波野家のファミリーヒストリー
4日が仕事始めなので、3日には実家から神戸へ戻る予定をしていた。
お正月だし、彼氏のお母さんにご挨拶をさせてもらいたい、と彼氏に伝えると、だったら車で迎えに来てくれると言う。
一升瓶を手土産にして、彼氏がうちの父に年始の挨拶に来てくれた。
父は、自分はどこへも年始の挨拶に行かないくせに、
「正月やのに誰も来やへん」
とこぼしている寂しい老人なので、彼氏が訪ねて来てくれたことをとても喜んだ。
慌てて用意した中華惣菜で食卓を囲みながら、父は上機嫌でしゃべっていた。
主には、これまで行った海外旅行のこと、ドイツに旅行に行きたいこと、それから、第二次世界大戦のドキュメンタリー番組が好きで見ていたら夜更かししてしまうことなど。
「脚が治ったらドイツに行こうと思ってずっと調べよんや。ドイツには7つ街道があってな。まず、ロマンチック街道、それからメルヘン街道、あと、古城街道。それと…、…とにかく街道があるんや」
3つしか出ぇへんのかい!
と普段だったらツッコむところだけれど、彼氏の前だから控えた。
私にとっては、旅行の話と第二次世界大戦の話は、聞き飽きるほど毎度同じ話なのだけれど、この日初めて私が知らない情報が出てきた。
それが、父の両親、私の祖父母の話だった。
波野家はもともと福岡にあって、祖父は海軍大尉の次男として生まれた。
父親の海軍大尉は厳格な人で、厳しく育てられたらしい。
それがなぜ、姫路にいた祖母と出会ったのかはわからないけれど、二人は出会って恋に落ちる。
その後、祖父は仕事で満州へ。
すると、祖母は祖父を追いかけて単身で満州へ渡った。
見つかったら連れ戻されるので、家出同然の満州行きだったという。
押しかけ女房の祖母との結婚を、海軍大尉の曽祖父は許してくれなかったらしい。
そうこうしているうち祖母に子供ができたのだけれど、
「その子が男の子だったら結婚を許してやる」
という条件が出たのだそうだ。
ところが、残念ながら生まれてきたのは女の子。父の姉である。
かわいそうに、伯母さんはしばらく籍に入れてもらえないままだったらしい。
その後、二番目の子供としてうちの父が生まれた。
海軍の曾祖父からもようやく認めてもらい、二人は晴れて入籍できたのだそうだ。
うちの仏壇には、その憎たらしい海軍のおじいさんの写真がずっと飾られている。
なぜ父が突然そんな話をしはじめたのか。
結婚せずに先に子供ができてしまった私たちに対して、こういう例もあるのだ、順番なんて気にすることはない、という父なりの配慮だったのかもしれない。
けれど、私はそれに気が付かなかったので、
「昔はそういうもんやったんや」
としたり顔で言う父に、
「違うでしょ。昔だってそれはかなりのレアケースじゃない?」
と言い返して台無しにしてしまった。
私の記憶に残る祖母は、胃がんの手術後、寝たきりで療養していた姿だ。
病気で少しわがままになり、介護をするうちの母に少しつらく当たることもあった。
あの痩せ細った老婆と、満州まで恋人を追いかけて行く娘の姿はなかなか重ならない。
けれど、私が知らなかっただけで、あの細くてしわしわの身体の奥にはそういう情熱的な魂が潜んでいたのだろう。
そう思うと、少し感動する。
NHKの『ファミリーヒストリー』という番組をときどき見ているけれど、一般の、無名の人が波乱万丈の人生を生きていることに驚かされる。
その先にいる有名人は、自分のルーツどころか自分の祖父母や親のこともよく知らない。
でも、そんなものだ。
波野家は私で終わるとずっと思っていた。
それが思いがけず血を継いでくれる子供を授かったことで、ご先祖様たちに面目が立つような気がする。