3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

GWは台北へ

金曜日に実家に戻り、土日を過ごし、月曜日から出勤して神戸生活に戻る。
それが私の1週間である。

そのルーティンの中に、祝日は入っていない。
というか、入れないことにしている。

何事も「基本ルールを決める」のは大切で、それがないと、無理して頑張ったりズルズルさぼったりしてしまう。
介護なんて特に、頑張ろうと思えばやることは山ほどあるし、サボろうと思えばどこまでもサボれる。
前者は自分を追い込むし、後者は母の健やかさを損ねてしまう。

折り合いをつけるには、「とりあえずそういうルールにしとく」程度がよい、と思っている。
長引く介護生活と付き合うための、私なりの知恵だ。

2017年のはじめにカレンダーを見たとき、ゴールデンウィークに水木金の連休があるのに気付いた。
これ、自分ルールを変えずに旅行いけちゃうんじゃない?!?!

じゃあ、海外に行こう!

という話になって、彼氏と台北へ行くことにした。ていうか、行ってきた。

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二泊三日、それも金曜の夕方に母が戻ってくるまでに帰ってくる弾丸ツアーだった。
飛行機は1月に彼氏が予約しておいてくれたので、LCCなうえに時期が早いから超格安で行けた。
宿も、彼氏がアジアのホテルサイトから安くてキレイなホテルを見つけてきてくれた。
こういうとき、旅慣れている彼氏は頼もしい。

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海外旅行は6年ぶり。
彼氏が長期出張で滞在していた中国の江蘇省へ遊びに行ったとき以来だ。

江蘇省への旅行は行き帰りが一人旅だったこともあり、とても思い出深い旅だったが、それ以外でも強く記憶に残っているのは、その直前に母の介護認定を受ける段取りをしていたことだ。

「では、シルバーウィークに調査員が訪問するのでいかがですか? 娘さんが同席されるなら、お休みの日がいいでしょう?」
と打診され、
「ごめんなさい、あのぅ、シルバーウィークは旅行の予定がありまして」
と答えるのが本当に申し訳なかったからだ。

その頃は、母の左手がかなり動かなくなっていた時期だ。
特にお風呂に入るのに介助が必要になってきており、湯船につかるくらいは一人でできるけれど、片手だと洗うのが困難で、特にシャンプーができなかった。
毎週末、私が母と一緒にお風呂に入って、母の髪と身体を洗ってあげていた。

そんなこともあり、介護認定がどういうものかさっぱりわからないまま、
「早めに受けとこうか」
と、「とりあえず」な気持ちで町の居宅介護支援事業所に連絡したのが、旅行の10日前くらいだったか。

中国から戻ってくると手続きはすっかり終わっていた。
父と母の二人で対応していたので、
「低めに出るかもしれないなぁ。要支援でも仕方ないかぁ」
と思っていたら、出た認定は「要介護2」だった。
「もっと早めに連絡いただいてもよかったのに。ご家族で頑張られてたんですね」
と、ケアマネさんに言われたので、びっくりした。
自分たちの感覚では、「この程度で他人様を頼るんじゃないよ」くらいの感じだろうと思っていたのだ。

あれから6年。
おかげさまで、たくさんの人にお世話になって、母もまだ生きているし、私は今年台湾旅行まで行けている。
ありがたいものだ。

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台湾は、台北を拠点に淡水と九份に行った。

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夜は士林夜市と臨江夜市へ。

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いずれも観光地で、どこへ行っても日本人がたくさん。
食べ物も日本人の口に合うものばかり。

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強いて日本にないものと言えば、臭豆腐くらいだろう。
嫌いな食べ物はない、と答えている私だけれど、これまで唯一、食べられなかったのが臭豆腐だ。
臭いの強烈さにオーダーできなかった食わず嫌い。
それを今回、彼氏が、
「絶対食べさせる!」
というので、しぶしぶチャレンジしてみた。
あまりの臭さに口に入れたら吐くかもしれないと思っていたけれど、食べてみたら普通の揚げ豆腐みたいなものだった。
「一度食べれば病み付きに!」
という話も聞くが、好きにも嫌いにもならず。
とびきり不味いか、とびきり美味しいか、どっちかだと思っていただけに残念。

すべてにおいて、システムが違うだけで、文化の違いがほとんどない。
コンビニはセブンイレブンファミリーマートがほとんどを占め、そこで売られているコカ・コーラは『進撃の巨人』ボトル。

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テレビをつければ、子供向けチャンネルでは延々と『ちびまる子ちゃん』の放送。
駅で貼り出されているのは日本人タレントの看板。
街には日本製品が氾濫していて、まるで海外にいる感覚がなかった。
うれしいような、さみしいような。

旅の間、彼氏としょっちゅう、
「ちゃんとしてる!キレイ!中国やったらこうはいかへんで」
と言い合った。
路線バスの中でも、みんなマナーよく、うるさく騒ぐ人もいなければ、飲食禁止なので床にゴミもない。
ついつい、日本ではなく中国と比較してしまう。
「中国のバスやったら、バナナの皮が落ちとうからな。カップ麺食べとう奴もおるし。その汁を窓から平気で捨てるんやから」
なぜか、嫌だ嫌だといいつつ、中国のひどい話を懐かしそうに話す彼氏。

旅の中で一番印象深かったのは、MRTの中で出会ったおじいさんだ。
「日本の方ですか?」
と日本語で話しかけてくれた。
なまりのない完璧な日本語。
知的で気品のある老紳士だった。
おじいさんが降りる駅まで、台湾のことや、ご家族の話などを三人でしばらくおしゃべりした。

「私が二十歳のときに終戦を迎えましてね。それまで日本語の教育を受けたから。私は海軍だったんですよ」
とおじいさんは言った。
私たちはそれに対して、
「へえ、そうなんですね」
としか返せなかった。

よその国の統治下で、よその国の言語を教えられ、よその国の軍隊に入る、ということに対して、その当事国の私たちがどう反応すればいいかわからなかったのだ。

おじいさんが「海軍だったんですよ」と誇らしげに言った様子から、決して悪いように思っていないのはわかる。
けれど、それに甘えていいのか、わからない。
申し訳ない、と思っていいのか、わからない。
ありがとう、ご苦労様でした、と思っていいのか、わからない。

たった70年ちょっと前のことなのに、戦争時代はあまりに遠い。
旅行に出ると気づくのは、平面的な距離はどんどん近くなっているのに、時間軸はどんどん遠くなっていることだ。
台湾の歴史を勉強しなきゃ。
近い国なのに、あまりに知らない。
知らないということに気がついただけ、よかった。