3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

延命治療とおひるねアート

未曾有の大水害とかオウム真理教の死刑執行とか、心がざわざわするニュースがTwitterのタイムラインに流れてくる中、あるツイートが目に留まった。
大口病院の中毒死事件に関するものだった。

その事件についてはテレビのニュースで見ていたはずだけれど、詳細は聞こえてなくて、「また看護師による殺人事件か」というくらいにしか思っていなかった。
だから、そのモーメントが高齢者の延命治療について書いているのを読んで、背中が凍るような思いになった。

 

 

うちの母が今いるのも療養病棟である。
身体も動かせないし、しゃべれないし、ごはんも食べられずに鼻から栄養を流し込まれている。

延命治療と言われても仕方がない。

でも、救急で入った前の病院でも今の病院の転院時の説明でも医者と話したけれど、
「鼻からの栄養をやめたら数日で死にます。それでいいですか、という話です」
と言われてしまうと、とてもじゃないけどそんな決断はできなかったことを思い出す。
「目が開かなくなったら、そのとき中止を考えます…」
と答えたのが精いっぱい。

延命治療はやめましょう、と言うのは簡単だけれど、「やめます」の判断を任される家族はつらい。

かといって、延命治療をし続けて本人の苦痛が長引くのもつらい。

つらいのループ。


生きている意味をどこに見出すか

在宅と施設の半々で介護していたときは、まだ母に生きる楽しみを与えてあげられていたと思う。
口から食事が摂れていたのもあるけれど、ほかにも、音楽を聞かせてあげられたし、マッサージもしてあげられた。

介護スタッフの皆さんも優しく話しかけてくれていた。

でも今、療養病棟ではそのどれもを失ってしまった。

今だって、音楽を聞かせたり、マッサージをしたりすることはできる。
…私が帰りさえすれば。

サトイモを連れて実家に帰ろうか…。
でも、あんなニコチンまみれの家でサトイモを育てたくはないし、父の世話までしないといけなくなると私の身が持たない。

母のことをもっと父に頼めたらいいのだけど、リップクリームさえ塗ってくれない父には、母に楽しみを与えようなんて気持ちはサラサラ持っていない。
かといって、私が父に頼むのをやめてしまうと、つらい思いをするのは私でも父でもなく、母である。
母のためを考えると、根気よく父にお願いするしかない。

父のメールによれば、母はますます覚醒時間が減っているようだ。
「お母さん寝ていた頭さわっても起きない帰る」
というメッセージが定例化している。

目を覚まして苦しい思いをするなら、眠っていてくれたほうがまし。

そして楽しかった若い頃の想い出を夢に見ていてほしい。

人間は「肉体という牢獄につながれている魂」だと言ったのは誰だったか。
死によってだけ解放される。

苦痛は怖い。
でも、死も怖い。

考えていると、睡眠不足なはずなのに、夜眠れなくなった。


赤ん坊との日常は楽しくめぐる

母の療養病棟の現状と延命治療について暗い気持ちになった翌日、サトイモと「おひるねアート」の撮影会に参加してきた。
おひるねアートとは、床にシートを敷いてレイアウトをして、その上に赤ちゃんを寝かして撮影する写真アートのこと。

主催者の人に聞いたら、「お昼寝中の赤ちゃんを起こすなんてひどい!」と苦情を言ってきた老人がいて開催できなかった会場があるらしいけど、それこそまさに老害というもので、「おひるね」と名前がついているだけで赤ちゃんは寝てるわけではない。
立っているのではなくて寝ころんだ状態で撮影するという意味だ。

人気の講座で、かなりの倍率の抽選だったのを運よく当選した。
私はくじ運が良くないほうなので、サトイモのくじ運に違いない。

この調子で運の良い子に育ってくれますように。


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今度実家に帰るときにはこの画像をプリントして、母の病室の壁に貼っちゃおうか。

サトイモが自分の孫だってわかるかな?