3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

蜂窩織炎って漢字が怖くない?

「口底蜂窩織炎かもしれません」

と、ケアマネさんからメールをもらった。

 

口底蜂窩織炎???

 

ホウカシキエン、と読むらしいのだが、見たことも聞いたこともない病名。

恐ろしげな漢字が並んでいるだけに、不安が募った。

 

www.ishamachi.com

 

ネットで調べると、「重症化すると死亡することもある」なんて書いてあるじゃないか!

ケアマネさんからのメールにも、

「炎症が進むと呼吸困難になる可能性があります。その時は救急車で赤十字病院へ搬送します」

とある。

 

なんてこと!

こんなふうに突然、母の状況が一変するなんて…!

 

そんなショックを受けたのは月曜日午後のことだった。

始まりは朝の訪問リハビリ。

 

「あれ?なんか右の顎が腫れてません?」

 

療法士さんが気がついた。

言われてみれば、顎が左右で全然違う。

「お母さん、右だけアントニオ猪木になってるよ!」

と、呑気なことを言いつつ、患部を触ると少し熱を持っていた。

リハビリが終わって施設のお迎えが来たとき、スタッフさんに訪問歯科の受診を依頼した。

 

施設では毎週火曜日に訪問歯科が巡回にやって来る。

明日受診させてやってください、と頼んでおいた。

私は巡回のついででかまわないと思っていたのだが、ケアマネさんはわざわざ緊急で往診を頼んでくれたらしい。

その日の午後すぐ、訪問歯科が来て診察してくれた。

そしてその見立てが「口底蜂窩織炎の疑い」だというのだ。

 

抗生物質のお薬が出て、火曜日にもう一度レントゲンを撮って、それでもまだ疑いがあるようなら、赤十字病院の口腔外科を紹介するので受診してください、ということだった。

実際そのとおり、木曜日に会社を休んで赤十字病院へ連れていくことになった。

 

免疫力が落ちると、本当に思いがけないことが起こるものだなぁ、とつくづく思う。

想像もつかなかった病気が襲ってくる。

バイ菌が歯の根っこや歯茎から入り、顎が腫れ、喉を圧迫して呼吸困難??

そんなことで死亡するリスクが????

1日前までは思いもかけなかったことが起きる。しかもラブストーリーより突然に。

 

告白すると、金曜日の夜に寝る前の口腔ケアをサボってしまった。

母もウトウトしていたので、できるだけ早く寝かせようと思ったのだ。

いや、それは言い訳で、私自身がズボラをかましたかっただけ。

そんなことで、「もしかしたら死んでしまうかも」みたいなことになる??

私のせいだったらどうしよう…。

死神ってやつはどこにでも潜んでて、こちらが油断すると遠くから手を振ってくる。

 

正直、月曜日はそんなことを考えて落ち込んだりしたけれど、「疑い」というのは「確定」じゃない。

赤十字病院でちゃんと診てもらうまでは診断もついていないし、腫れの様子からすると呼吸困難に至るほどでもないはずだ。

木曜日に赤十字病院に行くまでは、余計なことを考えても仕方がない、と気持ちを切り替えた。

じゃないと、私が怯える様子を見せたら、遥か遠くにいる死神を喜ばせてしまう。

あいつが近寄って来ないように、こちらは毅然としておかないと。

 

赤十字病院の予約は午前11時に取れた。

私と母は前の夜から帰っていて、朝はケアマネさんがお迎えに来てくれた。

今日の受診が長時間になることを見越して、リクライニングができる車イスを手配してきてくれたのだ。

その車イスが運べる車に乗ってきてくれて、送迎もしてくれた。

誰かが応援してくれるだけで心強い。

また、入院になる可能性が高いということもあって、施設に預けているおむつ類や着替え、薬なども一式返してもらい、私も一通りの準備をして車に積み込んだ。

 

入院のことを考えると不安でいっぱいである。

施設なら何から何まで理解してもらっているけれど、生活のすべてに介助が必要な母を、病院がちゃんと世話してくれるのかどうかも心配だ。

本人との意思疎通が図れないので、理解者が状況を説明しないといけない。

私がずっとそばにいられたらいいけれど、そうもいかない。

何より本人が環境の変化に戸惑うだろう。

入院したとたんに病状全般が悪化するという話もよく聞く。

 

反対に、入院したほうが安心という考え方もある。

少なくとも呼吸困難で緊急搬送はありえないわけだ。

もし入院したら土日は母を病院に任せきりにできるので、逆に私の手が空く可能性もある。気持ちにけりをつけ、遊びに出かけることだってできる。

 

何にしても良し悪し、メリット・デメリットがある。

だから、入院のことも決まらないうちは何も考えないようにした。 

 

大学時代、カウンセリングルームに通ったことがある。

当時、自殺した漫画家・山田花子に心酔していて、自分がコミュニケーション不全なんじゃないかと思っていたのだ。

というより、カウンセリングに通っちゃうような、ナイーブで繊細な人を演じたかっただけだった、と今振り返って思う。

仮病の私でも、カウンセリングの時間は私にとってとても意味があった。

私の担当のカウンセラーさんが言ってくれた言葉のいくつかは今でもよく覚えていて、その一つが、

 

「波野さんは気持ちの切り替えがとっても上手。それはほかの人にはない能力ですよ」

 

と褒めてくれたことだ。

 

そのとき初めて、自分が「気持ちの切り替えが上手な人」なのだと知ったのだけれど、指摘されたことでさらにその能力は向上していったように思う。

今回のようなことがあっても、

「今クヨクヨしても仕方ない。結果が出るまで気持ちを切り替えよう」

と思う。

不安はとりあえず脇へ置いておいて、仕事をしたり、彼氏と会ったり、『おじいちゃんはデブゴン』を見に行ったりできた。

 

もしかしたら、大学生時代の私は、それほど気持ちの切り替えがうまい人ではなかったかもしれない。

あれは、カウンセラーさんが私にかけてくれた魔法の呪文だったのかもしれないなぁ、と最近考える。

 

というわけで、長くなったので赤十字病院受診については次回に続く。