3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住むアラフォーOL、波野なみ松の、仕事と趣味と母の介護を両立させる日々の記録。

カズオ・イシグロと文豪ストレイドッグス

英米文学の存命の作家の中で、一番好きな作家はカズオ・イシグロだったりする。
だから、ノーベル文学賞受賞は本当にうれしかった。

でも、声を大にしてファンだと言えないのは、最新作の『忘れられた巨人』をまだ読んでいないから。

あと、『充たされざる者』は、買っても手付かずに置いたままだ。
だって、文庫なのにこんなに分厚いんだもの。
(ちなみに、私のオススメは短編集『夜想曲集』。面白さでは『私を離さないで』と『日の名残り』だけど。)

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私の中では、全作品をちゃんと読み込んでこそ、好きだとかファンだとか言えるもんだ思っているのだけど、ときどき、1作品くらいしか知らないくせに「ファン」を自称する人達に出会うと感覚の違いを思い知らされる。

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ファンって一体何なんだろう。

それより何より、ニュースを見ていると、
「日本人として誇らしい」
というようなコメントが多数寄せられている反面、皆が口をそろえて、
「読んだことがないので、これから読みます」
と言うのが気になった。

こうやって流行で読む人達の何人が、イシグロ文学の良さをわかってくれるだろうか、と思ってしまう。
きっと、
「読んだけど、何が良いのか全然わからなかった」
なんていう感想がたくさん出るだろう。

それが予測されるだけに、自分の好きな作家が汚されるような気分になる。

入り口は広いほうがいい

そういえば、8月に文学博士の友人Mと会ったときに、カズオ・イシグロの話をした。
彼はハルキストで、私はカズオ・イシグロ派で、どっちがノーベル賞に近いか、という話題になった気がする。

でも、そんな話題よりも、私がそのときM博士と話したかったのは、『文豪ストレイドッグス』や『文豪とアルケミスト』のような文豪関連のコンテンツについてだった。

文豪ストレイドッグス』については、高校の国語便覧に載っている程度の、上っ面の薄い情報だけで作られている感じがして、私は全く楽しめなかった。
「なるほど、そう来たか!」と通を唸らせる遊び心を期待していたのだけど、作家のイメージが一面的で幼稚なかんじがする。
そのうえ、作家の顔写真が残ってるのに全然違う見た目で描いて、なのに同じ名前をつけるなんて、違和感がないんだろうか?!

と、嘆く私に、M博士は、
「ああいうところから文学に興味を持ってくれる学生がいるから、否定はできないよ。入り口は広いほうがいい」
と言った。
ストレイドッグスきっかけでも、文学を読む若者が増えたらそれでよし、という教育者らしい発言。

カズオ・イシグロの件にしても、同じかもしれない。
10人に1人であれ、読んで良さを知ってくれる人が出ればよい、ってことかなぁ。