妊娠がわかったその日は人間椅子のライブだった。
妊娠検査薬で陽性反応が出た夜の話。
そんなわけで明日産婦人科を受診してきます、と私が彼氏にLINEでメッセージを送ると、すぐに電話がかかってきた。
「会社早く終わらせて帰るから、明日の夜、会える?」
「どうして? 木曜日でもないのに?」
10年付き合ってきた私たちのルールは、いつの間にか月曜日と木曜日がデートの日と暗黙の了解ができていた。
「どうしてって…、なみ松は妊娠してるかもしれへんのでしょ?」
「そうだけど、まだ確定ってわけじゃないし木曜日でいいよ~。だって、私…」
「何?」
「え~ッ!? 行くの?」
「そりゃ行くでしょ。チケット取ってるんだし」
「身体は大丈夫なん?」
「そんな今さら。昨日まで普通に暮らしてたんだから」
そんなわけで、11月8日の水曜日は、午前中に産婦人科に行って妊娠が発覚し、区役所に母子手帳をもらいにいき、午後は普通に会社に出て、夜は人間椅子のライブに行ったのだった。
今回はニューアルバム『異次元からの咆哮』のツアー。
けれど私としては、ギタリストの和嶋慎治の自伝『屈折くん』を先日読み終えたばかりなので、アルバム以上に『屈折くん』の思い入れが強いライブとなった。
胎教に人間椅子
「昨日までと変わらないよ」
と言いつつ、お腹に別の生命がいるかと思うと何かと自分の身体に気を配っている自分がいた。
オールスタンディングのライブなので、お腹を守るように混雑を避けて、あまり飛び跳ねないようにする。
何もなければ、前のほうへ行って握手でもしてもらおうと腕を伸ばすのだけれど自粛してしまう。
…当然か。
人間椅子はヘヴィロック、プログレッシブロックに日本土着の化け物や地獄といったおどろおどろしい世界観を綴った歌詞が魅力のロックバンドだ。
そういえば、胎教でハードロックを聴いていた赤ちゃんは暴れん坊になるという俗説を聞いたことがある。
情緒不安定になるとかね。
けれど、いつも私は大音量の人間椅子の演奏に包まれていると、暴力的な気持ちになるどころかアルファ波が出てフワフワと心地よい気持ちになる。
母体がそうなのだから、胎児にだって悪い影響があるとは思えない。
そういえば今回のアルバムに入っている曲で『悪魔祈祷書』という曲があるけれども、夢野久作の同名小説からインスパイアされたものに違いない。
胎児よ
胎児よ
なぜ踊る
母親の心がわかっておそろしいのか
というフレーズを思い出した。
こんな母親のお腹に宿る赤ちゃんだもの。
きっとこの子は悪魔的に強い子になるぞ、と確信する。
『屈折くん』の影響
『屈折くん』はほぼ一気読みしたくらい面白く読んだ。
人間椅子のファンでなくても、一人の男のサクセスストーリーとして面白く読める本なんじゃないかと思う。
紆余曲折を経たワジーが苦労の末、「せめて、美しく生きよう」と決意した瞬間に心に光が差してくるシーンなどは、とても哲学的で感動する。
私がワジーに共感するところは、試練や苦労に対する考え方だった。
イカ天で人気が出てきた頃にラジオ番組で一緒になった漫画家の大友克洋に、
「なんだお前、これからデビューするんだって? 全然苦労してないだろ」
と言われる。
そしてワジーは自分でも「苦労が足りない」と思う。
苦労って必要なものなの?
と客観的には思うけれど、私自身も子供の頃からずっと、
「一人っ子で甘やかされて、何の苦労もなくぬくぬく育ってきたくせに」
と周囲から言われ続けてきたトラウマがある。
それのどこがどのように悪なのかわからない。
けれど、人は「苦労をしていない」と言ってバカにする。
人間が一段低く見られる。
人からそういわれると、
「何の苦労をしていない」
というのが後ろめたい。
いまだにそうだ。
特にこれまでは、
「子育ての苦労をしていない」
というのが心のどこかで後ろめたかった。
「苦労してなくてすみません」
とどこかで肩身が狭かった。
とはいえ、両親の介護に加えて、このうえ子供まで、と思うと不可能に近い。
そんなことできるんだろうか。
けれど、この試練を引き受けることができれば「後ろめたさ」を返済できるだろうという気もする。
私にも、
「苦労? したした!」
と堂々と言える日が来るだろうか。
ワジーは子供の頃のエピソードとして、姉と一緒に遊んだトランプ占いの話を紹介している。
ハート(愛情)、ダイヤ(財産)、スペード(試練)、クラブ(才能)を自分の人生にとって重要な順番を決めて並べるというのだが、ワジーはいつも「試練」を一番上にしていたそうだ。
苦労してないのが後ろめたいとか言いながらも、私は昔も今も「試練」を最後にしちゃうな。
そんな私の「試練」が、これから来ようとしている。
どれほどのものなのか、想像もつかないけれど。