3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

お向かいのおばさんに辟易している話。

今朝、施設からデイサービスのお迎えが来て母を車に乗せる介助をしていると、私の姿を発見したお向かいのおばさんがやってきて、

「鹿がおるよ!」

と教えてくれた。

うちのあたりは山を崩して作った住宅地なのですぐそばが山なのだが、一匹の鹿が道路のぎりぎりそばまで姿を現していた。

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鹿が藪にまだ残っているタケノコを食べている様子は可愛らしくて、施設の若いスタッフさんと一緒に鹿見物をしてから母を送りだした。

 

車が出発した後、私は慌ててリフトを片付けて、逃げるように家の中に入った。

というのも、お向かいのおばさんにつかまらないためだ。

 

とにかく私はこのおばさんが苦手でしょうがない。

いわゆるおせっかいおばさんなんだけれども、他人の事情を考えずにしゃべりまくるうえ、話の要領が悪く滑舌も最悪なので何が言いたいのかさっぱりわからないのだ。

子供の頃からお付き合いのある人なら捉えどころもあるんだろうが、そこの家は私が大学で実家を出ているときに引っ越してきた家族なので、私にはいまだに馴染みが薄い。

 

一方母にとってそのおばさんは、私がいなくなって夫婦二人の寂しい生活の中でできた新しい友人であり、とても仲良くしていたようだ。

だからおばさんが気にかけてくれているのはありがたいのだが、どうしても感謝よりも迷惑な気持ちのほうが大きい。

 

まず、玄関の鍵が空いていると家に勝手に上がり込んでくる。

あるときなど、私がキッチンで食事の用意をしていたとき、

「おるか~?」

と声がかけられ、「は~い」と返事をしつつ、出て行こうと手を洗ってタオルで拭いたところ、振り返るとそのおばさんが立っていたので、悲鳴をあげそうになった。

腹立ちをこらえ、

「な、何か?」

と尋ねると、平然と冷蔵庫を開けようとするので、さすがにそれは制した。

「ふきのとう炊いたんやけど、お母さんに食べさせてあげて」

「あ…、あ、ありがとうございます」

「タッパーはあとで返してな」

それ以降、在宅していても絶対に鍵はかけるように注意している。

泥棒よりお向かいのおばさんに入られるほうがよっぽど怖い。

 

今日も、せっかく隠れるように家に戻ったのに、洗濯を干しているとうちの庭に侵入してきたおばさんを発見した。

鹿を喜んで見たせいで、調子に乗らせてしまったのだ。

「何か?」

ベランダから声をかけると、

「ちょっとちょっと、これ持ってきたんや」

とおばさんが、ビニール袋に入った何かを見せる。

「そんな、けっこうですよ」

「ええからええから。玄関開いとったら冷蔵庫入れとくけど」

「開いてません!」

私が明らかな塩対応をしても、おばさんは意に介さない。

庭をうろつき帰るそぶりがないので、しぶしぶ出て行った。

 

「蒸し器あるか?」

顔を見るなり蒸し器である。

「あると思いますけど…」

「これな、おこわ。蒸したらええから。蒸すだけでええから。あんた金曜日に帰ってきて大変やろ、これな、蒸して食べたらええから」

ビニール袋にはアルミホイルに包まれたボールが4つ。有無を言わさず手渡された。

 

おばさんは親切でよく手料理を差し入れしてくれる。

ただ、正直いって美味しくない。

こんなことを言うなんて、性悪だと思うし、申し訳ないことこの上ない。

けれど、食べ物に困っている時代ではないのだ。

蒸し器で蒸さなければならない手料理をいただくより、レンジでチンできるスーパーの冷凍食品のほうがよっぽど助かるし、味も安定している。

さほど美味しくないとわかっているおこわを、わざわざ食器棚から蒸し器を出してきて蒸さないといけないのか…、と思っただけでウンザリしてしまった。

 

ただ、おばさんはおこわを渡しただけでは帰ってくれない。

「うちの和歌山の実家の母は90やけど、もっとしっかりしとうで。弟の嫁さんが面倒みてくれとうからな…」

と和歌山の母の話が始まると、しばらくおしゃべりが終わらない。

単にご高齢のお母さんの話をするだけならいいのだけど、いちいち、うちの母と比較するところがイラつくのだ。

「まだ若いのに。もっと元気ださな」

と言うが、うちの母は病人なのだ。

病気じゃなかったらぴんぴんしているはずだ。当たり前だが。

あまり腹が立つので、和歌山の話をさえぎって、

「うちの母は大脳皮質基底核変性症という、10万人に2人の難病なんです。単なる老化と一緒にされると困ります」

と言ってやったが、

「ああそう。それでうちの弟の嫁さんもな」

と脈略もなくまたしゃべり続けたので、あきれてしまった。

 

ここまで書いてきて、私がこのおばさんの何が嫌なのか、ようやくわかった。

おせっかいやおしゃべり、図々しさが嫌いなのかと思っていたが、そうじゃない。

理屈や理論が通じないところなのだ。

 

実は、母がこの病気を発症した初期の頃、このおばさんに誘われてある集会にでかけたことがあった。

「拝んでもらったらあんたの手ぇも治るわ。私の甲状腺の病気もな、拝んでもらったら治ったんやから」

と言うのだ。(拝んでもらったからじゃなくて、病院に通って治したはずだが。)

集会自体は無料で、藁にもすがりたい母は誘われるままに出席したらしい。

 

私がそれを知ったのはずいぶんあとのことで、その時点で母は何回も集会に出席してしまっていた。

調べてみると、その集会は何とかの光という新興宗教団体だということがわかった。

出席に大反対する私と、行きたいと言う母の意見は対立し、大喧嘩になった。

母の言い分は、

「タダなんやからええやんか!お金がかかるようなことは絶対せえへん!」

ということであったが、何しろすでに認知症の症状が出ている人である。

何にお金をむしりとられるかわかったものじゃない。

すでに、集団で拝んでもらっても効き目が出ていないので、偉い先生に個別で拝んでもらったらどうか、とおばさんに言われているところだった。

もちろん、偉い先生に拝んでもらうには謝礼が発生する。

 

入会させられたり、何かを買わされないうちに早く離れなければ。 

しかし、断るにしても、なんて言って出席を断ればいいか…。

断固として拒絶するべきなんだろうけど、しょっちゅう顔を合わせるお向かいさんだけに、無下にできない。

それに、母とおばさんは仲良くしているのに、そのことで険悪にさせるのも可哀想だ。

ああ、まさにご近所トラブル!

 

そこで私が考えたのは、父に断ってもらうことだった。

父に、母とお向かいのおばさんが参加しているのは新興宗教の集会であることを伝え、誘われてもでかけないように、父から断ってもらえないかとお願いした。

父も集会には反対だったらしく、すんなり了承してくれた。(ただ、反対の理由は「これまで何回か出席しても効果が出てへんから」という驚くべきものだったが。)

 

その翌週、どうなったか父に尋ねると、

「誘いに来たから断ったで」

とあっさりと言った。

「どんなふうに?」

「『もう行かへん』て言うた」

「それだけ?『行かへん』って言うただけ?」

「それ以外に何があるんや」

「理由は聞かれへんかったん?」

「なんでて言われても、『なんでも』や」

「それだけで引き下がった?」

「『ふうん』、言うただけや」

 

このときほど、「KY最強!」と思ったことはない。

普段理屈が通用しない父が、ここではポジティブに作用した。

なんでも理屈で考えてしまう私などが、おばさんや父のようなKY軍団に勝てるわけがない。

KYにはKYで対抗すべし。

そうか、おこわも一言、「いらん」とだけ言えばよかったのかな。