ゴンタの年末年始と母の匂い
あけましておめでとうございます。
…と書くのも恥ずかしい。
だって新年も7日だもの。
七草粥だもの。
早い。早すぎる。
2018年はあっという間に終わり、2019年もあっという間に明けた。
大晦日から夫の実家、というか夫の家で年越しをし、元旦に私の実家に移動して2日まで過ごした。
こんな普通の家族のようなお正月を過ごすなんて、かつての私たちでは考えられなかったことだ。
年末年始にいろんな場所に行ってたくさん人に会って、サトイモは一段と成長した。
ますます可愛さが増してくる。
いつもご機嫌で、こちらが笑いかければ笑い返してくれる。
この一週間で、私たちはサトイモのことを何回「可愛いね」と言っただろう。
一方、腕白さも激増だ。
つかまり立ちができるようになったので、慌てて、例のCMでおなじみのクッションリュックを購入した。
そのほか、コンセントにはガードをつけ、机のコーナーにはクッションをつけ、扉にはいたずら防止ロックをつけ…。
それでも思わぬところに手を伸ばすし、思わぬ転び方をするので目が離せない。
「ワンパクどころやないぞ。ちょっとゴンタ過ぎるんちゃうか」
夫がそう言うように、一時としてじっとしていないサトイモに毎日ヘトヘトになる。
腕白、やんちゃ、いたずら小僧、などなど、類似表現はあれど、しっくりくるのはやはり方言である「ゴンタ」につきる。
「それはダメ」「やめて」「じっとして」「引っ張らないで!」「触らないで!」「舐めないで!」「動かないで!」「いい加減にしなさい!!」
私の泣き言が繰り返される。
髪の毛を引っ張られたり顔をひっかかれたりして、私が「痛い!」と悲鳴を上げれば、逆にサトイモはニコニコ喜んでいる。
「男の子を育てる、というのは、こういうことなんやな」
と夫は言うけれど、お姑さんいわく、夫はこれほどゴンタではなかったとのこと。
一体誰に似たんだろうか。
そんなこんなで、ブログなんて書いていられない。もう継続は無理かもしれない。
いつか落ち着いてコンスタントに時間が取れる日が来るのだろうか。
母が母であること
元旦に、短時間だけれど母の病院に行った。
いつもと変わらないお見舞い。
たくさん目ヤニがついていたので、清浄綿できれいに取り除き、顔を拭いた。
ついでに首筋から胸元まで拭く。
母の顔からはチューブで入れる経鼻栄養の匂いがする。
いつもはそうだ。
けれど、なぜかこの日はその薬っぽい匂いがなかった。
一瞬、母の胸元から、母の匂いがした。
あ、お母さんの匂いだ…。
胸を突かれるほど、懐かしい思いがこみ上げた。
母がおしゃべりできなくなり、意思疎通ができなくなってずいぶん時間が経つ。
病気になる前の母と、病気になってから在宅で介護していた母と、病院にいる現在の母とはどれも別人のような気がするほどだ。
けれど、一瞬「お母さんの匂い」を感じただけで、まぎれもなく母は母であると確信できた。
すがりつきたくなるような気持になった。
前日に夫の家で、お姑さんと夫の妹さんとの仲睦まじい母娘をうらやましく見ていたせいもあるかもしれない。
「うちのお母さんだって、元気だったら年越しそばを作ってくれたり、一緒に紅白を見たりしたのにな…」
こんな歳になっても母に甘えたい気持ちがあることに自分でもびっくりしながら、何度かもう一度「母の匂い」を感じ取れないかと鼻を動かしてみたけれど、再現はできなかった。
私のアイデンティティ
私はメガネとコンタクトを併用しているし、髪型もしょっちゅう変える。
メガネですっぴんのときと、コンタクトをしてメイクをしているときではずいぶんと見た目が違う。
サトイモはちゃんと私を認識しているんだろうか?
以前からそれが疑問だった。
産後すぐの間はずっと引きこもりだったので、デフォルトがメガネですっぴんだった。
初めてコンタクトでメイクしたときに、
「私のこと、わかっているかな?」
と思ったことを覚えている。
けれど、サトイモが混乱したような様子は一度もない。
友達にそのことを話したら、
「視覚だけじゃなくて、赤ちゃんはママの匂いでわかってるんじゃない?」
という答えが返ってきた。
「石鹸とかシャンプー、服の柔軟剤の匂いもあるだろうし、匂いなんかで母親を認識できる?」
と私は半信半疑だった。
匂いを嗅がれているというのが、何かこそばゆいせいもあった。
でも、今はわかる。
匂いこそ人のアイデンティティかもしれない。
Eテレで『すくすく子育て』という番組があって毎週見ているのだけれど、その中で保育園で採用されている「分身人形」というアイデアが紹介されていた。
ママやパパの古着を使って人形を作り、それを分身人形とするもの。
親の匂いがついているので、保育園でぐずったときに子供が安心できるのだとか。
なるほど。
サトイモが入園するのはまだまだ先だけれど、そのときには私の分身人形を作ってあげようと思っている。