3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

神戸文学館で細雪

木曜日の祝日は実家に帰らず、自分の時間を過ごした。
午前中は旧居留地にある美容室に行って髪を切り、午後から灘にある神戸文学館に行った。

f:id:naminonamimatsu:20160813135951j:plain

神戸文学館には初めて訪れた。
関西学院大学のチャペルを移築してできた美しい建物で、向かいに横尾忠則現代美術館、隣に王子動物園
文学館の静かな夏空に、動物園から何かの鳴き声が響いてくる。

いつかは行かなきゃと思いながら長年来るタイミングがなかったのに、なぜ今訪れたかというと、現在、谷崎潤一郎細雪』の特別展をやっているからだ。

細雪』は今年の初夏に読んだばかり。
なんとなくとっつきにくいイメージだったけど、読んでみたらとんでもない。
あらすじを一口で言うと、四姉妹のうち下の二人が、適齢期を過ぎても結婚できず、三女の雪子のお見合いが繰り返される話。
ただそれだけだが、いやあ、面白い。
他人のお見合いとか、結婚するかしないかの悩み事って、なんでこんなに面白いんだろう。

姉妹の性格がそれぞれキャラが立っているのもよい。
やっぱり文学でも大事なのはキャラ萌えだ。
特に内気で大人しい三女・雪子と、チャッカリ者でハスッパな四女・妙子の対比が面白い。
妙子は自立する女と見せかけつつ、男性関係がいろいろあったりするのが、物語をかき混ぜてくれる。
女心の嫌なところも、繊細なところも、さすが谷崎先生、わかってらっしゃる。
同じ婚期の遅れた未婚女性として、あるときは雪子となり、あるときは妙子となって、うなづいたりモヤモヤしたりしつつ、またあるときは主人公の次女・幸子となって妹たちにハラハラしながら読んだ。

ただ、私に土地勘があるから、倍楽しめたんだと思う。
昨日、安田謙一さんの『神戸、書いてどうなるのか』について触れたけれど、『細雪』にも谷崎潤一郎による神戸案内な部分があるからだ。

小説には、今でも存在するお店や通りなどがあり、
「彼女たちはきっとあのあたりで、あんなふうに歩いていたのかなぁ」
などと想像するのも楽しい。

雪子のお見合いを世話してくれるのが伊谷という美容師で、彼女の美容院はオリエンタルホテルの近くにあるという設定だ。
考えてみれば、私が午前中行ってきた美容室も現在のオリエンタルホテルの近く。
細雪姉妹と地続きにいる気がして、ポーズだけでも細雪ごっこがしたくなる。

そもそも、私がなぜ『細雪』を読もうと思ったかというと、NHKでやっていたドナルド・キーン博士の番組がきっかけだった。
番組で、『細雪』が出版禁止になったことを紹介していた。

時代は太平洋戦争の戦時中。
音楽会に行く着物の帯を姉妹で仲良く選ぶような上流階級の華やかな暮らしぶりが、「時局に合わない」と当局に目をつけられたのだそうだ。

女が着物を選ぶシーンが出版差し止めになるなんて、今から考えたら笑い話かと思ってしまう。
けれど、本当に『細雪』は、そんな理由で出版できなかったのだ。

それが戦争だ。

それでも谷崎は書き続けた。
戦争とは正反対の豊かな暮らしを描くという、静かな反逆。
谷崎先生ロックすぎ!

軍隊や兵隊が殺しあうだけが戦争じゃない。
今の『とと姉ちゃん』じゃないけど、日々の暮らしが失われるのも戦争の一面だ。

読みたい本が読めない、見た映画が見れない、聴きたい音楽が聴けない。
私にとってはそれが一番我慢ならない。

再びそんな時代になりませんように、と願っているけれど、NHKをはじめ一部のテレビ局や新聞が、先日の天皇陛下の御気持ちを意図的にカットしたというネットニュースを読むと、すごく不安になる。
どこかの圧力が、この国を不自由な国に変えようとしている気がする。
日本で最もえらい人の御言葉でさえカットするのだ。沖縄の基地やヘリパッドや、伊方だとかいろんな原発や、政府の方針に反対するいろんな運動を握りつぶすのなんて造作もないだろう。
何が美しい国だよ。


ところで神戸文学館。
時代ごとに分けて、神戸ゆかりの作家の展示があるんだけど、 戦後で終わっており、最後は妹尾河童野坂昭如で終わっていた。
横溝正史は?
村上春樹は?
中島らもは?

足りない人が多すぎて肩透かし。
言い出したらキリがないのはわかってるし、入場無料だから多くは望めないのもわかるけど、物足りなすぎるぜ。