心細い大晦日
「こうべ子育て応援メール」というメールマガジンを毎日楽しみにしている。
出産予定日を登録すると、妊娠何週と何日目かを教えてくれて、そのときの赤ちゃんの様子と母体が気をつけるべきことをメールで教えてくれるのだ。
それを読んでいると、妊婦というのは本当にいろんな身体の変化があるのだということに気づかされる。
これまで、友達が妊娠していても何も気遣ってあげられなかったことを悔やむばかりだ。
その中で、
「お腹が張るようなら無理をせず休みましょう」
というのがあった。
確かに、実家で母を抱えたり家事をしたりして身体を動かしているとすぐにお腹が張って苦しくなる。
無理をし続けると切迫流産とか切迫早産になるらしいので、デイサービスに母を送り出したあとは、座ったり横になったりして休んでいるのだけど、もともとが怠惰な性格なので、「ちょっと休憩」がちょっとで終わらない。
動きたくなくなり、何もしないまま時間ばかりが過ぎる。
やらないといけないことは山積みなのに、そうこうしているうちにもう大晦日になってしまった。
大掃除どころか普通の掃除すらできていない。
代わりにやってくれる人なんて誰もいないので、私が「無理せず休む」とそれで終わりだ。
しかも、今年は年賀状すら書かなかった。
会社では今年、「社員間での年賀状のやりとり廃止」という意味不明の通達が出たので、それを幸いに誰にも年賀状を出さないことにした。
年賀状のやり取りをしている友達もいるけれど、今の近況を書くのも憚られ、ついついおっくうになる。
まだ結婚もしてないのにいきなり「今年は出産します」というのもおかしいし、かといって、素知らぬそぶりで「今年もよろしく」というのも隠し事をしているようで気が引ける。
結局、年賀状が来たら、それに対する返事だけ書くだけに決めたら気楽になった。
昨日は父と二人で、近くのスーパーへ迎春準備の買い出しに行った。
普段はたいして混まない店なのだけど、昨日は年末とお客様感謝デーが重なって、駐車場に車が大行列。周囲が渋滞するほどの大混雑だった。
「30日は一番混むなぁ」
と父が言う。
「5%オフやからねぇ」
「こんな混雑久しぶりやな。満州から引き揚げてきたとき以来やな」
「そんなに久しぶりか?!」
父の記憶には人生の中間がない。
店内も混み合っているし、品薄になっているものもあって、ゆっくり買い物ができない。
レジも大行列で並んでいると、父が、
「待つんやったらコーヒー飲んで来てもええか?」
と言うのでカチンときた。
「何考えてんの! こんなに混雑しているのにやめなさい!」
混雑の中、一人で荷物を抱えてはぐれた父を探しに行く身にもなってほしい。
父としては、スーパーに一緒に来たのは自分が欲しいものを買うためであって、私を手伝ってやろうという気持ちはサラサラない。
それは最初からわかっているけど情けなかった。
子育て応援メールによれば、
「重いものは誰かに持ってもらいましょう」
ということだけれど、うちにはそんな「誰か」なんていない。
父はカートを押して歩くのは得意だけれど(ていうかカートのおかげでスタスタ歩ける)、荷物を持って歩くのは危険なので、車から家までは私が運んだ。
やはり、ちょっと重いものを持って歩くだけでお腹が張る。
母が病気になってからは、毎年私が迎春準備をして家族でお正月を迎えている。
これまでもたいしたことは何もできなかったけれど、身体が思うように動かない今年は格別にサボってばかりだ。
ちょっとしたことで息が切れて、動作が普段の倍くらいスローモーになってしまった。
キッチンに長く立っているとすぐに足がつるし。
足がつって転がって痛みに耐えている私を、父は知らん顔で通りすぎる。
全く身体が動けず、声掛けに反応すら乏しくなってきた母。
マイペースで世間ずれした父。
身重で機敏に動けない自分の身体。
こんなに心細いなんて。
頼れる人といえば彼氏しかいなくて、これまでは「自分一人でも頑張る」つもりでいたけれど、心の底ではどれだけ彼氏にすがっているのかに気づかされる。
これまでは、「北斗の拳のマミヤさんみたいに強くなろう」とか「攻殻機動隊の草薙素子みたいに気丈に生きよう」とか、お手本に思える女性像というのを拠り所にしていたけれど、妊娠中でも逆境に負けず頑張って生きる女性像がなかなか見つからない。
思い浮かぶのは『鎌田行進曲』で松坂慶子が演じた小夏か、『獄門島』で草笛光子が演じた毒婦お小夜くらいだ。
お小夜は強烈だったけれど、あれくらい自分勝手じゃないとお腹の子供は守れないかもしれない。
とにかく2017年ももう終わり。
今日と明日で何が違うものか。
ただ、お腹ばかりは日に日に膨らんでいる。