3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

あの物の名前を父はまだ知らない

母の日と父の誕生日は同じことが多く、いつも一緒にお祝いしている。

去年までは丁寧に、それぞれプレゼントを用意していたけれど、今年はなしにした。
もう母にはプレゼントを認識してもらえないし、父には台湾土産の老酒をあげたばかりだからだ。

それに、どんなにしてあげたところで、二人とも何も覚えちゃいないのだ。

プレゼントをしないかわりに、スーパーで買ったチーズケーキを食べてお祝いに代えた。

うちの家族はチーズケーキが大好きだ。
ただ、チーズケーキというのは難しくて、ベイクドチーズケーキやレアチーズケーキを買うと、
「これがチーズケーキ?」
と父に言われてしまう。

「なんか文句あんの?」
「いや、わからん。チーズケーキを知らんから」
「知らんって何よ?」
「チーズケーキなんか食べたことないもん」
「嘘つけ!」

父はときどき食べ物について、
「食べたことがない」
と言う。
「ほう、これがハンバーグか。初めて食べるな」
とか、
「これは何ていう料理?クリームシチュー?へぇ~、知らんかった」
とか、本気で言うのだ。

イヤミに聞こえて言われたこちらはムッとくる。
「どーせ私のクリームシチューは、クリームシチューとも呼べない代物ですよ!」
と。
しかし、父にそんな高度なイヤミを言える能力はない。
いつだって本気なのだ。
それで父は毎回、
「チーズケーキが食べてみたい。お父さん食べたことないからな」
と言っている。

認知症か?
いや、若い頃からこうだった気がする。
名前と実物を結びつける能力が著しく低いだけだ。(実は人名と顔も同様だったりする。)

昨日買ったのは正確にはチーズスフレだったけれど、そんな細かい違いを説明すると余計に父を混乱させるだけなので、チーズケーキということにしておいた。
チーズスフレは正解だった。
おかげさまで、母の飲み込みもよく、少し小さめに切り分けたピースをペロリとたいらげた。
歯が悪い父も、これなら噛まなくて大丈夫なので気に入ったようだった。
どうせ記憶に残らないなら、そのとき美味しいだけで十分幸せだ。

それにしても、最近の父の記憶力の低下はひどい。

金曜日に実家へ帰ったら、トイレにモップが立て掛けてあった。
トイレに充満する臭いにおい。
汚れた形跡がある床。
きっと、また父が漏らしてしまったにちがいない。
トイレまでやってきて、直前でチャックを下ろすのが間に合わなかったのだろう。

嫌だな、トイレだけじゃなく家中がまるで公衆便所みたいな臭いがする。
臭いが染み付いたモップを放り出し、消臭剤を振り撒き、洗剤をつけたトイレットペーパーで床をもう一度拭いた。

のちほど父に、
「トイレにモップが立て掛けてあったけど、どうしたん? 漏らして拭いたん?」
と優しく尋ねてみた。

「モップ? 知らんなぁ」
「知らんことないでしょ。よく思い出してごらん。家にはお父さんしかおらんのやから」
「それもそうやな。でも記憶にないなぁ」

最近、私が家にいるときに父が漏らすことはなくなった。
それなのに漏らしたということは、お酒に酔っていた可能性も高い。
酔って記憶を失っていることもありえるので、とにかく、モップを片付けたことを伝え、記憶をなくすまで飲まないように、と注意した。

「汚したのをほっとかずにモップで拭いたのはえらかったと思う。でも、欲を言えばモップじゃなくて雑巾にしてくれたらもっとよかったかな。もうあのモップは捨てなあかんわ。お父さんのおしっこで汚くなったから」
と、穏やかな口調ながらも、私はまだグズグズ文句を続けた。
父はすねるでもなく、
「モップなんか知らんで。覚えがないわ」
と罪状を認めない。

ふと、
「もしかして、お父さんモップがどういうものか知らんのと違う?」
「知っとうで。便器をこするやつやろ?」
「違うわ!!!」

結局、話は噛み合わないまま、トイレの中は臭いまま。