明けましておめでとうございます。
もう8日にもなってなんですが、明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
年末まではサトイモの生活リズムが整っていたので、昼寝も夜寝もすんなりだったんだけれど、年末年始ですっかり狂ってしまった。
昼寝はしないわ、夜は寝付かないわ、おまけに夜中にグズって暴れだすわでなかなか自分の時間が取れなかった。
子どもが寝てくれている間が唯一のリラックスタイムなのに!
お願いだから寝てくれ!!
と、年明け早々愚痴ってしまったけれど、2日の初詣でひいたおみくじが大吉で、今年は良い年になりそうな予感。信じるものは救われるノダ!
胸のつかえが下りたこと
年明け、まず気分良くなったのは、大学時代の友人Yちゃんから年賀状が届いたことだった。
Yちゃんは数少ない大学のゼミ友達で、卒業後も年に1、2回は会って一緒に食事をする仲だった。
私とは違って平均的な年齢で結婚したけれど、お相手がバツ2で20歳年上というなかなか平均的ではない旦那さんだった。
Yちゃんは仕事もしていたし趣味もいろいろ持っていたし、結婚はしたけれど、私はYちゃんをシングルの私と同じように思って遊んでいた。
会うときは贅沢してそれなりのフレンチを食べる、というのが2人の楽しみだった。
子どもを持つことなんて、ほとんど話したことがなかった気がする。
40歳になったとき、
「まだまだ子ども作る気満々だよ~」
という彼女に、
「本当にそう思ってるんだったらもっと焦らなきゃ無理でしょ!」
と説教した記憶はある。
子どもが欲しい欲しいと言いながら不妊治療しないなんて、本気じゃないんだろう、できたらいいなという願望があるだけなんだな、とタカをくくっていた。
ところが、私がうっかり妊娠してしまって、
「これでしばらく会えなくなるかもしれないから」
と食事をしたときのこと。
これまでどんなに子どもが欲しかったか、と彼女は言った。
そしてまだ諦めてないとも。
「でも、旦那さんもう還暦過ぎてるでしょ。精子だって年齢関係あるらしいよ」
私は自分が高齢で子どもを授かったことを棚に上げて、残酷なことを言った。
「不妊治療してる人たちだってなかなかできないのに、難しいんじゃない?」
と、彼女たちがなぜ不妊治療をしないのか理由も聞かず、追い打ちをかけた。
サトイモが生まれて、去年の年賀状はスタジオアリスで撮ったサトイモがイノシシの着ぐるみを着ている家族写真を送った。
彼女からの返事は来なかった。
ずっと子どもを望んでいたのに授からなかった彼女に対して、偶然妊娠してしまった私が不用意に言った言葉は、どれだけ彼女を傷つけてしまったのだろう…。
後々考えれば考えるほど後悔した。
私はもうYちゃんに見放されてしまったのかなぁ…。
そう思うと、私から連絡をするのも気が引けた。
それが今年、Yちゃんから年賀状が届いた。
どんなにかうれしかったか。
年々お正月らしいことをしなくなってきた日本。
年賀状もそのひとつで、どんどん枚数が減っている。
私が今年出したのは20枚にも満たなかった。
そんな枚数でさえ、年末に年賀状を作成するのは正直面倒くさい。
それでも、こんなふうに大切な友達からお便りが来る。
年賀状という存在はありがたい。
友達はいいもんだ
もうひとつ年賀状に感謝したのは、母の友人のちーちゃんから電話があったことだ。
母が病気になって以降、母の友達には私から年賀状を出している。
最初は代筆から始まり、連名になり、最近では母ではなく私自身として年賀状を書くようになった。
もちろん、年賀状を出す母の友人たちは私も顔見知りの人ばかりだ。
特にちーちゃんは何度かうちに遊びに来ていたし、一緒にコンサートやオペラに行ったこともある。
母が病気になってからも、何度かお見舞いに来てくれた。
「年賀状もろてお返事が書きたいとこなんやけど、字が書けんようになってもうて。電話でごめんなぁ」
ちーちゃんと話をするのは2年ぶりだった。
本人も大腸にポリープができて手術をしていたり、旦那さんもパーキンソン病になっていたりで心配していたので、電話口の声がちっとも昔と変わらないことに安堵した。
ちーちゃんは去年、母のお見舞いに行ってくれたそうだ。
「私らしわくちゃのおばあさんやけど、たか松ちゃんはしわもソバカスも消えて、キレイな顔になったなぁ。病院におって日に当たらんかったら、あんなキレイになるもんやろか」
身体が動かずしゃべることもできない母について、ちーちゃんはネガティブなところを全く言わず、母の娘時代からのコンプレックスだったソバカスが消えたことを誉めてくれた。
お互いの近況や共通の知人のウワサをゲラゲラ笑って話をして、気が付けば1時間以上長電話していた。
「年賀状でサトイモちゃんを見るのはうれしいわぁ。また年賀状送ってな。返事はよう出さんけど」
そういえば、お母さんもこんなふうによくちーちゃんと長電話してたよなぁ、と思うと、自分が話しているのに母がそこにいるような気がした。
元旦・2日と母のお見舞いに行って、母が帯状疱疹にかかっていることを知った。
免疫力が落ちている高齢者の患者にはよくあるらしい。
うちの夫いわく「出産より痛い」という帯状疱疹。
痛いとも言えず痛みを我慢しなければならない母が不憫で、何もしてあげられないことに暗い気持ちになっていた。
でも、ちーちゃんのようなお友達がいて、
「またお見舞いに行ってもええやろか」
と言ってくれることは何よりの救いだ。
友達はいいもんだ。
つくづくそう思う2020年の年明け。