3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

傷は生きている証

昨日は皮膚科に行って、母の傷の抜糸をしてもらった。

一週間ですっかり傷口は茶色く乾いてくっついていた。

抜糸ってどうやるのかな、また私は待合室で待たされるのかな、と思っていたら、その場で先生がハサミを出して、パチンパチンと糸を切り、ピンセットでヒョイヒョイヒョイと抜いた。

あっという間に済んでしまった。

 

「お風呂に入るとき、まだしばらくはこすらないようにしてください」

とだけ注意を受けた。

もう消毒も包帯も要らないという。

ガーゼを買い足しておいたけど、もう必要なくなってしまった。

これで治療は終了だ。

 

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早く病院に連れて行っていたら、もっと早く治っていただろうと思うと悔やまれる。

もっと言えば、傷跡だらけの左腕も、病院で見てもらっていたらこれほど跡が残ることはなかったかもしれない。

 

 

ところで、私の右ひざと右ひじにも傷跡がある。

小学6年生のときに自転車で転んでケガをしたのだ。

ちょうど今頃、夏休みの昼下がりだった。

歯科へ行く途中で、デニムのジャンパースカートを着ていた。

半袖だったし、靴下はショートソックスだった。

家から出発するのに立ちこぎをしたとたん、スカートのストラップがハンドルにひっかかってコントロールを失い、派手に転倒した。

女の子をお持ちのお母さんお父さん、お嬢さんにはジャンパースカートで立ちこぎをさせないように!

 

私は泣きながら家に戻って、浴室で傷を洗い、自分で手当てをした。

ものすごく痛かった。

歯医者さんに予約のキャンセルをしたかどうかは忘れた。

母が買い物から帰ってくるまで、「痛いよぅ、痛いよぅ」と声に出して泣きながら、畳の上でうずくまっていたのは覚えている。

 

親からは、

「病院に行くか?」

と尋ねられたけど、子供だったのでそもそも転んだのが恥ずかしく、

「いい」

と断った。

子供というのは往々にして体面を気にして、大人の提案を断るものである。

子供の自主性を重んじる家庭だったといえばそうだけど、こういうときくらいは、病院に行くべきかどうか子供に任せず、大人が判断してほしかったな、思う。

このときちゃんと病院で手当てをしてもらっていたら、こんな傷は残らなかったかもな、と今は思う。

 

鄭義信の戯曲『千年の孤独』の中に、

 

「生きていくというのは、汚れていくということだ」

 

というようなセリフがあった。(うろ覚えなので正確じゃないです、ごめんなさい)

深い意味を孕んだ哲学的なセリフだとは思うけれども、私にとっては、自分の身体に傷ができたりシミができたりするたび、日常生活の中でこのセリフを思い出す。(その割にうろ覚えってあんた!)

 

人間は生きていれば経年劣化する。

物も、生き物も、みんなそう。

 

逆に言えば、生きているから傷跡もできる。

 

これまたうろ覚えで何ていう作品の何だったかも覚えていないけれど、傷を負った主人公が魔法か何かで元の身体に戻してあげようと言われたときに、

「この傷は思い出として、このままにしておいて」

と言うシーンがあった。

傷跡というのは、良くも悪くも過去の記憶とともにある。

自転車で転んだのは悪い思い出だけど、確かに小学6年生の、夏の日の私がそこにいる。

 

そういえば傷跡は英語でMarkというけれど、個人を特定する「印」、マークである。

もし私の右腕が切断されて飛んでいってしまったとしても、自転車でこけたときの傷跡があれば、「これ私の右腕です」って判断がつく。

傷跡もホクロもシミもない完璧な腕では、これまでの人生を一緒に過ごしてきた右腕かどうか、見分けがつかないかもしれない。

 

さて、母の話に戻そう。

傷の経過などについてケアマネさんと話をしていると、

「お母さまにはまだ、傷を治す力がありますから」

と言われて、はっとなった。

 

そうだ! そのとおり!

 

病気は進行しているけれど、ケガをしたって治すだけの回復力を母はまだ持っている。

傷跡は残るだろうけど、それはケガを克服した証だ。

 

ケガが治る。

母には回復する力がある。

 

それだけのことで、すごく力がわいた。

健康な人では当たり前のことだけど、病人にとっては希望だ。