、ここでは割愛。)

 

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先日、今年の自分課題図書である沢木耕太郎深夜特急』の「1香港・マカオ」をやっと読み終えた。

深夜特急〈1〉香港・マカオ (新潮文庫)

深夜特急〈1〉香港・マカオ (新潮文庫)

 

言わずと知れた紀行小説の大ベストセラー。

 大沢たかお主演でドラマにもなった名作だ。

もう20年以上も前から、「いつか読もう」と思い続けて、時期を逸してきた。

文庫本1巻の巻末対談で海外へ旅に出る適齢期についての話があったが、読書にだって適齢期がある。

それを考えたら、私は完全にバックパッカーの旅行記を読むには適齢期を逃しているのだが、介護やら何やらで簡単には海外へ行けない今だからこそ、若者の冒険譚を読むのも悪くない。

 

ところが、サクサク読めるはずの面白い旅行記なのに、なかなか読み進まない。

初めての海外旅行でインドに一人で行ったときの不安や、数年前にマカオのカジノで遊んだワクワクがこみ上げてきて、その度に手が止まってしまったからだ。

 

海外に行くと、自分が一回り成長して帰ってくる気がする。

沢木耕太郎に比べると、私の旅行なんて温泉旅行みたいに生ぬるいものだけど(デリーでは高級ホテルに泊まってたし、カジノで遊んだ軍資金はたった3,000円だった)、それでも、ちっぽけな女の生活に十分なスパイスを与えてくれる。

その場の温度、湿度、匂い、味、そして人々の声、表情。

その土地に私の知らないものがたくさん詰まっている、と思うだけでドキドキする。

 

深夜特急』の香港のくだりでとりわけ共感した一節があった。

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日がたつにつれて、しだいに身が軽くなっていくように感じられる。言葉をひとつ覚えるだけで、乗物にひとつ乗れるようになるだけで、これほど自由になれるとは思ってもみなかった。

(中略)

香港に着いたとたん急に英語がうまくなる、などという奇跡が起こるはずはない。単語を並べるだけの英語であることには変わりなく、少し混み入った話になるともう口が動かなくなってしまう。だが、それを恐れることはないということがわかってきたのだ。口が動かなければ、手が動き、表情が動く。それでどうにか意を伝えることはできる。大事なことは、実に平凡なことだが、伝えようとする意があるかどうかということだ。

(中略)

英語が喋れる人に対しても、途中で意が通じ合わなくなると漢字で書いてもらう。そこに盛られた意味を想像し、こちらも勝手に漢字を並べると、不思議なほど理解してもらえる。相手の書く漢字が難しかったり、もう日本では使っていなかったり、逆に、こちらの書く字が日本式の略字であって相手にどうしても通じなかったりということもあったが、最後にはなんとか理解し合える。場合によっては、下手な英語よりはるかに心の奥深いところの、微妙な陰翳まで伝え合うことができた。

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外国には、私たちがわかってて当たり前の物事なんてない。

当たり前の事は素通りするけれども、そうじゃない物事がいちいち私たちに飛び込んでくる。

私たちは知らないからわかろうとするし、わかってもらえないから伝えようとする。

 

中国に長期出張に出かけた彼氏のもとを私が訪れたときのことだ。

週末、仕事の合間をぬって二人で蘇州へプチ旅行に出かけた。

彼氏が中国に滞在してまだ2週間目だったので、彼氏はちっとも中国語ができなくて、もっぱら私が通訳や交渉役を務めた。

けれども、彼氏がある店で店員とやり取りをしている様子を見ていると、とてもスムーズに通じているようであった。

「わかったの? さっきの英語じゃなかったんでしょ?」

と尋ねると、

「俺はHeart Talkingができるから」

と彼氏は自分の胸をポンポンと叩いて言った。

Heart Talkingなんて単語はなく、彼氏の造語。

彼氏によれば、HeartTalkingができる人は、どこの国だって歩いて行けるのだそうだ。

 

旅人たちは、言葉なんてできなくても軽やかに飛び立っていく。

私もいつかそんな旅人になりたい。

 

深夜特急』の旅の続きはマレー半島からだ。