ママ友なんて欲しくない
最近の平日はほぼ毎日、児童館か子育て広場に行っている。
そういう場所にはいろんなオモチャや絵本があり、節分など季節ごとのイベントも行われるので楽しい。
サトイモはまだ友達と遊べるほど成長していないけれど、ときどきオモチャを取り合ったり、頭や身体を撫でられたり撫で返したりしている。
ちっちゃなことだけれど、そういう交流から何かしらいい影響を受けているはずだ。
しかし、児童館に通う理由は、サトイモを遊ばせてやりたいというより、家の中で二人きりでは間が持たないということに尽きる。
家にいると、オモチャにはすぐに飽きてしまい、あっちの引き出しこっちの開き戸といじくりまわし(もちろん決して開けさせたりはしない)、魚焼きグリルを引っ張り出し、ゴミ箱を倒し、タオルかけや室内物干しにぶら下がる。
だから連れ出さざるをえないのだ。
「それはやめて」「これはダメ」では息が詰まってくる。
だから児童館などの外出先があるのは、本当にありがたいことだ。
そんな折、『母をたずねて三千里』のとあるエピソードを思い出す。
マルコが旅先で出会ったある親子のこと。
(例によってうろ覚えなので違ってたらごめんなさい。)
荒野の中にポツンとある一軒家に母親と幼児が住んでいて、マルコは宿を借りる。
子どもは言葉をカタコトしゃべれる程度なので、2歳くらいだろうか。
マルコが連れているアメデオをとても喜ぶ。
母親は「さみしい暮らしだから泊まってくれてうれしいわ」と、マルコにもう少し長く滞在してほしいと言う。
幼児もアメデオと別れたくなくて、マルコが出発するのを泣いて嫌がる、というほっこりする話。
母と子の孤独を思った。
寂しいだけではなくて、安全面でも不安でいっぱいだ。
強盗などの荒くれものがやってくるかもしれない。
コヨーテなどの動物だっているかもしれない。
病気のときは?ケガは?
女性ひとりに幼い子供。
出稼ぎの父はいつ帰って来るのか。
なんて頼りない暮らしだろう。
今、満10カ月の赤ん坊と二人で暮らしていて、あの親子のことを考えるとゾッとする。
私だったら耐えられない。
ああ、荒野の一軒家じゃなくてよかった。
ママがブロックで遊んでいたら変ですか?
児童館に通い始めて2回目のとき、帰るのに靴を履いていたら、年配の指導員にこう声をかけられた。
「大丈夫よ、やがて仲間もできるからね、通っておいでね」
その言葉が私にはとても意外だった。
あれ、私、友達が欲しそうに見えてたのかな?
ドーナツのオモチャを無心でしゃぶり続けているサトイモの横で、私はブロックで完成度の高いジャングルを作ろうと夢中になっていた。
ほかのママたちは見向きもせずに。
その様子が寂し気に見えたんだろうか。
挨拶ぐらいはするけれど、ほかのママたちに積極的に話しかけることはしなかった。
荒野の一軒家は寂しいけれど、児童館でおしゃべりをしに来ているわけじゃない。
ママ友が欲しいなんて、思ってもみなかった。
どうせ、意識的に話しかけなくても、何度か会って顔見知りになれば自然と挨拶や軽い世間話をする程度の知り合いになれるだろう、と気楽に思っていたのもある。
だから何も心配していなかったし、焦りもしなかったし、実際、何度か会っている人とは簡単な会話くらいする。
なのに「大丈夫よ」なんて励まされると、なんだか私は大丈夫じゃない人に見られてるんだろうか、と思ってしまった。
でも、よくよく考えると、児童館の人がそんなふうに声をかけるのは、多くのママが友達を欲しがっているからなんじゃないか。
私は40過ぎで、これまでの長い生活基盤があるから、既存の友達や知り合いがいる。
それに、もともと一人で外食に行ったり旅行に行ったりできるくらい、一人に耐性がある。
だから、わざわざママ友なんて新しくほしくない、という発想になるのだけれど、何も持ってなければどうだっただろう。
荒野じゃなくても、見知らぬ土地で慣れない環境だったら?
うーん、それでも必死に友達を作ろうとはしないかもしれない…。
経験上、本当の友達はなろうとしなくても自然に仲良くなっているし、作ろうとしてなった友達なんてすぐ離れてしまう知り合いでしかないから。
島根のママに声をかけられた
そんなことを考えていたある日、児童館からの帰りにあるママに声をかけられた。
「おうちはどっち方面ですか? 途中まで一緒に帰りませんか?」
あ、じゃ、一緒に行きましょう、と答えて、私たちは少しの間商店街を歩いた。
そのママに会うのは2回目だった。
ある意味で、ちょっと気になっていた存在だった。
というのも、初対面のとき、彼女はその場にいたママたち一人ひとりに、
「はじめまして、○○です」
と挨拶をして回っていたのだ。そんな人は珍しい。
挨拶をされた常連のママたちは、
「あ~、ど~もよろしく~」
と軽くかわして、それ以上会話をすることがなかった。
なんだかわからないけれど、その光景がひどく気持ち悪いものとして印象に残っていた。
うまく言えないけれど、彼女は人付き合いがナチュラルにできないタイプに見えた。
ほんのちょっとだけのことで、断定はできないけれど、小中高生時代にクラスによくいた「なじまない子」を彷彿とさせるものがあった。
一生懸命友達を作ろうとしているのに、どうもうまくいかずにあがいていて、それがちょっと痛々しい、そんな雰囲気だ。
だから一緒に帰ろうと誘われたとき、
「やっぱり彼女は友達が欲しいのか…」
と、来たな、と思ってしまった。
イントネーションが関西方言ではないので、出身を尋ねると島根だという。
詳しくは聞かなかったけれど、「見知らぬ土地慣れない環境」というクチか…、と合点がいった。
私は夕食の食材を買って帰りたかったので、
「いつもお買い物はどうされてます? このあたりで買ったりします?」
とふってみたら、
「いつもGAPです」
と返ってきたので、面食らった。
「ああ、ごめんなさい、服じゃなくて野菜とかのつもりだったの。」
と慌てて訂正し、
「この先にある八百屋ってすごく安いんですよ!」
と誘うつもりで言ってみたけれど、
「そうですか」
とスルーされて、店の前も通り過ぎてしまった。
そのすごく安い八百屋は狭い店で、ベビーカーが入らない。
二人なら交代で店に入れるから買い物ができるのになぁ、と私は目論んでいた。
交代で野菜を買わない?、そう提案してもよかったけれど、私の心のどこかでブレーキがかかった。純粋に友達が欲しい彼女を利用することになるんじゃないか、と。
仕方ない、八百屋はあきらめて家の近くのスーパーに行くか…、とちょっとがっかりしながら。
泣いたKちゃんの思い出
彼女はなんとなく、私の中学時代の同級生のKちゃんを思い起こさせた。
いじめられていたわけじゃないけれど、友達のいない、存在感が薄く大人しい子だった。
合宿だかバス旅行だかで、グループ分けをしなければいけなくなったとき、私は人数合わせにKちゃんを誘った。
私の仲の良い友達グループが3人だったのに対し、4人ごとの班にならなければいけなかったからだ。
Kちゃんはとても喜んだ。
その後、再びグループ分けをする行事があった。
今度は5人組。
私たち3人は、2人の仲良しさんと一緒に組んで班を作った。
Kちゃんが一人余った。
その瞬間、教室で突然Kちゃんが泣き出した。
普段、声が小さくて、発表のときも聞き取れないくらいのKちゃんが、「そんな声出るんだ」というくらい大きな声を出して泣いた。
…私が悪かったのだ。
友達のふりをして人数合わせに利用して、状況が変わったら捨てた。
ごめんね、ごめんね、と何度も謝ったけれど、意地の悪い私は班組を変えなかった。
だって、Kちゃんを入れたらあと一人の班員に困るじゃない?
それに、それに、…Kちゃんはどうしても一緒の班になりたい仲良しじゃなかったんだもの。
残酷だけれど、友達にはフィーリングというものがある。
一緒にして楽しい人とそうでない人がいる。
会話が盛り上がる相手と、どうやったってかみ合わない相手がいる。
Kちゃんは、班のメンバーとして一緒にやっていけるけれど、日常から一緒に遊びたい相手ではなかった。
どうやったらKちゃんを傷つけずにいられただろう。
あのときのことを思うと、今でもどうすればいいのかわからない。
ちなみに、その後学年が変わると、Kちゃんにも仲良しの友達ができていた。
そのグループでは、饒舌にしゃべっている声を聞いたことがある。
良かったなぁ、と思う反面、なんだか私は「あのときはいい面の皮だった気な」とも思う。
結局、無理に友達を作ろうとしたって無駄だということ。
島根の彼女からは、
「また会いしましょうね」
と言われて別れたけれど、私はちょっと気が重い。
ママ友なんて欲しくないんだ。