3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

お荷物社員

金曜日の午後、サトイモの幼稚園から電話が入った。

「熱があるのでお迎えお願いします」

と言う。

体温を聞くと、37.2℃らしい。

そんなん誤差の範囲やんか、と口を尖らせたくなったものの、

「午前中から元気がなくて、先生のお話中、みんなと一緒に大人しくイスに座ってたんです。様子がいつもと違ってるからおかしいなと思って。顔も赤いし手足を触ると熱かったんで、熱を計ってみたらやっぱり熱がありました」

という先生の話に、先生方がそこまで見てくれているならしゃーないな、という気になった。

にしても、幼稚園の先生に、

「イスに座って先生の話を聞いてるなんて、どうも様子がおかしいぞ」

と思われるうちの子って…。

そんなわけで、急遽午後から休みをとってお迎えに行った。

 

私が到着すると、サトイモはもう帰り支度をして座って待っていた。

ところが、私の顔を見た途端、すっかり元気になって走り回り始めた。

「さっきまで職員室で寝てたんですけどね」

と応対してくださった副園長先生が苦笑いする。

 

電話をくれたのも副園長先生だった。

どうやらここのところ、副園長先生がほぼ付きっきりでサトイモの面倒をみてくださっているらしい。

お弁当の時間は両側に先生が座って、サトイモがウロウロしないようにしているそうだ。

せっかくの機会なので、園での様子を聞いたり、家や発達支援教室での様子を話したりして、今後のことを相談した。

先生は、

サトイモくんはまだ3歳になったばかりですから。だんだん園生活に慣れていきますよ。これからこれから」

とやたらフォローしてくれる割には、もう延長保育を利用していいよ、とは決して言わなかった。

そうしているうち、サトイモはすっかり退屈して、靴のままよその教室内に上がり込んで走り回り、別の先生に捕獲された。

全く迷惑千万。

そりゃ、延長保育をどうぞ利用して、とは言ってもらえないわな。

「熱があるから会社を休んでまで迎えに来たのに、元気ならママお仕事に戻るよ!」

と脅しつつ、家に帰った。

 

今度は保護者会

そのとき副園長先生は何も言わなかったのに、そのあと園から連絡メールが入った。

火曜日に臨時の保護者会を開くという。

 

本来なら4月に保護者会があったのだけど、緊急事態宣言発令を受けて延期になった。

それをやるんだろうか?

にしてもすごく急だし、今もまだ緊急事態宣言は続いてるのに、なんでだろう?

 

理由はなんであれ、ゴールデンウイーク明けはサトイモが発熱して2日間も休み、金曜日も午後休。

火曜日もまた休むのかぁ…、と思うと、気が重かった。

 

夫は、

「俺が行こうか?」

と言ってくれたりしたけど、夫の基本的な態度は、

「保護者会ってなんで行かなあかんの?欠席したらあかんの?なんのために会を開くんか理由を言えよな」

と文句ばかり。

なんかうっとおしいので、

「いいよ、私が行くよ…」

と諦めた。

幸い、仕事も少し落ち着いているから、休んでも大丈夫だろう。

 

母の介護をしていたときもめちゃくちゃ会社を休んだが、今度は子育てでめちゃくちゃ休むことになってしまった。

職場の皆さんは優しくしてくれるけど、正直、こんなんじゃ仕事にならない。

すっかりお荷物社員だよ…。

 

園長先生のお話

保護者会に行ってみると、園長先生が、

「本日はお詫びを申し上げなければなりません」

と開講一番切り出した。

「皆様も薄々お気づきかと思いますが…」

と言う。

薄々も何も、全く検討もつかない。

もしかしてコロナ陽性者が出たとかそういう系?

そう思っていたら、園長先生は泣きそうな雰囲気でこう言った。

「担任の先生を交代することになりました」

 

園長先生によると、こんなことはあってはならないことで、先生が勤務してからこれまで、年度途中の担任交代などありえなかったことらしい。

ただ、もっとひどいことを想像していたので、私にしたら、なんだそんなことか、とホッとしていた。

 

言われてみれば、長らく担任の先生を見てなかった。

それで、連絡してくれるのがいつも副園長先生だったのかぁ、とガテンがいった。

かなり鈍いな、私。

 

なぜ担任の先生が交代するのかという理由については、

「担任としてふさわしくないと判断した」

としか説明がなかった。

そのあとは新しい先生の紹介に移っていった。

 

家に帰ってからそのことを夫に話すと、

「そんな程度のことでわざわざ保護者を集めるか!お詫びする気持ちがあるんやったら先に要件言うてから集めぇや!せっかく集めたんやったら、なんで交代させるんかもうちょっと理由を言えよ!」

と私の代わりに怒っていた。

確かに。

 

担任としてふさわしくない、というのは一体何があったのだろう。

問題でも起こしたのだろうか。

単に力量不足?

それとも園児に対する厳しい叱責や体罰

それともそれとも、万引きしたとかドラッグやったとか犯罪系?

 

私の小学校4年生のときの担任の先生は、年度途中で学校に来なくなってしまった。

鬱病だった。

そういうことも、よくある話。

もし担任の先生もそうだったら、お気の毒としか言いようがない。

 

「具体的に何が問題やったんか説明が必要やんか。なんで保護者会で質問せえへんかったん?」

と夫に言われたけれど、ぼんやりししている私はそのとき質問なんて思いもつかなかった。

園長先生も説明不足だけど、こちらも質問力不足。

今ニュースになっているいろんな政治問題と一緒だな。

 

園も先生もいろいろある。

サトイモは問題児だし、私はお荷物社員。

みんないろいろある中で、ちょっとずつ今の生活に慣れていくしかない。

発達支援教室に通い始める

今週からサトイモは本格的に発達支援教室に通い始めた。

未就学児専門の教室で、通っているほとんどが幼稚園児である。

幼稚園は14時半に終わる。

お迎えはファミリーサポートさんに来てもらい、発達支援教室へ連れて行ってもらう。

15時から17時までの2時間、発達支援教室のプログラムを受ける。

私は仕事終わりにダッシュでお迎え。

比喩じゃなく、本当に走っていかないと間に合わない。

17時前に元町をドタドタ走っているおばさんがいたら、それは私である。

 

発達支援教室の先生方は若い人が多く、皆等しく優しい。

一度に子どもは3人だけで、一人ずつに先生が個別指導してくれるので安心である。

ここまでで問題は何もなく、順調に過ごせている。

 

これまで、幼稚園や児童館でサトイモが問題行動を起こしたら、ひたすら謝るしかなかった。

もちろん、先生方は「かまいませんよ」と言ってくれるのだけど、迷惑をかけないほうがいいに決まっている。

 

ところが発達支援教室では、

「問題行動が出たら、なぜその問題行動をするのか原因を探りましょう。原因がわかれば解決の糸口になります」

というスタンスなので、今はむしろ問題行動があるほうがいいのである。

 

例えば昨日なんかは、おやつでちょっとしたトラブルがあった。

サトイモが持参のチョコレートを食べずに手で握りしめてベタベタにしてしまったのである。

チョコレートはサトイモが1番好きなお菓子で、私はサービスのつもりで持たせていた。

にもかかわらず、先生に促されても食べずにもて遊ぶばかり。

溶けて手は汚れるし、汚れた手で他を触ると汚くなるしで散々である。

サトイモはときどきこういうことをする。

大好きなおやつなのに。

 

もしこれが児童館や幼稚園だったら、

「すみません、もうチョコレートはおやつに入れないようにします」

と私が平謝りするところだけど、発達支援の先生は、

「明日も同じお菓子を持ってきてください。明日も同じことをするかどうか、見てみましょう」

というのである。

昨日持参のおやつは、アンパンマンチョコレート、ポケグミ、ホームパイの3つだった。

「おうちでもそういうことがあるのであれば、渡す順番を変えてみたりして、理由を探ってみます」

と先生。

 

家だったら、

「さっさと食べなさい!チョコが溶けるでしょ!ほら!汚れた!いい加減にしなさい!食べないならママが食べるよ!」

と私が怒り、チョコを取り上げて私が口に放り込み、サトイモが泣く、というパターンである。

 

気まぐれに勝手な行動ばかりしているようにみえるサトイモに、理由なんてあるんだろうか?

 

通っている幼稚園に、発達支援教室に通い始めたことを告げると、

「まだ3歳になったばかりですから、これからサトイモくんもわかってくると思いますけど…」

という反応だったけれど、私は発達支援教室にすごく満足している。

毎日が楽しみ。

人間万事塞翁が馬

ゴールデンウイークは家族3人とも風邪気味で、緊急事態宣言関係なく遊びに行けない休みを過ごした。

特にサトイモは3日の夜中に39.4度の高熱を出した。

熱のうわ言で、

「ママと、パパと、サトくんと、さんにんでいっしょに、どーなちゅを、かいにいこうね…」

と言うので、手を握りながら、

「行こうね、きっと行こうね」

と涙した。

「もしこれがドラマだったら、実はコロナにかかってて、これがサトイモの最後の言葉になるパターンでは…」

とゾッとしたけれど、まあそんなことはなく、昼間は元気で走り回っていた。

「病気なんだから大人しく寝てなさい!」

と呆れるばかり。

 

昼間は平熱になるものの、夜から朝にかけて熱が出る。

結局その繰り返しで、今朝も熱が続いたから小児科を受診してきた。

もちろん幼稚園はお休み。私も会社を休んだ。

コロナ対応の会社の規則で、「家族が発熱した場合は自宅待機」だ。

神戸市では、働く親のために、子供が病気のとき小児科の病児保育室が子供を預かってくれる病児保育という制度がある。

それが利用できれば出勤できるかな、と思って申し込んだけれど、キャンセル待ちだった。

1日4人しか受け入れできないなら、そりゃ無理だよなぁ…。

 

うちは夫婦共働き。

でも平等、とは言い難く、会社を休むのは私。

私のほうが給料が安いから仕方ない、と、不平等を無理矢理自分で納得させる。

 

雨降って地固まる

風邪気味だからゴールデンウイークはゆっくり過ごせたかというとそうでもなくて(コロナのことを考えたらじっとしなきゃいけないのだけど)、発達支援教室の利用手続き、新しいファミリーサポートさんとの打ち合わせなどでバタバタだった。

目まぐるしい1週間だった。

 

ちょっと前のEテレ『すくすく子育て』のテーマが「メンタルクライシス② ~子育て状況が変わるとき~」で、職場復帰によって環境が変わったときに母親が陥るメンタルクライシスについて紹介されていたけれど、まさに私はメンタルクライシスに陥っていたんだなぁ、と思う。

 

毎日のように家で泣き崩れていた4月下旬。

頑張っても頑張っても報われない気がして、無力感で泣くしかできなかった。

もう、どうすればいいかわからない。

 

でも、振り返って考えてみると、本当に何もしてこなかったのか?

努力したけど報われないなら、ほかに原因があるんじゃないのか?

サトイモと私を知らない人たちが言う、「躾ができてないから集団生活になじめない」という指摘は当たっているのか?

 

赤ちゃんの頃からほぼ毎日のように、子育て広場や児童館に生き、去年は週5で何らかの活動に参加していたサトイモに、「みんなで行動することの経験不足」という指摘が当てはまるとは思えなかった。

 

考えてみれば、児童館でもプレ幼稚園でも、常に脱走、体操や手遊びはボイコット、教室をグルグル走り回る、を繰り返していた。

ちゃんと目も合うし、他者とのコミュニケーションは好きだし、運動も得意、知的な遅れもなさそう。

去年、子ども家庭センターの発達診断を受けたけど、「発達の遅れはない」と言われた。

だから、発達障害や発達遅れじゃなさそうだと思っていたけど、もしかしたらADHDかもしれない…。

特性を調べてみたら、だいたい合ってる…。

 

そう考え始めて、近所にある発達支援教室に通うことを決めてから、曇っていた空が晴れるように気持ちが明るくなった。

 

大丈夫、手立てはある。

 

保育園じゃなくて幼稚園にしたのが大きな間違いだった、と泣き暮らしていた。

けど、幼稚園だったからこそ、延長保育を断られるほどの脱走癖を指摘されて、発達支援教室まで結びついた。

もし保育園だったらADHDに気付かず、小学校1年生で着席できない問題にぶつかったかもしれない。

早く気づけてよかったのだ。

人間万事塞翁が馬

 

躾がなっていないから、と断られたファミリーサポートさんの代わりに、新しいファミリーサポートさんとも会ってきた。

とてもあたたかい女性で、今度は大丈夫そうだと思えた。

この人と出会えたのも、前の人が断ってくれたおかげ。

 

なんとその人は台湾出身の方で、私も昔中国語を習っていたことなども話し、話が盛り上がり、日本語と下手な中国語でいろいろ話をした。

その人が、

「あれもこれも縁でしょ。ね?yuanfen(縁分)ね」

と言った。

中国語でたまに出てくる「縁分」という言葉。

久々に聞いたけど、心にしみた。

 

よく、子供は親を選んで産まれてくると言われる。

もしサトイモADHDだとして、私の子供に生まれて来たのは、理由があるかもしれない。

それも縁なんだろう。

しっかりしよう。

5月からは、前向きにやってきけそうな気がする。

哀しくてやりきれない。

先週の金曜日のサトイモは、午前中幼稚園、午後は認可外保育園で一時保育という予定だった。

私は1時間年休を取って会社のお昼休みを1時間延長し、お迎えに行った。

普段、幼稚園のお迎えは、神戸市のファミリーサポートという制度を利用してご近所の方に行ってもらっていたので、私がお迎えに行くのは初めてだった。

 

行くと、

サトイモくんのお母さんにお話があります」

と園長先生に呼び出された。

 

先生たちの話を簡単にまとめると、サトイモは頻繁に教室を脱走し、集団行動が全くできず、常に先生が一人付きっきりの状態である。

5月から延長保育希望ということだったが、今の状態ではとても受け入れできない、ということだった。

 

呆然となった。

脱走癖があるのはわかっていたし、3月末生まれだからみんなについていけないのも想定済みだった。

でも、だからって延長保育を断られるなんて。

 

4月1日から、サトイモの預け先に苦労し、キッズスクールや認可外保育園、お姑さんの家、ファミリーサポートさんの家などを転々としてきた。

私もサトイモも疲れたし、預け先にも負担をかけながら、でもこれは4月だけのことだから、と頑張ってきた。

なのに、5月もだなんて。

 

それは躾がなっていないから

幼稚園に預かってもらえないとなると、ファミリーサポートさんを頼るか、お姑さんにお願いするかしかない。

 

とりあえずお姑さんにその話をしたら、だから躾がなっていないのだと説教された。

 

この子はあかん。オムツも取れていない、食事中ウロウロする、お片付けできない、言うことをきかずに走り回る。

ちゃんと叱らないからこんなことになるんや。ときには叩いてでも言うことをきかさないと。

3歳から幼稚園に入れるのはまだ早いんや。

この子に幼稚園はまだ無理や。

 

ファミリーサポートさんにもサジを投げられた。

 

もう3歳児だし、三つ子の魂百までというように躾ができていないと難しい。まして幼稚園が預かれないというような子なのだから。

もっと早くから保育園に預けていたら、集団行動もできただろうが、今からじゃ難しいだろう。

 

年寄りたちは皆さん口を揃えて躾ができていないと言う。

3歳になるまで何をやっていたのか。

 

私はもう泣くしかできない。

毎日毎日、言うことをきかない子どもを声が枯れるまで怒鳴り、時には叩き、それでも言うことをきかないから、どこかにヒントがないかと育児本を読み、You Tubeを見て、どうやればうまくいくか勉強してきたけれど、結局何もうまくいかなかった。

 

家でサトイモが言うことをきかないと、

「そんなだからもう誰も預かってくれないだよ!」

とわめき散らし、つい手が出る。

ああ、こんなふうに虐待が始まるのかもしれないな、と思う。

誰かが通報してくれて、児相が預かってくれたらいいのにな。そしたら、もう預け先を考えなくて済むのに。

 

幼稚園にしたのは大きな失敗だった。

背伸びせず、保育園にいけばよかった。

せっかく保育園に受かっていたのに、なんてバカなことをしたんだろう。

考えれば考えるほど涙が出るばかり。

 

発達支援を頼ってみるか

明日やるべきことは、新しいファミリーサポートさんをあたる、一時保育ができるか認可外保育園にきいてみる、ダメならベビーシッターを探す。

それと、新しくできた発達支援施設に問い合わせをしてみる。

発達障害と言われたことはないけど、ADHDの可能性も考えて、サポートを受けられるようにする。

 

唯一救われるのは、普段クヨクヨする性質の夫が、意外とあっけらかんとしていることだ。

「こんな可愛らしい坊主、預からんかったら損やのにな」

と言っている。

私も夫も、

「これくらい問題児のほうが、将来大物になるぞ」

サトイモの将来については楽観的だ。

ただし、ゴールデンウイーク明けから5月中は憂鬱しかない。

 

ヘルパー利用はやめられない

サトイモの朝の「イヤダイヤダ」「ダッコして!」も日に日にマシになってきた。

泣いている時間も日ごとに少なくなり、今朝は初めて、ゴネたり泣いたりせずに幼稚園へ行ってくれた。

恒例になっていた園長先生による「抱っこ引きはがし」も必要なく、手をつないだ状態で園内に入れた。

日進月歩で幼稚園に慣れてくれている。

 

4月2日の夜中にサトイモが泣き叫んで大変だったことは書いた。

4月1日からいきなりキッズスクールに預けられ、ママと離れて過ごすことになったストレスといえばそれまでなんだけれど、私にはそれに加えて思い当たるフシがあった。

 

2日の夕方はバタバタだった。

まず、検事に盗難事件の裁判結果について問い合わせをしていたのが、折り返しの電話がかかってきた。

そのあと、父が利用しているヘルパー事業所の所長からも電話が。

2本の電話は関連する内容なのだけれど、全くの偶然、同じ日になってしまった。

検事とは数分、ヘルパー事業所の所長とは30分近く話し込むはめに。

 

その間サトイモは、

「ママでんわしないでぇ〜!サトくんとあしょんで〜!でんわしたらダメだよぉ〜!だぁっこしてぇ〜!」

とずっと泣き叫んで邪魔しっぱなしだった。

サトイモにしてみたら、日中淋しい思いを我慢して、やっとママとお家に帰ってホッとしていたのに、またママを電話にとられてしまった。

それが気に入らなくてしょうがないのだ。

挙げ句、ママに「静かにして!」と怒られ、「うるさい!」と逃げられ、散々である。

そんなこともあったから、余計にストレスだったのかなぁ、と私は思っている。

 

その電話の内容は、書いている途中だった窃盗事件の「ヘルパー事業所が謝罪に来た話」とちょうどリンクするので、さかのぼって日記を書こうと思う。

(つまり、下記の日記の続きです。)

Xデーがやってきた! - 3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

 

謝罪は羊羹とともに

1月19日、盗みを行ったヘルパーが所属するヘルパー事業所が謝罪に来るというので、私はサトイモをお姑さんに預け、実家へ向かった。

事業所からは3人やってきた。

所長、事業部長、ヘルパー責任者の増子さん。

増子さんは面識があるヘルパーさんで、ときどき父のヘルパーに来てくれている、いわゆるプレイングマネージャーだ。

所長と事業部長は初対面だが、所長とは前日に電話で話したばかりである。

電話と同様、消え入りそうな声で、

「このたびは、誠に申し訳ございませんでした…」

と謝った。

まあ、そういう態度でそう言うしかないよな、としか感じなかった。

 

増子さんは泣きながら、土下座に近い形で父に謝った。

「こんなことが起きていたなんて、私、全く知らなくて、本当に、本当に、ごめんなさい」

泣きながら父に頭を下げる増子さんに対して、父は肩に手を置いて、

「もうええ。もうええがな」

と慰めた。

お金が戻ってくるまで、決して「もうええ」ことはないんだけど、増子さんは泥棒本人じゃあるまいし、そこまで謝ることではないよ、という気持ちになったのは確かである。

父の態度は、すごく寛容で優しさにあふれてて、いい人感がハンパなかった。

…でも、繰り返すけど、お金が戻るまでは決して許せることではないのだけど。

 

どのタイミングでもらったか、今となっては忘れてしまったが、謝罪として彼らは和菓子屋の菓子折りを持ってきた。

大きな羊羹が3本。

父が一人で食べられるもんじゃないし、神戸まで持って帰るのには重かった。

気が利かねぇなぁ…。

 

3つの目的

この日、私は3つ、話すことを決めていた。

  1. 謝罪をうける。でも、事業所に損害賠償請求の民事訴訟をする可能性があることを伝えて、その場合は代理人の弁護士から連絡すると言うこと。
  2. 犯人の宅間がどんな人なのか、情報を聞き出すこと。
  3. 今後のヘルパー利用について、どうするか相談すること。

 

1番目については、それだけのことなのですぐ終わった。

(結果的に示談金で全額弁済してもらったので、訴訟はしなかったけどね。)

 

2番目。

「宅間さんというのはどんな人なんですか」

と私が尋ねると、所長は、

「それについては増子から」

と話を振った。

 

全体について、この所長は謝罪しかしなかった。

謝るか、増子さんに話を振るかだ。

事業部長にいたっては、あいさつ以外は一言もしゃべらず。

首を揃えただけ。

あんたら結局、何もかも現場に任せきりやから、こんなことになったんちゃうの?

…と怒鳴れたらスッキリしたのかもしれないが、そのときは私もモヤモヤするばかりで何も言えず。

 

この続きはまた今度。

幼稚園入園!

先週の土曜日はいよいよサトイモの幼稚園入園式だった。

数日前になって、サトイモも私も着ていく服がないことに気付く。

サトイモは制服があるからと余裕こいていたら、制服は上着だけなのでズボンがない。

慌ててネットで注文。

私は喪服のワンピースとスーツのジャケットを無理くり組み合わせ、こちらもネットでコサージュだけ注文した。

ネットがないと日常がまわらない。

4月に入ってから何もかもが土俵際ギリギリの闘い。

 

入園式は保護者2名が来園可能、でも式典出席は1名のみというコロナ対応で、夫は一緒に来ても園庭で待つ形となった。

最初は、

「行き帰り一緒に来るだけなら、別に来なくてもいいけど?」

なんて夫に言っていたが、結果として一緒に来てもらってよかった。

写真撮影係、荷物持ち係としての役割はもちろん、私が気づかなかった園のいろいろを夫目線で見てくれたからだ。

「子育ても次のステージに来たな、という実感が湧いたわ。この園にして良かったなと思ったで」

 

2月は園選びに悩んだこと

実は2月、2号認定で保育園に合格したという通知が届いていた。

当初は、今の幼稚園は滑り止めで、保育園が受かれば、それがどこであれ保育園に行くつもりだった。

保育園は5つ受けて、どこに当たるかはわからない。

受かった保育園は、一度も行ったことのないところだった。

本当なら受ける園は全部見学するつもりだったけど、コロナのせいでできなかったのだ。

一方、今の幼稚園は、「行くかもしれない」前提で手続きも進むし、園庭開放にも参加してサトイモもなじんでくるし、そうしているうちに本人もここの幼稚園に行く気になっていた。

園の教育方針もしっかりしているし、周りの人の評判もいい。

 

すごく悩んだ。

 

1号認定で幼稚園に行くと、2時半に園が終わって私がお迎えに行く17時半までの延長保育料が毎日かかってくる。

夏休みなどの長期休暇なら、毎日が延長保育の課金だ。

あと、幼稚園は毎日お弁当。

保育園なら給食なので手間がない。

弁当と簡単に言うけど、私が毎朝お弁当作りなんてできるだろうか?

 

「幼稚園か保育園か悩んでいるのは、結局弁当と金の問題?」

と夫が聞いた。

 

お金。

父の介護ヘルパー窃盗事件があってから、お金の感覚が変わった。

お金なんて残したところで、他人に盗まれたら終わり。

だったら有意義なところでバンバン使ったほうがいい。

特にサトイモの教育費に使うなら、何も惜しいことはない。

 

そして今の幼稚園入園に決めた。

 

入ることに決めてから、

「入園式までは預かれません」

「4月中は延長保育できません」

ということを知って預かり先にめちゃくちゃ苦労しているけれど、なんとか乗り切っている。

 

幼稚園生活はまだ4日目。

サトイモは毎朝泣き叫んで、園まで抱っこで登園。

門のところで園長先生に引き剥がされる日々。

夫の、

「この園にして良かった」

という言葉を信じるしかない。

2歳には戻れない。

4月1日と2日は、サトイモを託児所のような某キッズスクールに預けた。

迎えに行くと、少し年上のお兄ちゃんお姉ちゃんに混じって走り回って遊んでいた。

先生に話を聞くとおもらしすることもなく自分からトイレに行ったという。

お弁当も少ししか残さなかったので、これなら大丈夫だと思っていたら、2日金曜日の深夜、サトイモが突然泣き出した。

泣くというより、ギャアアア!という、叫びに近い状態。

悪い夢でも見たのかと起こすけれど、全然こちらの世界に戻ってこない。

まるで悪魔憑き。

どうやったって泣き止まない。

ずっとサトイモを抱っこし、夫も一緒にリビングに移動して、声をかけたり歌ったりしてなだめる。

最終手段でYou Tubeをつけたら、なんとか治まった。

真夜中にハシビロコウがエサを食べている動画を見るシュールさよ。

 

そして月曜日からは、朝起きた時点から「いやだいやだ」と言って泣くようになった。

「きっじゅしゅくーるにはいきたくない」

そう言われると、キッズスクールに何か問題があるのかも、と少し不安になる。

たくさんの選択肢から吟味した託児施設ではなくて、慌てて見つけ出した場所だから、私自身に安心感が薄いという事情がある。

ただ、初日に、

「きっじゅしゅくーるはキライじゃない」

と本人が言っていたのを信じて、サトイモが嫌なのは「ママいっしょじゃない」ことだと自分に言い聞かせる。

どんなに嫌だと言われても、そこはどうしょうもない。

それでもやはり、

「これまでみたいに、ママいっしょにじどうかんいく〜」

と泣かれると切なくなる。

玄関に置いていた私のパンプスを見たサトイモが、

「このクツはくのいやだ!ママこっちのクツはいて!」

と、これまでずっと履いていたスニーカーを持ってきて泣くのは私まで泣きそうになった。f:id:naminonamimatsu:20210408124338j:image

サトイモにとって試練のときである。

3歳になって、サトイモには念願のチョコレート解禁、ストライダーもプレゼントしてもらって、公園で乗れるようになった。

でも、もう3歳だから、ママと離れないと。

どうしたって、もう2歳には戻れないんだよ。