3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

つるばらが咲いた。

玄関先でつるばらが咲いた。
毎年、5月になると小さな黄色い花が群れて咲き、目を楽しませてくれる。

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この花、お向かいの庭でも2件隣の庭でも咲いている。
おそらく、2件隣の奥さんが株分けしてくれたに違いない。

手入れが行き届いて立派に剪定されているご近所と違って、うちの庭はジャングルである。
木々は勝手に伸び放題、雑草は生え放題、虫はたかり放題だ。

先週、つるばらのつぼみをたくさん発見したので、もうすぐ咲くかな、と楽しみに眺めたら、うじゃうじゃとアブラムシがついていてゾッとした。
蟻までが、せわしそうにそのアブラムシの世話をして回っている。

目についたところだけでも、と、アブラムシがついている枝を切って排除し、殺虫剤(といってもハエ・蚊用)をかけてみた。
しかし、1日そんな程度のことをしたところで、ヤツらはいなくなってくれないだろう。

父に、
「アブラムシがひどいよ!」
と訴えたが、
「てんとう虫が来て食べてくれるんちゃうか」
と呑気なものだった。
自然に任せるにもほどがある。

もともと、庭は母のテリトリーだった。
花が好きだったから、よく花を植えていた。
季節の花だけじゃなくハーブを植えたりするような、ありがちな園芸好き主婦だった。

それが、少しずつ、ゆっくりと狂っていった。

梅雨どきになると母は毎晩、懐中電灯と割り箸を持って庭を徘徊するようになった。
ネスレゴールドブレンドの空き瓶に塩水を入れ、その中にナメクジを入れるのだ。
ナメクジは小さく小さく溶けて、塩漬けになる。
害虫退治も庭の手入れの一環だが、瓶いっぱいに詰まったナメクジを捨てもせずに、
「こんなに獲れた!」
と喜んでいる様子は、どこか普通ではなくなっていた。

やがて母の趣味は、庭に穴を掘って生ゴミや落ち葉を埋めることに行き着いた。
毎日毎晩、母はスコップで穴を掘った。
「生ゴミも減るし、庭の草木の肥料になるし、一石二鳥」
と、本人は言った。
確かに間違ってはいない。
しかし、朝から晩まで、家事もほとんどせずに没頭するのは、やはりどうかしていた。

なんかおかしい、というのは、行動というより程度の問題だ。
だから、決定的な判断ができない。
「なんか、おかしい」
家族のその勘は当たっているはずなんだけど、緩やかに蝕んでくるそれに、対処する術がない。

母の、「ゴミを捨てたくない、有効利用したい」という意識は他にも表れ、植木鉢のかわりにカップ麺の容器を使うようになった。
「貧乏くさいからやめてよ」
と注意する私に、
「家を出ていったあんたに言う権利なんかない!」
と母は狂ったように怒った。

そうなると、庭は手入れされてるのか荒らされているのか、わからない状態になっていった。
花を愛でてきた庭が、ナメクジを狩り、穴を掘るための場所になっていたのだ。

それは、母の左手がうまく動かなくなっていった時期と重なる。
母の脳の中で何かが起きていたのだ。

今振り返ると、
「あれは完全におかしかったな」
とわかるけれど、当時それが脳の病気だと知っていたとして、何ができただろうか。

主を失った庭は、今や野生そのものである。
再び、大量のナメクジが大きな顔をして跋扈している。
誰も水を撒かないので、生き残っているのは雨水だけでも枯れない草木だけ。
完全なる弱肉強食の世界。

そんな状況でもつるばらは強い。
立派にたくさんの花を咲かす。
小さな黄色い花は、私に勇気をくれる。