3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

秋はヤツらが忍び寄る

去年の秋、夜中の3時頃だったと記憶している。
母のトイレ介助で起きたあと、飲み物を飲ませようと冷蔵庫を開けた瞬間、ドアの上からポトリと落ちてきた生命体。

ギョエエエーーーッッ!!!!!
テ、テラフォーマぁーーーーっっっ!!!!

茶羽のヤツに動転して、思わず冷蔵庫のドアを閉めてしまった。

え?!
もしかして私、今ヤツを中に閉じ込めてしまったのでは?!?!

おそるおそる、もう一度扉を開けて見てみたけれど、ヤツの姿は見えず。
あまりの恐ろしさに、その日は、
「あれは夢だ、あれは現実じゃない」
と唱えながら、忘れて眠ることにした。

それからしばらく、冷蔵庫内で行方不明になったヤツの影におびえて暮らした。

しかし、ただおびえてもいられない。
捜索活動と平行して、ネットでの生態調査を開始。
ヤツらは10℃以下では活動が止まるらしい。
だとしたら、ドアが閉まった瞬間、コソコソと奥へ隠れたとしても、そこで動けなくなっているはずだ。

必死の捜索にもかかわらず、ヤツはどこにもいない。
さすがにしぶといアイツらでも、1か月以上、10℃以下の環境下では生命を維持できないはずだ。

私は捜索をやめた。

父に相談すると、
「ほっとけ。いつか出てくるやろ」
と気にも止めない様子だった。

彼氏に話すと、
「あかんあかん!干からびた死骸の菌が、冷蔵庫内を飛び回るで!もっと徹底的に探さな!」
と私を脅した。
だが、見つからないものはしょうがない。

そんなとき、ある友達が、
「見つからないってことは、中に入ってないんじゃない? ほんとに閉じ込めたの? ドアを閉めたとき、外に逃げた可能性ってない?」
と至極冷静なアドバイスをくれた。

そうか!
仰天のあまり、咄嗟にドアを閉めたけれど、アイツの動きは全く見ていなかった。
閉じ込めたというのは私の思い込みだ。

な~んだ。
閉じ込めてない、そういうことにしとこ。

*******

先週末、実家のベランダで、再びテラフォーマーを見つけた。
ギョエェ、ええ?

なーんだ、死んでるのか。

あとで片付けよう、と思いながら、先に洗濯物を干し、そのあともバタバタしていて、ヤツのことを忘れてしまっていた。
いや、嫌いすぎて、むしろ積極的に忘れよう、見てみぬふりをしようとしていたのかもしれない。

家を出るとき、父にダメもとで、
「ベランダにゴキブリが死んどうから、時間があるとき片付けといてな」
と頼んだ。
「よし、わかった!」
父はいつも良い返事をしてくれる。
ただ、実行されることはない。

この週末、やはり洗濯物を干すためにベランダに出たら、ヤツの死骸がなくなっていた。

「お父さん、ゴキブリの死骸、片付けてくれたん?」
「いいや、忘れとったわ」

「でも、なくなっとうで」
「どっかおるやろ」
「見当たらへんよ」
「おかしいな」

「移動するわけないのに…」
「ほんなら、小鳥が来て食べたんかな?」
「どんなメルヘンやねん!」

よくよく探すと、ちゃんといた。
風で壁際に寄せられていたのだった。
すごくイヤだったけれど、ホウキで掃いて片付けた。

それにしても、小鳥が来てヤツを食べてくれるなんて、どんなパラダイスだ。

*******

私は昔、自分はネガティブな人間だ思っていた。
愛するオーケンがそうだったし、文学に出てくる登場人物は皆そうだったからだ。
でも、それは単なる憧れであって、実際は底抜けの楽天家だと、歳を取るほどに痛感する。

それはどうやら親譲りのもので、思えば父も母も楽天家だった。
楽観的すぎて、考えのなさにイライラさせられることも多かったけれど、反対に助けられたこともたくさんある。
落ち込まない、いつまでもくよくよしない。

必要以上にヤツにおびえて暮らすより、ヤツを気にせずに暮らすほうが幸せに生きられる。
楽天家ってそんなもの。

ただし、楽天家で考えなしは困る。
それはただのアホ。
戦術はしっかりと。
ホウ酸団子は定期的にしっかり撒く。
ゴミはちゃんと処理する。

合理的な賢さを身に付けられたら、楽天家は最強になれるはずだ。
これは人生全般の話。

それは賢くなれたら、という仮定の話だけど、私は楽観的なので、
「いつかできるんじゃない?」
とのんきに信じている。