嚥下訓練で回復の兆し
日曜日に遊びに出かけたので、今週はイレギュラースケジュール。
火曜日に夏休みをとって、月曜日の訪問リハビリを振り替えてもらった。
火曜日のリハビリ中、ケアマネさんが訪ねて来てくれた。
ケアマネさんは、ちょっとでも母が飲み込みがよくなるようにと、先週の金曜日に訪問歯科の先生を呼んで嚥下訓練を受けさせてくれたのだ。
訓練の内容についての報告と、これからの対処法について、あと、費用請求についての事務的な連絡などなど、訪問リハビリの療法士さんも交えて三人で話しあった。
「来てくれた先生が、えらいシュッとしたイケメンで。お母さん、久しぶりにすごいええ笑顔をしたったんです。うちの男性職員にはあんなタイプおらへんから」
と報告事項の最初がそれだったので、笑ってしまった。
周囲を笑顔にするシュッとしたイケメン、と言われて、私の頭の中では『坂本ですが?』の坂本君のイメージが浮かぶ。(←たぶん違う)
訪問リハビリでも口や喉の周りの訓練はしてもらっているのだけど、いかんせん週に1時間では限界がある。
坂本君の指導を受けて、施設の職員さんで毎日嚥下訓練をしてくれているのだそうだ。
食事中、飲み込みにくそうにしていたら、頬から首の下をマッサージするだけでもだいぶ違うらしい。
あと、舌の動きの訓練。
母は病気の進行に伴い、舌がだんだん後退して喉の奥に落ちていっている。
舌の動きが鈍くなると、ものを噛んだり飲み込んだりするのに支障が出る。
それを防ぐため、口腔ケアのスポンジなどを使って、舌を動かす練習をするのが重要とのこと。
また、飲んだり食べたりするときの姿勢の改善についても言われた。
母は病気のせいか加齢のせいか、背中が曲がっている。
背中が丸いので、肩が前に出て、胸を圧迫する。
首で頭の重さを支えられず、顔がうつむいてしまう。
それが、余計に飲み込みにくくさせているのだそうだ。
今まではキッチンの食卓で、車イスに乗ったまま食事をさせていた。
しかし、車イスでは背中が丸くなってしまい、顔も下を向いてしまっていた。
うつむいていては、食事が入らない。
ひどいときには、私が左手で母の頭を押さえながら、右手でスプーンを運ぶ。
母の頭を持ち上げている私の左腕がしびれるくらい、人間の頭は重い。
これらのことを考えると、車イスでの食事はもうやめ。
キッチンではなくリビングで食べることにして、母はソファに座らせる。
少しリクライニングした姿勢で胸を開き、頭がまっすぐになるようにクッションなどで固定するのがよい、と教えてもらった。
試しにベッドの上で、療法士さんが後ろから母を抱きかかえて少し後ろに傾かせ、胸も開いた姿勢を作ってくれた。
その姿勢で、経口補水液OS1のゼリーをスプーンで食べさせると、とてもスムーズに飲み込めた。
「ゴクンできた!すぐ飲めましたね!」
この調子で食べられるようになってくれれば、夏を乗り切れそうだ。
「猛暑を乗り切りましょね、波野さん」
とケアマネさんが母に呼びかけてくれる。
女ばかりで盛り上がるリハビリ。
金曜日、家に帰って、ベッドで横になっている母に「ただいま」と声をかけると、視線を合わせて笑ってくれた。
先週より、顔色もずいぶん良くなっている。
やわらかい食事に限るけれど、ずいぶん食べられるようになっている。
飲み物もストローで飲めるようになった。
おしゃべりは難しいけれど、声をかけると、反応はしてくれるようになった。
よかった、持ち直した…。
先週のぐったりが嘘のように回復していた。
もしかしたら本当に、私の風邪がうつっていたのかもしれない。
昨日、ケアマネさんから、「今日はとてもお元気そうです」とメールが来た。
「週末にご家族のパワーをもらっておられるのですね」、と。
週末になると、母の表情が明るくなるのだそうだ。
しかし、それは結局、平日にきちんと世話をしてくれている施設のおかげである。
私ができないところで、嚥下訓練や栄養管理、口腔ケアをして、体調管理をしてくれているから、週末に自宅でゆっくりできるのだ。
本当に、介護サービスがある時代の介護者でよかったなぁと思う。
今週は、障害者施設殺傷事件が起き、いろいろ考えさせられることが多かった。
役に立たない障害者はいなくなったほうがいい、という容疑者の思想から言えば、うちの母も殺されてしまう対象だ。
でも、障害者は本当に役に立たないのか?
私は母の介護をするようになって、たくさんの知識を得た。
病気のこと、老化のこと、人間の身体の仕組み、栄養のこと、介護用具や道具のこと。
今回の嚥下のことだってそうだ。
介護をしながら、生きる上でのいろんな知識が学べている。
母を楽しく元気にするための知恵や工夫や技術が、いつか、自分のために絶対役に立つ。
誰だって歳をとって、だんだん身体が動かなくなるものなんだから、今のうちに知識を得られている私は、かなり強いはずだ。
歳をとっても楽しく生きられる知恵を、身体に障害が出ても元気に生きられる工夫を、私はお母さんに教えてもらっているのだ。
今回の殺傷事件でショックだったのは、この容疑者が施設の元職員だったということ。
引きこもり青年がイメージだけで障害者を差別したのなら、まだ救いがあった。
障害者とリアルに接したことがあって、施設で働いていて、それでもなおかつ「いないほうがいい」と思ったということが、信じられない。
日常、彼は何を見ていたのだろう?
先週は声をかけても無反応だった人が、今週は「おはよう」と言ってくれた。
たったそれだけで、家族はうれしくなるものだ。
普通のことが普通にできる人より、日常にきらめきがある。
相模原の施設だって、そんなきらめきがいたるところに落ちていたにちがいない。
それ見えなかった容疑者には、日常生活が暗闇だったろう。