3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

床擦れの再発と謎の左肩痛

金曜日の夜から、身体を動かすと母が痛みを訴えるようになった。
車イスとソファ、車イスとベッド、車イスとトイレなど、移乗させると決まって、
「あ゛~~、い゛あ゛い゛~~」
と、泣きそうな声を出す。
はっきり発音ができないから推測だけれど、たぶん、
「痛い~」
と言っているに違いない。
表情も辛そうにしている。
他人だと単なる呻き声だろうけど、家族だからなんとなくわかるのだ。

実は先週から、再び母の腰に床擦れができてしまっていた。
初めて床擦れが出来たのは2年半ほど前。
それ以前の私は、床擦れというのは寝たきりの人に出来るもの、と思い込んでいた。
そのため、母のお尻の上に傷ができたとき、
「なんであんなとこにスリキズができたんですかねぇ?」
と当時通っていた施設のスタッフさんに呑気に尋ね、
「あれは褥瘡、床擦れです」
と言われて非常にビックリしたのだった。
慌てて対処法を調べまくったのを覚えている。

その後、いろんな人にアドバイスをもらいながら、エアマットと体圧分散マット、エアクッションなどを使うようにして、施設でまめに姿勢を変えてもらうことで、床擦れは治っていった。

完治していたし、再びならないように最大限配慮していたつもりだったのに。
残念ながら再発してしまって、本当にがっかり…。

寝ているときよりも、座っているときの背もたれに当たっていることで擦れているようで、このブログでも書いたけれど、最初に発見したのは泌尿器科の受診時だった。
発見して以降、ケアマネさんも細心の注意を払ってくれて、施設では看護師さんが診てくれているし、私も患部に固いものが当たらないように気を付けている。

そんな経緯があったので、最初、母が痛がる理由は床擦れの傷だろうと思っていた。
けれど、どんなに傷をかばっても痛がり方は変わらない。
むしろ、金曜日の夜より、土曜日の朝のほうがひどくなっているように思えた。

「もしかして、母が痛がったのは左肩を動かしたときかも?!」
と、ビビっとヒラメいたのは、土曜日の夕方で、母がデイサービスから帰ってくる直前だった。

母が帰ってきたとき、送迎のスタッフさんにそのことを伝えようとすると、私が話すより先にスタッフさんがしゃべり始めた。

「実は今日、あるスタッフがお母さんを抱えたときに、左肩がボキッって鳴ったらしいんです。脱臼させてしまったかも、って思って、慌てて館内にいる理学療法士さんを呼んで診てもらったんですけど、脱臼じゃあないって言われたんで、とりあえず様子を見ることにしたんですけど…」

それを聞いた私は、驚く気持ちはなく、やっぱり痛みの原因は左肩かも、という疑いを強くした。

母の左腕は拘縮がひどくて、肘を曲げ、手を胸につけるようなポーズのまま動かない。
肘を伸ばすことは難しいけれど、肩は少し動くので、母を抱きかかえるときは左の二の腕を持つことが多いのだ。

帰ってきた母の左腕を動かすと、思ったとおり痛むようだった。
しかも、普段より関節が軟らかい気がする。
あれ? こんなにスムーズに動いたっけ?
なんだかすごく怖くなった。

あいにく病院へ行こうにも、翌日は日曜日であった。
幸い、月曜日は訪問リハビリの日なので、療法士さんに診てもらおう。
それで異常がありそうなら、そのあと会社を休んで整形外科へ連れていくことにしよう。

それまでは、なるべく左肩を動かさないよう、そっと母を扱うしかない。
移乗のときは左腕を持たずに、左脇を抱えたりズボンを持ったりした。
しかしこれが難しい。
いつものやり方をちょっと変えただけで、母の身体がなかなか持ち上がらなくなった。

母が車イスに乗るようになって、もう3年くらいになるだろうか。
移乗も慣れたつもりだった。
あんまり慣れた手際なもんで、病院などで介護スタッフと間違えられるくらいだ。

そのうえ、今年はジムでバーベル挙げもやっている。
おかげでずいぶん腕力がついてきて、かつては考えられないくらいの重さのものも持てるようになった。

そうやって、慣れていくうちに、だんだん力まかせになっていったんだと思う。
最初は療法士さんに教わったとおりにやっていたのに、慣れと慢心が自己流にさせてしまっていた。

改めて検索してみると、移乗の技術について丁寧に説明してくれているサイトがたくさんヒットした。
動画つきのサイトは分かりやすくて特にありがたい。

http://www.kaigo-shigoto.com/lab/archives/957

岡田慎一郎先生の古武術介護の講座には一度参加したこともある。

http://shinichiro-okada.com/

いい機会だから、ちゃんと移乗などの介護技術について学ぶべきかもしれない。