任務が果たせない父の代わりに。
毎週月曜日、実家を離れるときに私が父に言う3つの事柄がある。
- 夕方、ベランダに干している洗濯物を取り入れること。
- 火曜日の朝、裏口にまとめてある生ゴミを捨てに行くこと。
- ラップをして冷蔵庫に入れているおかずと、炊飯器内のごはんを食べてしまうこと。
洗濯物の取入れが翌日になったり、ゴミ捨てが金曜日になったり、おかずが食べきれず私が帰ってもまだ冷蔵庫に入っていたりするけれど、この3つは父の1週間の任務であり、最低限のしなければならない使命だった。
父の膝の皿が割れてしまった今、こんな簡単な仕事でさえ難しい。
洗濯物については、これからはベランダに干さず、部屋干しで対処することにした。
最初から私が部屋に干すようにすれば、父に取り込みを頼む必要もない。
残る問題はゴミ捨てと食事である。
膝の皿が割れてたって、冷蔵庫のおかずを食べるに支障はない。
問題は、冷蔵庫のおかずを食べてしまったその後の話だ。
いつもなら父は、外食をするかお弁当などを買うかして、食事を済ませる。
ギプスでも外出できないことはないけれど、あまりウロウロするのも膝によくないし、杖をつきながらヨチヨチ歩くのでは、また転倒しかねない。
こうなったら、父には宅配弁当を食べてもらうことにしよう。
これまでも何度か、父はお弁当の宅配サービスを受けている。
しかし、長続きしなかった。
どこのメーカーも美味しくないと言ってすぐにやめてしまった。
普段、塩や醤油をドバドバ使う父。
宅配弁当の多くは高齢者向けに薄味にしてあるので、それが気に入らなかったようだ。
「高血圧なんだから、薄味に慣れないと」
と正論を言ったところで、聞き入れる人ではない。
なにせ、ケンタッキーフライドチキンに塩コショウを振るほどなのだ。
味の濃さにうるさいうえ、父は面倒くさいことをするくらいなら、食べなくてもよい、という人である。
食べること自体がすでに面倒くさいらしい。
宅配弁当をやめたあと、父の食事はもっぱらカップ麺とコンビニ食品になった。
セブンイレブンでタバコを買うついでに、おにぎりやサンドイッチを買うのだ。
ずっと父の栄養状態を気にかけてくれていたケアマネさんは、父がしょっちゅうセブンに行っていることに目をつけて、先日こんな提案をしてくれたところだった。
「セブンイレブンがお弁当の宅配サービスをやってるんです。お父さんは若者みたいな味付けが好きやから、それやったら口に合うんちゃうやろか」
ケアマネさんは、わざわざセブンミールのパンフレットを持ってきてくれていた。
いかにも高齢者向けな健康弁当と違って、セブンのパンフレットに載っているラインナップは、いつも店で見慣れた商品が多い。
「ほんなら頼んでみよか」
と父も言ってくれたので、さっそくネットで来週分のお弁当の宅配をオーダーした。
とりあえず、もひとつ解決。
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食事はセブンに任せるとして、困るのはゴミ捨てだ。
うちのゴミは母の使用済みオムツが入っているので、重いうえに早めに捨てないといけない。
今の父に重いゴミ袋を運ぶのはとても無理だった。
火曜日と金曜日にある燃えるゴミの日。
こればっかりは、平日留守にしている私にはどうしようもない。
だから父に頼むしかなかったのだけれど、もうあてにはできない。
うちの家には玄関の外に階段がある。
これが何かとやっかいだ。
先週から父の膝は割れていてまともに歩けなかったわけで、前の週から私はあらかじめゴミ袋をガレージに運んでいた。
父がゴミ袋を持って階段を下りるのは無理だ、と判断したからだ。
ガレージからゴミステーションまでは20メートルくらいだろうか。
それくらいなら大丈夫だろうと思っていたが、結局父は自力で運ぶことができなかったそうだ。
父はゴミ袋を車のトランクに入れ、20メートルの距離を車に乗せて運んだのだそうだ。
次のゴミの日もまた車でゴミを運ばれたらたまったもんじゃない。
土曜日に病院で父の膝の皿が割れているという診断が下されたあと、私はすぐにケアマネさんにショートメールを送った。
土曜日はケアマネさんが休みなのはわかっていたけれど、お知らせを送るのは早いほうがよいと思ったのだ。
「月曜日に改めて相談しますね」
と送ったのに、すぐに返信が来て、そのあと電話がかかってきた。
「月曜日の朝はミーティングがあってお話できないかもしれないから」
というのだ。
休日返上で相談に乗ってくれたケアマネさん。
本当に頭が下がる。
とりあえず、私が心配していたゴミ捨てについては、ヘルパーさんに来てもらうということで、話があっさり決まった。
我が家で初めてのヘルパーさん利用だ。
どんな人が来てくれるんだろう。
私は会えないけれど、なんかワクワクする。
夏に父の介護認定が更新されたわけだけど、つくづく要介護1が取れていてよかったなぁ、と感謝している。
「介護認定なんかいらんやろ」
という父に、
「今はサービスを使わなくっても、いずれ頼まなあかんときが来るから」
と説得しつづけていたかいがあったものだ。
まさに一寸先は闇。