3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

ライブと束縛

長年通っている整体師さんとは、施術の最中にいろんな話をする。

身体の不調は日ごろの生活習慣からやって来るので、どうしてもどんな状況か話すことになり、介護の話や趣味の話を洗いざらいしゃべってしまう。

ライブの度に身体がガタガタになっている私を、整体師さんは非難するわけでもなく、

「それは遊びすぎやで~」

と笑ってくれる。

 

でもあるとき、

「うちの嫁さんも、こないだ浜田省吾のライブに行きたいっていうから行かしてやったよ」

と言うので、

「『行かしてやった』って!許可がいるんですか!」

と、驚いた。

「だって、チケットは僕が買うてあげたんやもん」

まめな整体師さんが、奥さんのためにネットでチケットを手配し、代金も支払ったらしい。

まあ、それなら「行かしてやった」も、それほど変な言葉とは言えないかもしれない。

 

でも、それなら「チケットを買うてあげた」である。

「行かしてやった」というのは意識の問題で、どこかで妻が遊びに出かけるのに、夫の許可がいるようなニュアンスを感じるのだった。

整体師さんが、ものすごく愛妻家で奥様のことが大好きなのを知っているので、

「ライブに行くのに許可がいるなんて、それは束縛ですよ~」

と半分非難し、半分茶化した。

 

夫であれ妻であれ、夫婦というのは束縛しあって生きているように見える。

自分の時間くらい、自分の好きなように過ごさせてほしい私は、結婚なんてまっぴらごめん、と思わざるをえない。

 

しかし、結婚していなかったら束縛されないか、というと、恋人でも変わりはない。

金銭の問題と、世間的な思い込みがある分、婚姻関係のほうが束縛度が強いだけだ。

 

台湾から帰ってきた翌日、5月6日土曜日の夜、大槻ケンヂ「いつか春の日のどっかの町へ」ツアー大阪公演のために南堀江Knaveへ行った。

友達が良いチケットを取ってくれたおかげで、なんと久々に最前列。

間近でオーケンを見れる至福の時間を過ごすことができたうえ、なんとお手紙を直接手渡すこともできた。(神戸でもそうだったけど、今回のツアーではお手紙とプレゼントの回収タイムがあったのだ。何よりのファンサービス。)

 

ゴールデンウィークは5連休。

だけど、お母さんの介護があるからと、彼氏との台湾旅行は2泊3日で帰ってきた。

それなのに、翌日にオーケンに会いに行く私。

さすがに、彼氏には言えなかった。

 

5月11日木曜日の夜は、筋肉少女帯のベーシスト、内田雄一郎が出る「ビートサーファーズサミット」というライブを見に、北堀江Club Vijionへ行った。

これはさすがに彼氏に話したけれど、やはり面白くなさそうな反応だった。

自分は毎日たくさんの仕事を抱えて出張や残業をし、ひどい肩こりで頭痛がしても病院にも行けないでいるのに、私が遊びまわっているのですねているのだ。

気の毒だとは思うけれど、どうしようもない。

 

ふと、これが夫婦だったらもっと険悪になっていたんじゃないかな、と思う。

生活が別々だから許容できるんであって、一緒に暮らしていてすれ違っていたら、もっと寂しく感じるに違いない。

 

そんなとき、オシドリ夫婦で有名だった画家の池田満寿夫が亡くなったときの佐藤陽子のコメントを思い出す。(思い出すといっても、うろ覚えだけど。)

それは、「二人でいても寂しい夫婦だってあるけれど、私たちは一人でいるときさえ楽しい夫婦だった」というようなコメントで、これは「孤独」というものの本質を語っている気がする。

寂しさというのは、物理的にそばにいるかどうかではない。

 

でも、私がオーケンのライブに行ってたって知ったら、彼氏は寂しがるだろうなぁ。

ごめんなさい。でも、内緒ね。