3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

赤十字病院のいちにち

赤十字病院での受診は1日仕事だった。
慣れない病院で勝手がわからず時間がかかったせいもあるけれど、とにかく待って待って待ちまくった1日だった。
初診受付で待ち、口腔外科で待ち、採血で待ち、レントゲン撮影で待ち、診断で待ち、点滴で待ち、切開手術で待ち、精算で待った。
ケアマネさんが手配してくれたリクライニングができる大きな車イスは、移動するときに動かしにくく、待ち合いで場所を取る、というデメリットはあったものの、ときどきリクライニングして母を眠らせることができて助かった。

待っている間、長時間飲まず食わず。
私は大丈夫だけれど、母のことが心配になった。
母はトロミのついたものをスプーンでしか飲めないので、ちょっとペットボトルを買ってきて、というわけにもいかない。
トイレにしても、ベッドでのオムツ替えになるので、病院ではどうしようもない。
そのうえ、午後になっているのに、お昼の薬が飲めないままなのが気になってしょうがなかった。
病院にいるだけで弱ってしまいそうだった。

そんな赤十字病院での1日だったが、診察の結果、蜂窩織炎ではないことがわかった。
そして入院もせずに済んだ。

口腔外科の先生に、
「問診票に『蜂窩織炎の疑い』と書かれてますけど、医療関係者の方ですか?」
とに聞かれ、
「訪問歯科の先生から蜂窩織炎の疑いがあるので、赤十字病院で診てもらってください、と言われたのです」
と答えると、
「結論から言うと、蜂窩織炎ではないです。そこまでひどくないというか。その手前の段階ですね」
と言ってくれてホッとした。

「治療としては、腫れているところの膿を出す切開手術をします。抗生物質のお薬と、3日ほど点滴を続けます。」
「はい」
「入院は可能ですか?」
「可能?…かどうかは、世話をお任せできるかどうかによるんですけど…」
「全介助ですか」
「そうです」
「通院は可能ですかね?」
「なんとか」

おそらく、普通の人なら入院なのだろう。
皮肉だけれども、全介助の病人だから入院はやめ、になったのだ。
私が不安に思う点と同じことを、病院側も心配した結果だろう。
通うとしても幸い週末だ。会社を休むのも最小限で済みそうだった。

もし入院だったら先が思いやられるな、と思ったのは、病院内の訪れた先々で病気の説明をしなければならなかったことだ。
採血で、レントゲンで、点滴で。
「えっと、脳梗塞か何かですか?」
「いえ、大脳皮質基底核変性症です」
「腕は伸びますか?」
「伸びません」
「痛かったら言ってくださいね」
「すみません、言えないと思います」
そんなやり取りを、それぞれの部屋でその都度その都度、しなければならなかった。

特に困ったのはレントゲンだ。
台に顎を乗せると頭の回りを360度回転してレントゲンを撮る機械だった。
まず、車イスでは台に顎が乗せられない。
無理矢理背中を押し、頭を支えて顎を乗せようとしたけれど、ちょうど腫れている部分を台に押さえつける形になる。
軽く触るだけなら平然としている母が、ちょうど患部が当たるようでひどく痛がり、すぐに外そうとする。
もともと背中が丸まって首が前に出ているうえに、痛みで肩がすくんでしまった。
これだと、頭の周りを回る機械が肩にぶつかってしまう。
うまくいかないのでレントゲン技師さんがもう一人出てきて、またあれこれ試すものの好転せず、結局この機械でのレントゲン撮影は無理だということになった。
技師さんたちの話では、円背の高齢者にはたまにあることだという。
最新の医療機器め、役立たず。
簡易レントゲンなら、とっくに訪問歯科で撮ってくれてるんだけど。

大脳皮質基底核変性症という病気のことを配慮してくれた唯一の場面は、膿を切開する前の問診だった。
「震えは出ませんか?」
「手を動かそうとすると震えます。あと、ときどき足も突然緊張します」
「頭はどうですか?」
「こっちへ向けていても、ゆっくり回ります」
「頭が震えることはないんですね」
「ないです」
「なぜこんなことを尋ねるかというと、これから口の中を切開するのですが、頭が震えると別のところを傷つける可能性があるからです」
初めて、医者を医者なんだなぁ、と感じた。
医者でも自分の担当の分野しか知らない人が多すぎるから、ちゃんと大脳皮質基底核変性症を知ってくれているだけで、「やるな」と思ってしまう。

そのほか、糖尿病があるとこの疾患にかかりやすいこと、血液がサラサラになる薬を飲んでいるので血が止まりにくいかもしれないが薬はやめないほうがよいこと、切開後も腫れはしばらくひかないが冷やさないこと、などの注意事項を聞いた。

切開の場には立ち会えず、終わったら母は口に血をいっぱいにじませたガーゼをくわえて出てきた。
ひとまず終了。
早期発見と早い対処のおかげで、大事に至らずに済んだ。

母を施設に預け、神戸へ戻る電車に乗ったとたん、どっと疲れが押し寄せた。
実は父も私の行き帰りの運転手として同行し、病院でも出たり入ったりしながら付き添ってくれていたのだが、父の携帯の万歩計を見たら約5,000歩も歩いていた。
ほとんど座って待っていただけなのに、5,000歩。
父でそれなら、私はもっと歩いている。
そりゃ疲れるはずだ。
ちょっとは脂肪が燃焼してたらよいのだが。