3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

化粧をする時間をほかに使えたらなぁ、と思わなくもない。

介護スタッフさんから、たまに母の肌を褒められる。

「波野さんはほんまキレイなお肌でうらやましいわぁ」

確かに母は76歳にして、ほとんど皺がない。

昔本人がコンプレックスを持っていたソバカスも、年齢とともに薄くなって、今はほとんどわからなくなっている。

「ほかの利用者さんにもね、肌のキレイな人がもう一人おってんですけど、その人は若い頃からずっとポーラの高い化粧品使こうてたんですって。波野さんも特別なことしとったったんやろか」

女性スタッフさんからそう尋ねられ、

「そういえば、どんなときでも毎日欠かさずにお手入れはしてましたねぇ」

と昔の母を振り返った。

 

「顔を洗ったら必ず化粧水と乳液をつけなさい」

と、

「お日さんに焼けたらお母さんみたいにソバカスになるから、日焼けしたらあかんで。日向に出るときは日焼け止め塗って日傘差して、それでも焼けたら化粧水でよう冷やしよ」

の二つは、母から何度も言われたことだ。

母からの美容アドバイスはスキンケア第一主義というか、美肌主義だった。

 

母は化粧品自体に特にこだわりはなく、スーパーで売っている安いものばかり。

いい化粧品を使うことより、手を抜かないということに信条があったのだと思う。

実際、老人になっても皺がない肌を保っている母を見るにつけ、それは決して間違っていないと証明されている気がする。

 

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さて最近、化粧にまつわるブログとそれにまつわる反応を大変面白く読んだ。

 

togetter.com

 

このブログの「すっぴんだと醜い」などの乱暴な物言いに対し、肌や身体が本当に弱い人の気持ちがわかっていない、弱者に対する思いやりがない、と物議を醸しているようだ。

確かに書き方や意識に問題は多々見られるものの、途中まではなるほど面白い意見だと思った。 

マイルドに要約すると、

「肌が弱いと思っている人のうち、思い込みの人がいるんじゃないかな? 化粧の仕方が間違っていたり、その化粧品があわないだけの人がいるかもしれないよ。ドラッグストアのお姉さんに勇気を出して訊いてみれば、アドバイスをくれるから、ぜひトライしてみて」

というような提言。

また、化粧というのはポイントメイクだけではないよ、基礎化粧が大事なんだよ、ということにも言及している部分がある。

そこに関しては、間違ったことは言っていないように思う。

 

ファンデーションなどの化粧品は肌の負担になるけれども、逆に基礎化粧品が肌を守ってくれる場合もあるはずだ。

先に書いた我が老母の例にあるように、基礎化粧品で保湿をしっかりして美肌を保てれば、無理にファンデーションを塗らなくてもキレイな肌でいられるかもしれない。

(もちろん、本当にアレルギー疾患がある人は除く。)

 

ただし、彼女の「1万円持ってドラッグストアへ行け」という「親切なアドバイス」は、オタク女的に無意味だ。

 

だってオタク女は、メイクについて、わざわざドラッグストアのお姉さんに相談に行くほどのモチベーションを持っていないからだ。

コミュニケーション力が高くないから販売員と対峙するのに勇気がいるし、高い化粧品を勧められても断れなかったらどうしようかと不安になる。

そもそも興味がないんだから、そんなことに費やす時間とお金がもったいない。

 

私は今、デパートの化粧品売り場で化粧品を買っている。

ドラッグストアよりさらにハードルの高いところで、カウンセリングを受けているのだ。

ここに来るまで、道は遠かった。

 

20代後半までは、化粧品販売員のお姉さんが怖くて近寄れなかったからだ。

メイクの方法もわかっていない、ろくに外見を磨けていない、お金も持っていない、ないないづくしの自分がそんなところに行ったところで、バカにされると劣等感を抱いていたのだ。

30歳頃になって社交力と小銭を持つようになり、お姉さんたちの大半が年下になってきて、ようやく、「こっちゃ客なんだから何を恐れるものか」と思えるようになった次第。

 

化粧品だけではない。

美容室に行くときもそう。服を買いに行くときもそう。靴を買いに行くときもそう。

美容・ファッション全般において、若い頃は気おくればかりしていた。

おしゃれな店に服を買いに行くためには、買い物に着て行く服をまず買わないといけない、というパラドックスが起きていた。

だから、行かない。近づかない。買わない。知らない。

その悪循環。

 

私の場合は、哲学者の鷲田清一の本を読んで、ファッションは哲学やアートの仲間であり、自分を表現する手段なのだ、と気づかされてから、興味の持ち方が変わった。

また、興味を持てば、楽しめるようになった。

今は、メイクをするのも、服を買うのも楽しんでいる。

 

けれど、三つ子の魂百までというように、心の根っこはいつまでも、ダサいオタクのままだ。

 

毎朝、顔を洗ってからだいたい20分くらいかけてメイクをするけれど、その20分の積み重ねがどれほど膨大な時間になるか考えるとゾッとする。

1週間で映画1本分の時間に相当するわけだ。

そう考えると本当にもったいない。

化粧をしない男のオタクたちと比べて、知識量に差が出るはずだよ!

 

だから、いっそのこと「しない主義」の女性は潔いと思う。

「面倒くさいから」という理由だったとしても、時間の有効活用になる。

他人の目を気にするか気にしないかだって、個人の自由だ。何も悪いことはない。

それを非難するメイク派の女たちを、「時間を無駄にしている」と説教してやればいい。 

 

美容にかける時間の問題について、ずっとずっと引っかかっていることがある。

かつてスタップ細胞で有名になった小保方さんのことだ。

スタップ細胞の有無はさておき、彼女は研究者でありながら美しい容姿をしていて注目を浴びた。

 

この「研究者でありながら」というところがミソだ。

研究者というのは往々にして容姿に無頓着である、というのが世間でイメージするところじゃないかと思う。

研究に没頭するあまり、自分の見た目なんかにはかまっていられず、寝食すら忘れている、というのが、ステロタイプな天才研究者像。

 

そんなステロタイプな天才に一番近いのが庵野秀明で、彼がお風呂に入らなかった話は有名。

岡田斗司夫が、庵野秀明以外にスティーブ・ジョブズビル・ゲイツもお風呂に入らなかった、とYouTubeで話していた。

 

www.youtube.com

 

理由は簡単。

お風呂に入る時間がもったいないからだ。

男性にとって最低限の身だしなみがお風呂だとして、それさえしない彼ら。

そしてその時間を作品作りやシステム開発に捧げた天才たち。

 

そんな天才に比べて、我々一般女性は身だしなみに時間を使い、どれほど無駄にしていることか。

 

お風呂に入って身体を洗う、髪を洗う(トリートメントもする)、メイクを落として洗顔する、髪を乾かす(長いとさらに時間がかかる)、髪をブローをしたり巻いたりする、身体にボディクリームを塗る、顔に化粧水・乳液・美容液・クリームを塗る、化粧下地、ファンデーション、フェイスカラー、アイライン、アイシャドー(1~3色は使う)、マスカラ、アイブロー、チーク、口紅、リップグロス…。

もちろん、全部じゃないし、もっと多い人もいるだろう。

個人差はあるものの、男性と比べて手間がいらないのは髭剃りくらいのものだとは言えると思う。

 

美容室に行くのにも時間がかかる。

カットとカラーで2、3時間はかかってしまう。

自分に似合う服を選ぶにも時間がかかる。

試着だってしないといけない。

下着だって、ブラジャーが必要。ガードルだってある。

靴の選択肢も多いので、選ぶだけで一苦労だ。

 

女性は容姿を求められることで、余計な時間を取られている。

一週間で映画1本分じゃ済まないよ、これは。

 

容姿をキープするのにどれだけ時間を費やさないといけないか。

その時間を、本を読んだり映画を見たりする時間にもっと当てられたらなぁ、と常日頃思っている私だから、小保方さんのことが不思議でならなかった。

美容やファッションに費やす時間を、もっと研究に当てたいと思わなかったんだろうか?と。

美容室でシャンプー台に乗っているとき、

「こんなことしてる場合じゃないのに!」

と思わなかったんだろうか?

ネイルしている時間を研究に使っていたら、本当にスタップ細胞を見つけられたかもしれないよ??、なーんてね。

小保方さんは「ファッションも大切!」という価値観なだけだろうし、庵野秀明と比べてはいけないのだけど、なんとなく腑に落ちないままでいる。

 

美容やファッションが時間の無駄? だったらこんなクソブログを書いてるほうがよっぽど時間の無駄!

…という闇の声が聞こえてきたので、これでおしまい。