3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

中年の蹉跌

産婦人科を診察して妊娠が確定したあと、そのことを一番最初に話したのは、隣の席の係長だった。

男性だけど話しやすくて、しょっちゅうおしゃべりする仲だ。
体調が悪いと言って朝に休みを取ったから、
「午後から出てきても大丈夫なん? 調子悪かったら午後も休んだら?」
と心配されたので、誤魔化すのも悪いと思い、こっそり打ち明けた

「うわ〜、まじかっ!!!」
ものすごくびっくりしたしていたけど、
「 おめでとう! よかったなぁ!!」
とすごく嬉しそうに言われ、逆にこっちがびっくりした。

そうか、おめでたいのか。
私、よかったのかなぁ。

そのあとから現在まで、少しずつ人に情報解禁してきた。
黙ってたって、これ以上お腹が大きくなってくるとどうせ隠しきれない。
周囲には早めに話して、配慮してもらったり助けてもらうに限る。

そうやって話してみて意外だったのは、未婚の妊娠ということに批判的だったり冷ややかだったりした人が一人もいなかったことだ。

そして全員がまず、
「おめでとう!」
と言う。

そのたびに、そっかおめでたいんだな、と思う。

ある友人にそのことを言うと、
「シングルだとかお母さんの介護してるとか、事情を知ってるだけに、『おめでとう』以外のことは言いにくいよ」
と言われ、納得した。

例えは悪いけど、ご不幸があったときはとりあえず「御愁傷様です」と言うようなものか。

だいたい、誰が40過ぎでうっかり妊娠なんて思うだろうか。
あまりそんな例が浮かばない。

SATCはよくできている。

中年のシングル女性の妊娠について考えていると、ドラマ『セックス・アンド・ザ・シティ』でのミランダの妊娠を思い出した。
シングルの弁護士ミランダが元カレと一夜を過ごし、たまたまその1回で妊娠してしまって、キャリーに泣きながら相談するシーンだ。
ちょうどその頃、同じく親友のシャーロットが不妊治療をがんばっていて、ミランダは悩んだ挙げ句、中絶を諦める。

オシャレでチャラついたドラマのよう誤解されるSATCだけど(観るまでは私もそう思っていた)、「あのときキャリーがこんなこと言ってたな」とか「あのときサマンサがこんなことしてたな」とか、人生の場面場面でドラマのシーンがオーバーラップする。
つくづく、秀逸なドラマだったなぁ、と思う。

今回の私のケースも、周囲の同年代のご夫婦が不妊治療を頑張っていたり、治療しないまでも赤ちゃんを強く望んだりしてたりする中、望みもしない私がたまたま妊娠してしまうという皮肉。

まるで、毎回宝くじを大量に買って、当たりますようにと神棚に備えている人達に当たらず、宝くじ売り場の前を通りがかって、たまたま1枚買った私が当たってしまった、そんなかんじだ。

欲しかったわけじゃないけど、それならこれは天啓だと思って大事にします、と思ってしまう。

覚悟する女、狼狽する男

ずっと、結婚もしたいと思わないし、子供も欲しいとは思わなかった。
こんなことになるまで、いや、こんなことになってさえ、自分が子供を産んで育てるなんて想像できない。

その割に、私があまりに落ち着き払っているので、いまだに混乱から立ち直らない彼氏からは、
「実はわかってたんじゃないのか」
と疑われたりした。

望んだわけじゃないけど、妊娠限界年齢が近付いてきた39歳くらいから、
「本当に子供を持たない人生でいいの?」
と、ときどきふと思うことがあった。

イムリミットが過ぎれば、その後の人生、どんなに子供が欲しいと思っても間に合わない。

「ファイナルアンサー?」

心のみのもんたが不敵な笑みで問いかける。

これまで自信を持って、
「子供はいりません!」
と言っていたのに、自信が揺らぐ。
「ほんとに?ほんとぉ〜〜にファイナルアンサーと言ってもいいの??」

たぶん、そんな気のゆるみから、「あれ」のとき、
「ま、大丈夫でしょ。40越えての確率は低いんだし」
と思い、
「もしこれで出来てしまったなら、そういう運命だってことで諦めるしかないよね〜」
と、楽観視してしまった。


ただ、彼氏のほうはそんなに簡単に割り切れず、ずいぶん思い悩んでいる。

「この歳になって恥ずかしい。会社になんて言えばええんや」
とか、
「今のマンションのローンもまだ残ってるのに、新居どうしよう…」
というのはまだしも、
「どうせこうなるんだったら、5年くらい前に結婚しとけばよかった」
とか、
「成人するときには親が67歳のおじいさんだなんて、子供がかわいそうや」
とか、今さら言っても仕方ないことをグズグズ言う。

そんな彼氏の苦悩を見ていると、『青春の蹉跌』という映画を思い出す。
監督は神代辰巳、脚本は私が大好きな「ゴジ」こと長谷川和彦
音楽は井上尭之で、そのテーマ曲はオーケンのソロアルバム『I STAND HERE FOR YOU』でも使われていた。

どういう映画かというと、主人公の大学生の萩原健一が恋人の桃井かおりを妊娠させてしまって、でもお金持ちのお嬢さん壇ふみと婚約してて、悩んだ挙げ句に桃井かおりを殺してしまう、という話。

望まない妊娠の場合、男は面倒くさくてしょうがないものらしい。
私が桃井かおりだったら殺されるわけだ。

そういうことも人生にはあるわな、と思っていると、行政もちゃんと考えているらしく、兵庫県と神戸市では「思いがけない妊娠SOS」というサイトを作っていた。
『青春の蹉跌』のような不幸を作らないためにも、そういう支援は大事。

http://ninshinsos-sodan.com


でも、どうして私があまり悩まないかというと、やっぱり中年だからだ。
これまで20年も正社員で勤めてて、老後のために貯めていた小銭があるのと(その代わり高級老人ホームに入る私の夢は消えた)、もう今の会社に飽き飽きしてて、「何か新しいことにチャレンジしたい」と思っていたせいだ。
10代20代の妊娠とは、今後の人生の捉え方が違う。
こっちは老後しか考えてなかったんだもの。


それに、これまで長く生きてきた分、心の支えになる糧もたくさん身につけてきた。

ずっと便秘で御腹が張ってると思ってたら妊娠だったとわかったとき、特撮の『ケテルビー』の歌詞を思い出した、ということは前回書いた。

その『ケテルビー』という曲の最後は、オーケンの語りでこう締め括られる。


そうだ。喜びに見えるものは悲しみで、
愛に見えるものは実は憎しみなのかもしれない。
しかしこの宇宙は闇ではない。
逆に言えば、
私たちが孤独や苦しみと認識しているものは、
本当は、
あたたかな、あたたかな午後の陽射しであるのかも
しれないのだ。


特に望んでいなかった命を、突然、お腹の中に授けられてしまった。
これからどうしよう、と、私も彼氏も途方に暮れる。

けれど、きっとこの子は、あたたかな、あたたかな午後の陽射し。
「かもしれない」ではなく、きっと、きっと。

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