3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

認知症×マフィア=『おじいちゃんはデブゴン』

『我的特工爺爺』という、サモ・ハン監督・主演のアクション映画のことを知ったのは去年。
「特工」というのは特殊部隊のことらしく、引退した元・特工おじいちゃんが活躍する話らしい。
それだけなら、クリント・イーストウッドの『スペース カウボーイ』的な‘昔取った杵柄系ストーリー’かと思ったけれど、気になったのは主人公が認知症だという設定だった。
日本に来たら絶対観よう!と思っていたので、元町映画館で上映が決まったときからずっと楽しみにしていた。

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『我的特工爺爺』の日本語タイトルは『おじいちゃんはデブゴン』になっていた。
なんじゃその邦題は?!
気の毒に、サモ・ハン主演の映画は「デブゴン」の呪縛から逃れることはできないのだろうか…。
サモ・ハンが一度も痩せなかったのが香港映画界の幸いであろう。

sammohungisback.com

実はこの『おじいちゃんはデブゴン』は、‘昔取った杵柄系’でもなければ、‘おじいちゃんが頑張る’話でもなかった。
チラシやサイトのストーリー紹介をざっと読んだら、「かつて強かったおじいちゃんが、誘拐された少女を救出するために大活躍する話」なように読めるのだけれど、そうではないのだ。(※ネタバレします)

だいたい、近所の女の子は行方不明になるものの、誘拐されたと決まったわけではない。
主人公のおじいちゃんは女の子の行方を探しているだけなのに、えらいことに巻き込まれていく。
「頑張る」のではなく、「相手が向かってくるんで、なんかわからんがやっつけてしまった」という展開なのだ。

認知症という設定だからか、サモ・ハンは無口で無表情。
いろんなことを忘れてしまうけど、慌てる様子もない。
いつもぼんやりしていて、少しだけ、困ったなぁ、という顔をする。
戸惑いながらも条件反射的に、チンピラの手を骨折させたり投げ飛ばしたりしてしまう。

少女を探して地元ヤクザのアジトを訪ねていくのだが、ヤクザのボスに、
「ジジイ、帰らんと殺すぞ」
と耳元で脅されると、無表情のまま突然ボスを殴り倒してしまうおじいちゃん。

えっ、いきなり!?!
そのタイミングで殴るの!?
という、空気を読まない絶妙な間。
主人公だけれど、何を考えているのかがちょっと読めない。

びっくりして慌てて飛びかかってくる手下たち。
もちろん、おじいちゃんは全員ボコボコに返り討ちにしてしまう。

そこへ、地元ヤクザと対立関係のロシアマフィアが出入りにやってくる。
アジトの中は、すでに全員が瀕死の状態。
どうなってるんだ?!と驚きつつ、
「皆殺しだぁ!!」
と生き残っている構成員の息の根を止めにかかるロシアマフィア。

なぜそこで皆殺し!?
と堅気の日本人女性は思ってしまったけれど、ロシアマフィアは仕事を最後までやり終えないと気が済まないのだろう。

そんな阿鼻叫喚の中でぼんやり立っている太ったおじいちゃん。
おじいちゃんもロシアマフィアも、状況が飲み込めないまま対峙し、流れで戦ってしまう。
死闘の末、おじいちゃんの大勝利

その後も、まんまと逃げ出したヤクザのボスを追いかけたけれども、仲間同士の内輪揉めによってボスは殺されてしまい、結局少女の行方を掴むことができなかった。

途方に暮れて線路脇で座り込んでいるおじいちゃんを、偶然通りかかった近所の女性が保護してくれる。
一見すると単なる徘徊老人。
なのに、まさかまさか、マフィア組織を2つも潰してしまったなんて誰が想像できただろうか。

ラスト、行方不明だと思われた少女は、友達の家に遊びに行っていただけ、というハッピーエンドで終わる。
そんなことだろうとは思ったけどね。


この映画の珍しいところは、舞台が中国とロシアの国境の町だという点。(だったらなんでみんな広東語でしゃべってるのか不思議だけど。)

中国とロシアは地続きだ。
この2国間でもずっと国境紛争をやっているらしい。(南シナ海尖閣だけじゃないんだよ~)
そして、紛争だけじゃなく、国境あるところ犯罪あり。
私たちは日本人だから、日本と中国、という視点でしかあまり中国を見ないけれど、こんなふうによその国とよその国の関係性を見るのも面白い。
(ただし映画では深堀りはされてない。中ロの雰囲気だけ。)

少女の父親役をやっているのがアンディ・ラウ
賭博で作った借金の返済を待ってもらうために、ヤクザに命令されて、ウラジオストクでロシア人が盗んだ宝石を盗みに入る。
つまり中国ヤクザがロシアマフィアの上前をはねようとするわけだ。

そしてアンディ・ラウはロシアマフィアからの逃亡劇を繰り広げるのだが、ホテルの階段を手摺から手摺へと、テナガザルの如く跳んでいく様子は圧巻。
最後はガラス窓を突き破って、旗のポールにぶつかりながら、車のボンネットに落ちる。
これ、アンディ・ラウ本人だよね?スタントもワイヤーもCGも使ってないよね?
こういうのを見ると、やっぱり香港の俳優さんの身体能力の高さを思い知る。

そうそう、サモ・ハン要素を除いてみると、この映画は『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』的なクライム・アクションなのだ。
そもそもこの映画を‘認知症映画’として興味を持つ人がどれくらいいるかというと、皆無に等しいだろう。
主人公が認知症だといっても、物忘れ程度の初期症状で、病気に対する本人の認識や気持ちもあいまいだ。

そのせいか、‘認知症を描いた映画’によくある暗さがない。
それは、悪く言えば‘浅さ’かもしれないけれど、良く言えば、認知症のおじいちゃんを主人公にしても楽しいストーリーが描ける、ということだ。

私が最初に認知症のことを知ったのは、子供の頃にテレビでやっていた『恍惚の人』だったと思う。(映画なのかドラマなのか、その紹介だけの番組か、そこまでは覚えていない。)
当時はまだ認知症という言葉はなく、痴呆老人と言われていた。
ボケた舅が、お世話をしてくれている嫁に暴力をふるうシーンがあって、それが子供心に怖かった。

その印象があるからか、めっちゃ強い人が認知症になってしまったら手に負えないよなぁ、とつい思ってしまう。
サモ・ハンが暴れだしたら介護者が死んじゃう!…という私の心配は杞憂に終わってよかった。(そもそもそんな救いのないストーリー、映画にできないよ!)

高齢化社会が進めば進むほど、認知症映画はこれから増えていくだろう。(元町映画館で上映される『八重子のハミング』がまさにそれ。)
でも、まだ認知症を描いた作品には、家族の苦労と愛情、人間性への洞察、人生の振り返り、みたいな重いものが多い気がする。
ステレオタイプな感動だけじゃなく、もっといろんなタイプの認知症映画が出てきたらいい。
『おじいちゃんはデブゴン』はひとつのバリエーションになりうる。