3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

今の生活の限界は?

水曜日の夜、久しぶりに友達のYさんと電話した。
彼女とは同い歳で、10年来の大切な友達なのだけれど、なかなか不思議なつながりだったりする。

出会ったきっかけは、神戸ポートピアホテルで開催されたクレイジーケンバンドのディナーショーだった。
何でも一人で出かけていく私だけれど、さすがにテーブル席に一人ではまずいということで、mixi上で一緒に行ってくれる方を募集したところ、Yさんご夫婦が応えてくれたのだった。
そのとき返信をくれたのは夫さんのほうだったけど、今では奥さんのYさんとしか繋がっていないのも奇妙なものだ。

そんなふうに知り合って、Yさんご夫婦はもうクレイジーケンバンドのライブには来なくなったけど、Yさんとはずっとお友達だ。

好きなバンドもそうだけど、私はこの10年というもの、ほとんど何の変わりもなく生活している。
一方、Yさんは大病を患って入院したり、引っ越しをしたり、夫婦間の問題があったり、仕事を変わったりして、大変だったと思う。

ときどきしか会えないけど、会ったときは苦労話をゲラゲラ笑いながらおしゃべりする。
どんなにダークな話題も、おしゃべりしていると妙に可笑しくなってくるのは、お互いの波長が合うからだろう。

ここのところの、二人の共通の話題は親の介護だ。
私自身はこの10年で何も変わっていないつもりでいたけれど、そういえば、私の生活も介護のために変化していたのだった。
あまりに当たり前に、緩やかに生活を浸食していたので忘れてた。

彼女のお父さんは、脳梗塞の後遺症で要介護状態らしく、毎日ご実家まで片道2時間かけ、往復しているらしい。

彼女自身も病弱なのに、心労がたたるだろうなぁ、と心配になった。
夫さんは、心身ともに疲れている彼女を支えられる人じゃないだろうし、余計に気がかりだ。(数回しか会ってないけど、失礼ながらそんな印象。)

それで彼女を励ますために電話をしようと思ったのだったが、いざしゃべってみると、ほとんどが彼女から私へのアドバイスで、逆に私の方が励まされていた。

彼女はときどきこのブログを読んでくれているらしく、それで心配してくれていたらしい。
彼女のほうがしんどいだろうに、申し訳なく思う。
そして、ちょっと大仰に書きすぎているかなぁ、と反省。
大変だー、大変だー、って言ってる人が実は一番大変じゃなかったりするんだよ~。

うちの母の場合は、月曜日の午後から金曜日の夕方までショートステイに預けっぱなしなので、全く楽勝なのである。
土日もデイサービスを利用していて、その間に家事や用事ができる。
平日は会社勤めをしているけれど、スーダラ社員だからへっちゃらだ。

よく、老老介護とかで、「命を削るようにして介護生活を送っている」みたいな話をきくけど、私の場合は手抜きもいいとこなので、HPもMPもそれほど減らない。
何事も100%マックスまで頑張ることができない性格なのが幸いしているんだろう。(だから何事も中途半端でダメなんだけど。)

彼女がいろんな話を教えてくれた中で、最も胸に刺さったのは、人工呼吸器の話だった。
彼女はもともと病院に勤務していたから、その辺の事情に詳しく、
「緊急搬送された場合に、望まなくても人工呼吸器がつけられてしまうよ」
と教えてくれた。

万が一の話だけど、今後母の調子が悪くなった場合、当然施設の職員さんは救急車を呼ぶ。
救急のときは、神経内科で診てもらっている総合病院を搬送先に希望することはケアマネさんとも話している。

その万が一のときに、救急処置で人工呼吸器がついた場合、一度つけた人工呼吸器は外せない決まりになっているそうだ。

もちろん、回復して自発呼吸が可能になれば外せるだろうけど、うちの母の場合、病気が病気なので、元気になることはほぼ望めない。
今でさえ、身体も動かないし、声は出せるけどおしゃべりはできない。
顔の筋肉も固くなってきたので、表情を読み取ることも難しくなってきた。
美味しいものを食べることが唯一の楽しみだけれど、飲み込みがだんだんできなくなってきたら、それも消えてしまう。

最期のときは、静かに苦しむこともなく、すーっと息を引き取ってほしいと思うけれど、そんなにうまくいくものかどうか。
まだまだ先の話ではあるけれど(と思っているけれど)、母をどのように看取るのかは私の判断だ。

「一切の延命治療はしないでくださいって、紙に書いて、お母さんと波野さんの名前を書いて、判子を押して割り印したものをケアマネさんに預けておく」
というのが彼女のアドバイス

その話を聞いたときは、
「う~ん、そこまでは…」
と正直思ってしまった。
彼女の言うことは正しく、私がちゃんと準備しておいてあげるのが母のためなんだろう。
わかっているけど、考えたくない自分がいる。
できるなら、もっと先延ばしにしたい。

彼女は病院勤めの経験から、人工呼吸器をつけられた末期患者の話をしてくれた。
「どうしても人工呼吸器をつけたいっていう家族さんって、親族の意見が合わなかったり、その患者さんの年金が必要だったり、結局は自分達の都合なんよね。そんで、人工呼吸器をつけている患者さんでも、耳は聴こえるの。ベッドの横で家族が揉めてるのも聞こえるわけ。食事は流し込まれて、排泄も自分ではできなくても、耳は聴こえて、涙は流せるの」

いつもは何でも冗談で笑いとばして、二人で笑い合うのだけど、さすがにこの話には悲しみしかなかった。

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今日土曜日の午前は神経内科泌尿器科を受診。
相変わらず泌尿器科では、受付と待ち時間と診察前の3回、「検尿を取れますか?」と尋ねられた。

最近では1日2回尿が出ればよいほうで、そのうち1回は夜中に寝てる間に出てることが多い。
出ないから受診に来てるわけで、
「はい、出して」
といって出るならそもそも病院に来ていない。

診察時に先生に状況を話すと、すぐに理解してくれた。
個人の資質の問題だと思うが、神経内科の先生より泌尿器科の先生のほうが人として話しやすい。
今の母の、平日は施設にショートステイ、週末は自宅、という生活リズムを話すと先生は、
「尿のことは心配やけど、お母さんのことを考えると何もせえへんほうがいいかなぁ。週末に自宅に帰れる生活を続けられたほうがいいやろうからね」
と言ってくれた。

「ただし」
気さくな泌尿器科の先生は、はっきりと付け加えた。
「尿が出ない状態がいいわけがないので、尿感染症にかかるリスクはあります。そうなったときは38度とか39度とかの高熱が出ます。そのときが、今の生活の限界かなぁ」

できるだけ今の生活を続けたい。
けれど、一体どこが限界なのか。
私が判断するとしても、どこを基準にすればいいのか。
施設と自宅を往復するのは今もすでに限界、という見方もある。

けれど、できるだけ長く現状維持を続けたい私にとって、「高熱が出たら」という目安にものすごくスッキリした。
泌尿器科の先生、ありがとう。
考えることはいっぱいあるけれど、とにかく限界まで、今の生活をめっぱい楽しませてあげられる。

Yさんの話で気付かされたことのひとつは、身体が動かないくなっても、耳は聴こえているという話だった。

母はまだ耳が聞こえる。
おしゃべりができなくなってきても、食事の楽しみが減ってきたとても、耳が聞こえるなら音楽やお話が楽しめる。

母は歌が好きなので、以前はよく昔の曲をかけてあげていた。
3年ほど前まではしょっちゅう一緒に歌っていたものだ。
最近はだんだん歌も歌えなくなって、今はほとんど反応もしなくなってきたので、たまにしか音楽をかけなくなっていた。
テレビ番組も、以前は一緒に楽しめそうなものを選んでいたけど、最近は私の都合で自分の見たいものばかりかけてしまっていた。
すべて私のエゴ。

お母さん、筋少聞かせたり深夜アニメ見せたりしててごめんね。
今日からはお母さんの好みに合わせるよ。