3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

病院のハシゴとサイドミラー

おとといの土曜日はハードスケジュールだった。
というのも、U病院の神経内科とA病院の内科の受診日が重なってしまったからだ。
うっかりしていて、どちらの薬もその日の夜の分から不足するような状態で、日の変更もできない。
どちらも診察は午前中だけなので、効率よく迅速に行動しないといけない。

母を同行させるのは神経内科だけにして、内科のほうは家族の代理だけにさせてもらった。(母は施設に迎えにきてもらって、デイサービスへ。)
神経内科は空いている日もあるのに、こんなときに限って混んでいた。
内科はいつもどおりの長時間待ち。
私だけでもクタクタになったのに、母も両方連れて行っていたらどんなに疲れただろう。

受診を終えたら、神経内科があるU病院近くの薬局で両方の病院の処方箋をお願いした。
つまり、行ったり来たり。
A病院近くの薬局だと、土曜日は早じまいすることに加え、神経内科の特殊な薬を置いていない可能性があるからだ。

今年の春先から、錠剤は薬局で粉砕してもらって、できるだけ一包化してもらっている。
母はずいぶん前から錠剤を飲み込むことはできなくなっているのだけど、薬局で粉砕してもらうまでは噛んだり舐めたりして対処していた。
錠剤を噛み潰すことができるくらい、今も歯は丈夫なのだけど、錠剤が歯の隙間に入り込んだり、口の中に隠れていたりすることがあるので、確実に薬を飲み込めるようにするには、粉にしてペースト状のものに混ぜたほうがよい。

薬局にたどり着いたのが午後2時くらい。
粉砕のお願いをすると、
「これだけたくさんのお薬を粉砕して一包化するには午後5時くらいまでかかりそうですが、一旦帰られますか?」
と言われてしまった。

お母さんがデイサービスから帰ってくるのが5時。
再度取りに来るなんて無理だよ!とショックを受けたけれど、薬局の言い分もわかる。
母が飲んでいる薬は両方合わせて11種類。しかも神経内科は2か月分、内科は1か月分。それらをそれぞれ朝昼夜に分けて包む。
時間がかかるのももっともだ。
仕方なく、その日の夜に必要なお薬だけ錠剤でもらい、残りのものは明日再び取りに来る、という段取りにした。

病院も薬局も、ほとんどの時間は待っているだけ。
何をしたわけでもないのに、家に帰った頃にはヘトヘトになっていた。

車の運転手として同行していた父も、
「何にもしてへんけど疲れたなぁ」
と言っていたが、そのせいだろうか、電柱に左側のサイドミラーをこすってしまった。

狭い道で対向車とすれ違う瞬間だった。

かなり減速していたし、ミラーは畳まれただけで大事には至らなかったのだけど、助手席に乗っているこちらとしては、
「キャーッ、ぶつかる!!!」
と悲鳴をあげてしまった。

実は、父は同じ場所、同じ状況で、サイドミラーをぶつけたことがある。
2015年11月、父が脳梗塞の入院から退院して3か月後のことだ。

狭い上に交通量の多い道で、その電柱1本だけが道に飛び出している。
父と同じようにこするのだろう、その電柱には何本ものこすり跡がついている。
私が運転するときもぶつけそうで怖くなる、「あるある」なスポットだ。

2年前に父がぶつけたときも私が助手席に乗っていて、やはり対向車とすれ違う瞬間だった。
今回と違ってスピードを落とさなかったため、派手にぶつかり、大きな音とともにサイドミラーはポッキリと折れた。

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病後、父の運転は荒くなった。
本人は平然として反省しない。
「サイドミラーをこするんは若い頃からやな。何べんもやっとんや」
余計にアカンやないか!

これはもう免許を取り上げるしかない、と真剣に考えた。
とはいっても、うちの父が素直に言うことを聞くわけがなく、運転に関する押し問答が続いていた。

やがて、父もだんだん日常生活のペースを取り戻すと同時に、運転の慎重さと正確さも取り戻していた。
リハビリに行くようになってから、運転について心配するようなこともなくなってきた。

この調子なら、もう少しなんとかなるかなぁ、と思っていた矢先の、サイドミラー。

病院の行き帰りで疲れていたせいもあるかもしれないけれど、再び免許剥奪計画を考えるときが来た。
自損で本人がケガをするのはかまわないけど、人様に何かあったら取り返しがつかない。
…だけど、警察の高齢者講習もちゃんとパスしてるだけに、本人は納得しない。
私も運転がド下手なだけに、どう対処すればよいのかわからない。