3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

両親の反応

両親に妊娠のことを話したのは、先々週の末のことだった。

両親のうち先に打ち明けたのは母だったけれど、母はもう言葉を発することができないので、ベッドで寝ている母に私が一方的に語りかけるだけだった。 

「お母さん、私な、お腹に赤ちゃんができてしまったんや」

何か言ったところで、わかっているのかわからないのか、母は目をパチクリさせるだけである。

「お母さんは孫ができてうれしい? でも、赤ちゃんがお腹から出てきたら、これまでみたいにお母さんの世話はできなくなるんやで。どうしよう。お母さぁん、私、もうどうしたらええんかわからへん…。どうしよう…」

自分で一人でしゃべっているうちに悲しくなってきて、母の枕元で号泣してしまった。
もともと泣き虫だけれど、最近ちょっとしたことですぐ泣いてしまうのも、やっぱり妊娠しているせいだろうか。

子供のようにワーワー泣いている私に、母も合唱するごとく、
「あ゛〜あ゛〜」
と顔をくしゃくしゃにして何か言う。
単に同調しているのか、慰めようとしてくれているのか、娘を助けられないもどかしさから母も泣いているのか。

思春期以降、私が泣いていると母はよく、
「もぉ、泣かんとって! あんたが泣くとお母さんまで悲しくなって、泣きたくなるやろ!」
と言ったものだ。
だから私は、親にはつらいことを話さずに、隠れて泣くようになった。

もし、母が病気にならず昔通りだったら、妊娠しても母に泣きつくようなことはしなかっただろう。
妊娠したことで一番影響を受けるのは何より母の介護だ。

お腹が大きくなってくると今までのように母を抱えることができなくなるし、出産時の入院のときはまるっきり何もできなくなる。
産後だって、新生児と要介護5の老人の世話が両立するとも思えない。

そうなると、しわ寄せが来るのは母の方。
けれど、それが孫のためなら、うちの母は納得してくれるはずだ、と思う。

というのも、母は本当に子供好きで、喉から手が出るほど孫を熱望していたからだ。

よくこんな提案を受けた。

「結婚しなくても、子供だけ作ったら?」
「やだよ、産むの痛いし」
「じゃあ、子供のある人と結婚して、連れ子してもらったら?」
「だから、結婚したくないんだって」
「じゃあ、子供をもらって養子にしたらどう?」
「そんなん自分がもらえばええやんか」
「お母さんがもろたら、孫にならんやんか。お母さんは孫が欲しいんや」
「他人の子を連れてきて何が孫やねん」
「孫が欲しい!!孫が欲しい!!孫を産んでちょうだい!!!」

最終的に理屈も何もなく駄々をこね始める始末。

そこまで欲しかったはずの孫なのだから、少々のことは我慢してもらわないと。
だとしても、どうすればよいのか結論は出ない。


父の反応

父には、土曜日の朝に話をした。
キッチンテーブルで父はコーヒーを飲みながら新聞を広げている。

「お父さんにちょっと、大事な話があります。ちゃんと聞いてくれる?」
「何や」
「ちょっと新聞読むのやめてもらってもいい?」
「何や」
「あのね、えーっと、何回かうちに遊びに来てくれた北松さん、覚えてる?」
「?」
「釣った魚を持ってきてくれる人」
「ああ、あの人か」

父は何回会っても彼氏の顔と名前が覚えられない。

一度などは、
「あの人は魚屋か? なんで魚持ってきてくれるんや?」
と本気で尋ねたことがあった。
娘に彼氏がいるとは想像できないらしい。

そういえば、オーケン若かりし時も家に遊びに来ている彼女についてお父様が、
「賢二、あれは古本屋さんか?」
と尋ねたというエピソードとそっくりかもしれない。

「その、魚を持ってきてくれる人と、時期はわからないけど、結婚することになりそうです」
「ええやないか」
「で、なんでそうするかというと…」
「うん」
「なんでかっていうと…」
「うん」

その先が言いづらく、私はつい口ごもってしまった。

「…んしん……したからです」

「え?」

びっくりの「え?」ではない。
耳が遠い老人の「え?」である。
開き直って、大きな声でゆっくりと、

「お腹にぃ、赤ちゃんがぁ、できましたっ!」
と言うと、父は先ほどと同じ調子で、
「ええやないか」
と言った。

「すみません。」
「別にええで。結婚式はせえへんのんか?」
「お腹が大きいとカッコ悪いからせえへんよ」
「ほんなら金使わんでええな!」
そういう問題かっ?!

 

「それで、困るのはお母さんのことで、赤ちゃんとお母さんと、両方世話できるかどうか…」
「まあ無理やな」

いつだって父は他人事だ。
どうしよう、とかではない。
無理だという、客観的な見方だけで、個人的オピニオンがない。
いつだって相談するに値しない人だ。

けれど、
「まあ、俺にできることがあったら、何でも言うて! 何でもするから!」
とご機嫌に言い放った。

…できることがあればいいんだけど。

そして、
「あ〜、やれやれ。ようやく嫁に行ってくれると思たら肩の荷が降りたわ!」
と言うので、ややカチンときた。

おいおい、私は肩の荷だったのかよ!

その日の夜、お風呂上がりに髪を乾かしていた私に、父がやってきて、
「今は身体を大事にせなあかん時期と違うんか。なみ松は3ヶ月くらいのときに下りてしまいよってな、お母さん入院したんや。とにかく身体を大事にせなあかんで」
と言った。
うちの父でもまともなことが言えるんだな。

そしてまたしばらくすると、
「赤ちゃんの産着は買うたんか?」
と言い出す。
早い早い!!
やっぱりトンチンカンではあるものの、結局父は孫ができるのが嬉しいらしい。

父79歳、母77歳。
なんとか存命中に、孫が間に合いそうだ。