3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

昨日のお産のこと。

出産後10時間が過ぎたあたりから、トイレには歩いていけるようになった。
それまでは、産後なかなかおしっこが出せなくて、カテーテルで尿を取ってもらわないといけなかった。
産後に尿がうまく出せなくなるのは、まあまあ、あるそうだ。
膀胱にはなんと1,200ミリの尿がたまっていて、カテーテルの処置が終わるまで20分もかかった。

それにしても、初めて入れる尿道カテーテル
入れるときチクチクと刺すように痛かった。
母は今、ずっとバルーンをつけているけれど、カテーテル交換のときは痛いんだろうな、と入院中の母を思う。

お腹に生理痛のような鈍い痛みがあるので(悪露といって生理みたいな出血がしばらく続くらしい)、無理をせずに病室でゴロゴロしている。

赤ん坊が出てくるとき、会陰切開といってあそこを少し切った。
その切り傷の痛みがあって、座るにしても病院から円座クッションを借りている。

ひとくちに「産後のヒダチ」と言っても、いろんな事があるもんだ。
自分が経験してみないとわからないことばかり。


陣痛の乗り越え方

痛かった陣痛から分娩までのことは、今となってはまるで夢の中の出来事のようだ。

でも、想像していたより痛みに耐えられたのは、ひとえに赤ん坊が小さかったおかげ。
あんなに早く生まれないよう言い聞かせてたのに…、と残念に思った反面、軽いお産で済むよう小さいうちに出て来てくれたのかとも思う。孝行息子に感謝である。

それでもやっぱり痛かった。

朝7時くらいに病院に来てから、午前中はまだ痛みの合間にメールしたりブログを書いたりする余裕があったけれど、正午を過ぎてからは息つく暇もなくやってくる痛みに昼食すら食べられなかった。

食事が喉を通らないのではなくて、痛みが静まった隙に起き上がってお箸を動かして一口運ぶうちに、また痛みがやってくるのである。


その頃になってくると、痛みもだんだん強くなってきて、どうやって耐えるかの勝負になってきた。

お産といえば、ラマーズ法の、
「ヒー、ヒー、フーッ」
というのを思い出すけれど、看護師さんからは、
「フーーッ、フーーッ、っと長く吐いてください」
と教えられた。

痛みが来ると、とにかく「フーーッ」と吐く。
それを繰り返して、「フーーッ」の回数を数えてみると、たいてい10回目がピークで、それ以降20回目くらいまでに痛みがおさまった。
個人差があるだろうし、他の人はどうかわからないけど、私の場合はそうだった。
だから20回吐けばおさまる、それまで我慢!と信じて耐えた。

それと、ある時間までは、
「間近になれば、無痛分娩の麻酔処置をしてくれるだろうから、それまでの我慢!」
と思っていたけれど、看護師に尋ねると、
「早産で週数が足りませんから、無痛分娩は適用できませんよ。それと、どちらにしても今日は麻酔医の先生がお休みです。普通分娩で頑張りましょう!」
と言われて大ショック…。早産はわかるけど、先生休みとかの情報必要?!
こうなったら、
「無痛分娩代13万円が浮いたっ!」
と思って、ドケチ根性で頑張るしかない。

フーーッ、と吐きながらもあまりに強い痛みのときは、これまで出産を経験したすべての女性が乗り越えた痛みなんだから、と勇気をもらうことにした。
お母さんも、おばあちゃんも、親戚のおばさんも、友達のJちゃんも、同僚のAさんも、あの人もこの人も、みんなが乗り越えてきたんだ。
だからきっと、私も乗り越えられるはず。
そう信じてとにかく耐えた。


信心は助けになる

だんだん痛みが強くなってくると、20回吐いても痛みがおさまらなくなってきた。
それなのに、
「まだ子宮口が5センチくらいなんで、分娩台に行くには少し早いかな。もう少しここでゴロゴロしときましょうか」
と言われ、まだこの痛みを我慢する時間が続くのか…、とつらくて泣きそうになった。

こうなると、
「すべてのお母さんたちが乗り越えた痛み」
という程度では自分を励ませなくなってきて、もっと心の拠り所になるものはないか、と記憶の引き出しを探した。

拠り所のひとつになったのは、安産祈願に行った中山寺の観音様。
普通は妊娠5ヶ月の戌の日に行くものだけれど、その頃はそれどころじゃなかった。
たまたま2月の祝日が戌の日だったので、配偶者となる彼氏が誘ってくれて、参拝したのだった。
阪神間では超メジャーな安産祈願のお寺、そして祝日とあって、妊婦が列をなして参詣していた。
7,000円のご祈祷腹帯がジャンジャン売れていく。
「中山観音様はボロ儲け!」
と毒づきながらも、せっかく来たんだからとご多分にもれず、私も並んでご祈祷腹帯を買った。
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鰯の頭も信心から。
すごい痛みがやってきて、
「誰か助けて!」
とすがりたいとき、
「中山観音様、お願い助けて!」
と特定の「誰か」を信じて願った。

「少なくても7,000円分は助けて!」
という意地汚い信仰心だけど。(お金のことばっかり言うなって!)


好きなキャラクターは助けになる

拠り所の二つ目として思い出したのは、『北斗の拳』の南斗水鳥拳のレイだった。

ラオウに秘孔を突かれ、余命わずかとなったレイがマミヤの復讐のためにユダを倒しに行く。
だけど、とてもじゃないが日数が足りない。
それで命を伸ばすため、トキに秘孔を突いてもらう。

その秘孔は副作用としてとんでもない苦しみを伴うもので、死ぬほうがマシだというほどの苦痛なのだ。
もがき苦しむあまりにレイの指の爪は剥がれ、髪は真っ白になる…。

あのときのレイの苦しみに比べたら、私のお産の苦しみはまだ耐えられる…。
もがくあまりに爪が剥がれるほどじゃない…。

そう思って耐えた。

レイよりマシ! レイよりマシ!

…人間は痛みや苦しみに耐えるとき、いろんな事を考えるもんだ。


結局は赤ん坊

分娩台に移動した頃には、中山観音様や南斗水鳥拳のレイどころじゃなくなった。

もう何も考えることすらできないくらいの痛み。

最後に頭をよぎったのは、産婦人科の待合室で読んだ『ひよこクラブ』の、
「ママが苦しいときは、赤ちゃんも苦しいんだよ。赤ちゃんも頑張っているので、ママも一緒に頑張ろうね」
という記事だった。

赤ん坊も私以上に頑張って出てこようとしてるんだ!
私も頑張るぞ!

最終的に、心は当然の目的にたどり着いた。

お腹も痛かったけど、腰全般が痛くてお尻も痺れて、途中は横向きでいきむことになった。

おっと、これはフリースタイル分娩!

横向きのままいきんでいると、大きなものが股の間から出てこようとしているのがわかった。

最後は、もとの仰向けに戻って、全力を振り絞った。

「子宮口全開です!」
と言う声が聞こえたときには、勇気が出た。
あとひと踏ん張り!!

私も頑張るから、赤ちゃんも頑張って出て来て!!

赤ん坊は出てきた瞬間、まるで絵本の桃太郎が桃から出てくるように真っ赤な手足を大きく広げていた。

ちっちゃな身体をプルプル震わせながら、カタカナで書くごとく、
「オンギャー!オンギャー!」
と全身全霊で泣いた。