ヨーロッパ企画『出てこようとしてるトロンプルイユ』
11月1日はABCホールへヨーロッパ企画『出てこようとしてるトロンプルイユ』を見に行った。
トロンプルイユというのはだまし絵のことだそうだ。
立体的に描いてあって、まるで飛び出してくるように見えるというあれだ。
今だとトリックアートと呼ぶほうが一般的なのかもしれない。
そういえば何年か前に兵庫県立美術館で『だまし絵』の特別展をやっていて、見に行ったことがあったっけ。(調べたら2009年だった。もうそんなに経ったのか~。)
兵庫県立美術館-「芸術の館」-【だまし絵 アルチンボルドからマグリット、ダリ、エッシャーへ】
私が行ったときも『だまし絵』展にはたくさんの人が見に来ていたけれど、企画側が意外に思うほどのヒットになったらしいと聞いた。
人はだまされることが意外と好きだし、「ビックリ」を求めるのがアートの本分のひとつとも考えられる。
そういう点で、トロンプルイユと演劇というのはどこか似ているかもしれない。
物語は、死んだ画家の部屋を片付けようと集まった人々たちに始まる。
トロンプルイユを描いていた画家で、彼は世に出ることなく、不遇のまま人生を終えた。
舞台はパリのアパルトマン。
ということで、登場人物は主にフランス人。
えーっ!? 本田力くんもフランス人!?
とは思ったけれど、実際に見てみたら全然違和感がなく、むしろあのマッシュルームカットが赤毛になっているのはすごく似合っていた。
ハウス名作劇場で主人公の友達の友達なんかにああいう子供っていたよな、と思わせるパリジャンぶりだった。
そして「出てこようとしてる」というタイトルどおり、絵からいろいろ出てくる。
だんだん現実と幻想の境界があいまいになってくる。
コメディではあるけれど、ホラーでもある。
子供の頃にテレビで見た映画に、絵画の中の墓穴から死人が蘇って、だんだん近づいてくるというB級ホラーがあった。(で、検索したらおそらく下記のブログに書かれている映画じゃないかなぁ。)
映画では段階的に絵をすり替えていたという種明かしがあり、「なーんだ」的な話だったけれど、絵の中の人物が動き、やがて出てくるっつーのはやっぱり怖いよ。
劇中には、合わせ鏡の世界が描かれた絵画があって、その一番外側に実在の人物がいるようなシーンが多々用いられた。
それも驚きと笑いのシーンではあるけれど、繰り返されるうち、登場人物たちも観客も笑えなくなってくる。
合わせ鏡の世界というのもやっぱりちょっと怖い。
合わせ鏡の奥から悪魔が出てくる、という説もあるし、もしもあっちの世界に引きずり込まれたなら二度と戻れない気がする。
子供の頃は、あの向こうには何があるのだろう、あれはパラレルワールドなんだろうかと思い、合わせ鏡をするたびゾッとなったものだ。
話の後半はそういう「二度と戻れない異次元世界」の話に突入するのだけれど、前半は芸術論の会話劇で楽しかった。
死んだ画家の絵を平気で捨てる大家と、捨てられない自称芸術家たち。
同じ芸術でもオペラは大好きだけど絵画はそうでもないパン屋。
このパン屋のピエールが、すごくいい。
「絵は捨てるけどパンは捨てない。食べられるからね」
「下手な絵は捨てるけど上手い絵は捨てない」
という至極当然なことを素直に言う。
朗らかでまっすぐで、地に足がついている。
この人物がいるおかげで、物語が狭くならずにすんだ気がする。
フォービズムだ、印象派だ、レディメイドだと、カフェでいくらアート議論をしたとしても、地に足がついた普通の人々にはかなわない。
崇高な芸術と美味しいパンとだと、パンのほうに軍配が上がってしまう。
それでも魂を削って画家が向き合う芸術とは何なのか。
終演後、友人の本多くんにあいさつに行って、
「今まで見たヨーロッパの公演の中で、私はこれが一番好き!」
と言うと、
「え~、そうれすかぁ」
と、本多くんはなんとなく自信なさげな態度だった。
この日は大阪公演の初日だったけれど、東京、京都、高知と公演してきた中で、反応に賛否両論があったらしい。
「あのシーンがしつこかったせいかなぁ?」
中盤、何度も何度も同じシーンが繰り返される部分があった。
合わせ鏡の世界のメタファーにも感じられて私は面白かったけれど、正直言って、涼宮ハルヒのエンドレスエイトよりしつこい。
でも、本当にそのせい?
もしかしたら、西洋絵画史についていけなかった人が置いてけぼりに感じたのかも。
歪んだ時空の中でダリの歪んだ時計を持ってくるあたりなど、私はとてもうまいと感じたけれど、知らない人にはピンとこなかったのかもしれない。
私もそれほど美術のことは知らないけれど、BS日テレ『ぶらぶら美術・博物館』を見るようになってから、ずいぶんわかるようになってきた。
それもこれも山田五郎さんの解説のおかげ。
美術の鑑賞には歴史の知識は欠かせない。
評価というのは歴史の上に成り立っているからだ。
そうすると、絶対的な美なんてありえない。
劇中の登場人物で、アフリカのセネガルからやってきた画家志望の男の子がいるのだけれど、村では一番絵が上手いという。
彼に対して自称画家たちは、パリで最新の芸術の流れを説く。
死んだ画家の絵も技術的にはすごく上手くて、
「時代が時代なら売れただろうけど」
と流行りの絵ではないからダメだったように言われる。
売れるか売れないかは運次第。
素晴らしい芸術家なのに、運がなくて埋もれてしまった人は星の数ほどいるのだろう。
そして私は、11月3日に映画『ゴッホ~最期の手紙~』を見に行った。≪つづく≫