3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、趣味と母の介護と育児に追われる日々の記録。

夫婦の価値

いつだったか、母方の伯母と雑談をしていたとき、母の介護から私の両親がよくケンカしていた話になり、伯母がこんなことを言った。

「あの二人は、どうもお互いを信用してないところがあったわね」

言われてみると、そのとおり。

なるほど伯母さんするどいなぁ、と思ってしまった。

うちの両親はお互いを信じてないから、疑って、それぞれ勝手なことをして、ケンカになって憎悪が増す、ということを繰り返していた。

私が中学生のとき大ゲンカをして、それから3年間も口をきかなかった期間があるくらいの夫婦仲だった。
その間、父はよそに女をつくったり生活費を半分しかくれなかったり、母はヒステリーを起こして体調を崩したりした。

そんな母を見るのはつらかった。
離婚して母が傷つかなくなるのなら、その方がよほどマシだと思った。
「離婚すればいいのに」
と私は何度も母に言った。
しかし母はたいてい、
「離婚せぇへんのはあんたのためや!」
と今度は私に逆ギレする。
迷惑な話だった。

離婚して新しい生活に踏み出す勇気がないだけじゃないか、と私は母を見くびっていた。

そのときの私には、うちの両親の間に愛情があるなんて、とても思えなかった。

「夫婦」だとか「結婚」というものの価値も感じられなかったし、信頼できないもの同士が一緒に暮らす意味もわからなかった。


プライドを除くと出てきたもの

母が大脳皮質基底核変性症という病気を発症すると、病気の進行につれて、だんだん母の認知機能が落ちてくるようになった。

家にいて父の姿が見えないと、たいてい母はこう言った。
「お父さんは? お父さんはどこおるん?」
その度に私は、
「まだ2階で寝てるよ」
とか、
「コンビニに煙草を買いに行ったよ」
とか答えないといけない。

「なんでそんなにお父さんが気になるのよ?」
と尋ねると、寝ていると答えたときは、
「いつまでも寝坊して憎らしい。早ぅ起きて来んかいな。よその旦那さんは朝早くから働いとうのに」
と言い、どこか別の場所を答えると、
「私らをほって、どこかよそでチョロチョロ遊んどうかと思うと憎らしいからや」
と言う。
とにかく、父の一挙手一投足が「憎らしい」と言うのだ。

ところが、認知機能の低下が進んで、だんだん口数も減り、母が子供のようになってくると、言うことが変わってきた。

「お父さんはどこにおるん?」
と尋ねるのは同じだが、なぜ気になるのかと尋ねると、
「お父さんがおらんかったら寂しいもん。だって、私の主人やから」
と言うのだった。

妙なプライドと憎まれ口を叩く知恵がなくなり、母に残ったのは純粋な気持ちだけだった。


父のおまじない

気が強くて活発だった母が弱っていくにつれ、父の態度もだんだんと柔らかくなっていった。

施設がお迎えにくると、父は車椅子に座っている母のおでこに手を当てて、
「よしっ、熱はない! 大丈夫や! 行ってこい!」
と号令をかけた。

母が熱を出すことはまずなく、したがって熱がないからといって体調が良いとは限らないのだけれど、父の中では「熱がない」=「元気」という構図のようだった。
父のことだから、いくら私が、
「熱がないから大丈夫ってことはないのよ」
と言っても父は理解しない。

いつしか、
「熱はない!大丈夫や!」
は父がかけるおまじないのようになっていた。

月曜日に入院してから、父は毎日母の病室に通ってくれた。
火曜日などは、午前と午後の2度も行ってくれたようだ。

水曜日の午後、昏睡していた母がようやく目覚めた。
父はすぐに私にメールを送ってくれた。

「今病院にきている、血圧もとにもどつた、目を開けううんといつてる、」

相変わらず父のメールは小さい「っ」が打てず、「。」が「、」になっている。

「ありがとう!良かった!」
と返信すると、父も、
「よかつた」
と返してきた。

その短い「よかつた」は、混じりけのない父の気持ちの表れに見えた。

父も母のことを相当心配していたのだ。

昨日今日と、母の様子を見に行くと、まだ食事は摂れずに鼻から栄養を送り込まれているものの、それ以外は先週と変わらないように思えた。

父に、
「お父さん、お母さんにアレやってあげて。おでこの熱。」
と頼んだ。
父がベッドに寝ている母のおでこに手を当て、
「熱はない!大丈夫や!」
とおまじないをかけた。
母は、小さく「あ〜」と声を出した。
母はもう上手に笑顔を作ることはできないけれど、少し嬉しそうに見えた。


私が中学生だったあのとき。
ケンカばかりするなら離婚すればいいのに、と私が思ったあの夫婦。

なんだかんだ言い訳をしたり、私のせいにしたりしたけれど、離婚しなかったのは単に別れたくなかっただけだ。

私は子供だったから、「信頼し合えないけど愛している」、「憎しみと同時に愛情がある」、という複雑な夫婦の関係なんて、理解できるわけがなかった。

今となっては、そういうことを乗り越えて、夫婦でいてくれてよかったと思う。

そして、ようやく私も「夫婦になることの価値」を信じてみよう、と思っている。
役所に紙を出す手続き以上の何かが、そこには存在するようだ。

そんなことを、この歳になってようやく信じる気持ちになった。