蜂窩織炎って漢字が怖くない?
「口底蜂窩織炎かもしれません」
と、ケアマネさんからメールをもらった。
口底蜂窩織炎???
ホウカシキエン、と読むらしいのだが、見たことも聞いたこともない病名。
恐ろしげな漢字が並んでいるだけに、不安が募った。
ネットで調べると、「重症化すると死亡することもある」なんて書いてあるじゃないか!
ケアマネさんからのメールにも、
「炎症が進むと呼吸困難になる可能性があります。その時は救急車で赤十字病院へ搬送します」
とある。
なんてこと!
こんなふうに突然、母の状況が一変するなんて…!
そんなショックを受けたのは月曜日午後のことだった。
始まりは朝の訪問リハビリ。
「あれ?なんか右の顎が腫れてません?」
療法士さんが気がついた。
言われてみれば、顎が左右で全然違う。
「お母さん、右だけアントニオ猪木になってるよ!」
と、呑気なことを言いつつ、患部を触ると少し熱を持っていた。
リハビリが終わって施設のお迎えが来たとき、スタッフさんに訪問歯科の受診を依頼した。
施設では毎週火曜日に訪問歯科が巡回にやって来る。
明日受診させてやってください、と頼んでおいた。
私は巡回のついででかまわないと思っていたのだが、ケアマネさんはわざわざ緊急で往診を頼んでくれたらしい。
その日の午後すぐ、訪問歯科が来て診察してくれた。
そしてその見立てが「口底蜂窩織炎の疑い」だというのだ。
抗生物質のお薬が出て、火曜日にもう一度レントゲンを撮って、それでもまだ疑いがあるようなら、赤十字病院の口腔外科を紹介するので受診してください、ということだった。
実際そのとおり、木曜日に会社を休んで赤十字病院へ連れていくことになった。
免疫力が落ちると、本当に思いがけないことが起こるものだなぁ、とつくづく思う。
想像もつかなかった病気が襲ってくる。
バイ菌が歯の根っこや歯茎から入り、顎が腫れ、喉を圧迫して呼吸困難??
そんなことで死亡するリスクが????
1日前までは思いもかけなかったことが起きる。しかもラブストーリーより突然に。
告白すると、金曜日の夜に寝る前の口腔ケアをサボってしまった。
母もウトウトしていたので、できるだけ早く寝かせようと思ったのだ。
いや、それは言い訳で、私自身がズボラをかましたかっただけ。
そんなことで、「もしかしたら死んでしまうかも」みたいなことになる??
私のせいだったらどうしよう…。
死神ってやつはどこにでも潜んでて、こちらが油断すると遠くから手を振ってくる。
正直、月曜日はそんなことを考えて落ち込んだりしたけれど、「疑い」というのは「確定」じゃない。
赤十字病院でちゃんと診てもらうまでは診断もついていないし、腫れの様子からすると呼吸困難に至るほどでもないはずだ。
木曜日に赤十字病院に行くまでは、余計なことを考えても仕方がない、と気持ちを切り替えた。
じゃないと、私が怯える様子を見せたら、遥か遠くにいる死神を喜ばせてしまう。
あいつが近寄って来ないように、こちらは毅然としておかないと。
赤十字病院の予約は午前11時に取れた。
私と母は前の夜から帰っていて、朝はケアマネさんがお迎えに来てくれた。
今日の受診が長時間になることを見越して、リクライニングができる車イスを手配してきてくれたのだ。
その車イスが運べる車に乗ってきてくれて、送迎もしてくれた。
誰かが応援してくれるだけで心強い。
また、入院になる可能性が高いということもあって、施設に預けているおむつ類や着替え、薬なども一式返してもらい、私も一通りの準備をして車に積み込んだ。
入院のことを考えると不安でいっぱいである。
施設なら何から何まで理解してもらっているけれど、生活のすべてに介助が必要な母を、病院がちゃんと世話してくれるのかどうかも心配だ。
本人との意思疎通が図れないので、理解者が状況を説明しないといけない。
私がずっとそばにいられたらいいけれど、そうもいかない。
何より本人が環境の変化に戸惑うだろう。
入院したとたんに病状全般が悪化するという話もよく聞く。
反対に、入院したほうが安心という考え方もある。
少なくとも呼吸困難で緊急搬送はありえないわけだ。
もし入院したら土日は母を病院に任せきりにできるので、逆に私の手が空く可能性もある。気持ちにけりをつけ、遊びに出かけることだってできる。
何にしても良し悪し、メリット・デメリットがある。
だから、入院のことも決まらないうちは何も考えないようにした。
大学時代、カウンセリングルームに通ったことがある。
当時、自殺した漫画家・山田花子に心酔していて、自分がコミュニケーション不全なんじゃないかと思っていたのだ。
というより、カウンセリングに通っちゃうような、ナイーブで繊細な人を演じたかっただけだった、と今振り返って思う。
仮病の私でも、カウンセリングの時間は私にとってとても意味があった。
私の担当のカウンセラーさんが言ってくれた言葉のいくつかは今でもよく覚えていて、その一つが、
「波野さんは気持ちの切り替えがとっても上手。それはほかの人にはない能力ですよ」
と褒めてくれたことだ。
そのとき初めて、自分が「気持ちの切り替えが上手な人」なのだと知ったのだけれど、指摘されたことでさらにその能力は向上していったように思う。
今回のようなことがあっても、
「今クヨクヨしても仕方ない。結果が出るまで気持ちを切り替えよう」
と思う。
不安はとりあえず脇へ置いておいて、仕事をしたり、彼氏と会ったり、『おじいちゃんはデブゴン』を見に行ったりできた。
もしかしたら、大学生時代の私は、それほど気持ちの切り替えがうまい人ではなかったかもしれない。
あれは、カウンセラーさんが私にかけてくれた魔法の呪文だったのかもしれないなぁ、と最近考える。
というわけで、長くなったので赤十字病院受診については次回に続く。