『T2トレインスポッティング』は選んだ未来だったのか。
先週の火曜日は神戸国際松竹へ『T2トレインスポッティング』を見に行った。
『おそ松さん 春の全国大センバツ上映祭』と2本見るつもりをしていたのだけど、終業後に課長との打ち合わせが長引いて、おそ松さんの上映時間に間に合わなくなってしまった。(打ち合わせといってもほとんど愚痴の言い合いだったけど。)
平日の夜に2本映画を見るのも疲れただろうから、結果的には『T2~』だけで正解だったかもしれない。
『T2~』の開始時間までは、一人で回転寿司屋に入って小腹を満たした。
20年前の私は、20年後の自分が平日の夜一人で映画を2本見ようとする女になっていると想像していただろうか?
一人で回転寿司を食べるような40代になっていると思っていただろうか?
思っていたような気もするし、予想だにしていなかった気もするし、何も考えていなかった気もする。
40歳を過ぎてからは、人生を振り返ることが多くなった。
20歳の倍を生きてしまったんだなぁ、という思いと、今がちょうど折り返しで、80まであと半分も生きるんだなぁ、という両方の思いからだ。
あれから20年も経っているのに何者にもなれていない自分に、日々呆れながら暮らしている。
フラカンの歌詞を借りると、「靴底は減っているのに見える景色は変わらない」ってとこだ。
20歳の私には焦燥感があったけれど、今はそれすら失って、なのに平然と生きている。
『トレインスポッティング』を見たのは、大学生のときだった。テアトル梅田だったと思う。
90年代のポップカルチャーの代名詞と言われているように、当時の若者はこぞって見に行った。
こんなオシャレな映画があるだろうか、と衝撃を受けたものだ。
『T2~』の冒頭、再び私は衝撃を受けた。
オシャレさにではない。
ユアン・マクレガーをはじめ登場人物4人の、ひどすぎるおっさんぶりにだ。
「老けたなぁ、おい!!」
双方向コミュニケーションなら「おまえもな!」と返されるところだが、幸い彼らはスクリーンの中だ。こちらが見えなくてよかった。
見た目こそ、大きな変貌をとげていた4人だが、中身は全く変わっていなかった。
相変わらずのダメっぷりで、恐ろしく成長していない。
ただ、中年になった分、ダメさのダメージが大きく、深刻さが増していた。
若ければダメでも笑えるが、中年のダメには苦笑すらできない。
映画の出来としても、それほどの求心力はなく、封切りすぐにレイトショーなのも仕方ない気がする。
だいたい上映時間がおそ松さんの後だもの。中年4人は六つ子のニートに負けてんじゃん。
その中で、見に来た甲斐があったなぁ、と思ったのが、主人公レントンがレストランで自分の思いを語るシーンだった。
どんなセリフだったかというと…、あれ、えーっと…、あの…、長い語りすぎて思い出せない…。
正しい言い回しは記憶にないけれど、要約すれば、とにかくこのクソみたいな世界で自分たちは人生を選べたかという話だ。
Choose life, choose a job, choose your future.
長い語りの中に、そんなふうなフレーズがちりばめられていた。(と思う)
それは前作『トレインスポッティング』のキャッチコピーに使われてたフレーズだった。
日本語のキャッチはこう。
「未来を選べ」。
このコピーは当時の若者たちの胸に刺さった。
UnderWorldの『Born Slippy』の最初の一音が響くだけで胸に新鮮な空気が送り込まれ、ラストシーンでレントンが走り出すように、自分もどこかへ飛び出していきたくなった。
しかし、はたして彼らが選んだ未来は、この姿だったのか。
『T2~』が21年目の回答だとしたら、いささか寂しい。
映画が終わってシアターを出ようとすると、後ろのほうの座席に大学生らしい4人組の男の子たちがいた。
「オレ、全然意味がわからんかったわ」
「前の映画見とったらわかったんかなぁ」
「え、おまえら見てなかったん?」
「おまえ見たん?」
「GYAO!でタダで見れるで」
「なんで見に来る前に言うてくれへんかったん」
「あとで見てもわかるかなぁ」
彼らがそんな会話をしているのを聞いて、若くて愚かで貧乏、というかつての自分を見る気がした。
見える景色は変わっていないけど、私は少なくともその3点セットからは抜け出せている。
未来を選べ。
80歳まであと半分ある。