3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

眠り姫は帰れない

月曜日の夜は、母の介護ベッドで寝た。
エアマットの上で寝るのは初めてだった。
寝入りばなは何とも思わなかったけれど、夜中、あまりの寒さに目が覚めた。

掛け布団は、肌布団に毛布に羽根布団にと、寒がり仕様の装備なのでヌクヌクなのだけれど、マットが寒い。
マットに接している身体の部分が冷えてしょうがない。
敷きパッドが薄いせいかと思ったけれど、私がいつも寝ているものと同じものである。

考えてみたら、エアマットというのは機械で空気を循環させている。
普通の敷き布団であれば自分の熱で暖かくなるけれど、エアマットは絶えず冷たい空気が送り込まれてくる。
エアコンが効いて部屋の空気が暖かいうちはいいけれど、私はいつもエアコンを切って寝ているので、明け方になると室温が急激に下がる。
そして、エアマットも冷たくなる。

気が付かなかった…。

母をこんな寒いところで寝かせていたのか…。

寒くても寒いと言えずに、自分で寝返りも打てないまま、我慢させられていたのだ。

しかもこの寒波である。

どんなにか、身体が冷えただろう。

かわいそうなお母さん…。

申し訳なさでいっぱいになった。

調子が悪くなったはずだ…。


医者は相変わらず「今後のこと」と言う

後悔でいっぱいの気持ちで目覚めて、9時半くらいに病院へ行った。
もし母が眠りから目覚めていて退院できるならば、退院時間は10時なので、それに間に合うようにと思ったのだ。

しかし、母は変わらずに眠ったままだった。

病院内は暖かで、母はグーグーと寝息を立てていた。
家が寒かった分、ヌクヌクの環境でゆっくり寝てたらいいよ、と思った。

栄養と薬を入れるため、鼻にチューブがつけられていた。
少し顔色はマシになっていたけれど、血圧は上が88とやはり低い。

今日の退院はあきらめて、書類などの手続きのためにナースステーションに声をかけた。
すると、主治医から説明があるという。

主治医の説明は昨日聞いた別の医者の話とそう変わらなかった。
原因は、排泄ショックからの血圧低下による失神と思われること。
そして、延命処置についてどうするか考えておくようにということと、今後どうするか長期的に考えておくようにということ。

「長期的な今後じゃなくて、今のこの入院について、退院の目処について聞きたいんですけど」
「だからそれは、ソーシャルワーカーと相談して長期的なことも考えてから…」

なぜだろう?
医者とは全く話が噛み合わない。
主治医は次の予定があるらしく時計ばかり見ていて、ソーシャルワーカーにバトンを渡した。

 

一般病棟→療養型病棟→特養

そのソーシャルワーカーさんは、月曜日の朝、私が吸引器について電話をした人だった。
「朝お電話をもらったのに、こんなことになるとは、びっくりしました」
まだ若い眼鏡をかけた男性で、親切に相談にのってくれる。
通りいっぺんの説明しかしない医者とは大違いだ。

ソーシャルワーカーさんの説明を聞いて、医者が「長期的な今後」と言う意味がようやくわかった。

つまり、もう在宅介護に戻ることをお勧めしない、ということなのだった。

ソーシャルワーカーさんが勧めてくれたプランは、ここの総合病院での治療に目処がついたら、療養型の病棟がある病院に転院し、その後、特養の空きが出次第、入所したらどうか、というものだった。

それを勧める一番の要因は嚥下のことで、このままだと無理に食べさせたら喉に詰めて窒息するか、誤嚥性肺炎を起こすかが目に見えているからだった。
病院なら、今朝のように鼻からチューブによる栄養摂取ができる。

なかでも、ソーシャルワーカーさんのお勧めは、リハビリを比較的多く取り入れてくれている病院で、そこなら特養の空きが出るまで、最大3ヶ月はいられるだろうという話だった。

この大脳皮質基底核変性症という病気は、身体が拘縮して固まってしまう。
だからできるだけリハビリで伸ばしてあげないと、本人も身体が凝ってつらいし、着替えなどの介助をするときに介護者も困る。

だから、
「ほかと比べると、そこの病院はリハビリが比較的多いので、いいと思うんです」
と言われると、
「じゃあぜひそこに転院させてください…」
と言わざるをえなかった。
場所も知らない、少し離れた病院だけれど。


最後の食事

この日もオムツとかお尻拭きとか口腔スプレーなどを準備したり持っていったりで、2度ほど自宅と病院を往復した。
段取りが悪くて、忘れ物ばかりで、余計な往復をしてしまった。
うろうろして疲れるわりに生産性があがらない。

そして、考えてもしょうがないことばかり考えて、悲しみに襲われ、手が止まる。

そうか、お母さんはもう、家に帰ってこれないのか…。
月曜日の朝が自宅での最後の時間になるなんて…。

キッチンの引き出しを開けると、日曜日にドラッグストアーで買った介護食が詰まっていた。
ポイント10倍デーだったので、山ほど買いだめしたばかりだったのに。
母のために買ったのに、これももう、母は食べられない。

朝の食事は、嘔吐したこともあってほとんど与えなかった。
昨晩の残りのほうれん草のスープと、ヨーグルトと、少量のミロ。

あれが最後の口からの食事になるかもしれない、と思うと、もっといいものを食べさせてあげるんだった、と後悔する。

最後に口直しとしてミロを飲んでもらったのがせめてもの救いだ。
濃いめにミルクで溶き、ほとんどチョコレート状態にして、飲むというより食べてもらった。
最後に口にしたものが甘い甘いチョコレートなら、母も「最悪!」とまでは思わないはず。

病院でソーシャルワーカーさんと話し合って、母がもう家に帰れないことを覚悟したときは、私はまだ冷静だった。
けれど、実家に帰って、母が使っていたお箸やスプーンや食器を目にして、
「もうこれらも必要なくなるのか…」
と感じた瞬間に、心の底から悲しみが沸き上がってきた。

介護ベッドに腰をかけて、泣いた。