3歩前のことを忘れる女のサブカルと介護の記録

神戸に住む40代波野なみ松の、育児と趣味と要介護両親の対応に追われる日々の記録。

出生前診断は、しない。

ベネディクト・カンバーバッチ主演のBBCドラマ『SHERLOCK4』で、シャーロックの兄マイクロフトがワトソンの赤ん坊の画像を見せられる、というシーンがあった。

そこでのマイクロフトの感想は、
「見たかんじ、完全に機能している。」

 

SHERLOCKシリーズは、数あるシャーロック・ホームズものの中で最もマイクロフトを魅力的な人物に描いている気がする。
当時は、ホームズ兄弟の変人ぶりがよく表されているいいセリフだなぁ、と思って見ていたものだ。

妊娠発覚後、ときどきこのセリフを思い出す。
「完全に機能している」

素晴らしい。
それに越したことはないし、そうであってほしいと切に願う。

 

出生前診断をするのかしないのか

初めて産婦人科に行った時に、高齢出産のリスクについて尋ねると、真っ先に医者が言ったのがダウン症のリスクだった。
そして、
出生前診断を受けることもできますから、ご家族とよく相談して決めてください」
と言われた。

診断を受けてそうだとわかったらどうなるのか、とさらに訊くと、産むか産まないか選択して、産む場合は早くから準備ができます、と言う。

何か手が打てるなら別だけど、そんなんだったら悩むだけ損。

検査するのに痛かったりお金がかかったりするうえ、命の選択を迫られて、不安になったり落ち込んだりするなんて、割に合わない。

私はそう考えていた。

もともと望まない妊娠だったのを、
「こうなっちゃぁしょーがない」
と受け入れたのだ。
もう、どんなことがあったって、
「こうなっちゃぁしょーがない」
とすべてを受け入れるしかない。


楽観主義者の私と、悲観主義者の彼氏

ところが、彼氏の考えは違っていた。

私が軽く、
高齢出産だからダウン症のリスクが高いんだって。で、出生前診断をどうしますか、って訊かれたけど、そんなんわかったってどうしようもないから、しないでおこうと思うんだけど」
と言うと、
「わかっても産むの?!」
とものすごくビックリされた。

「え?!じゃ、逆に言うけど、わかったら胎児を殺すってこと?」
「殺すんじゃなくて堕ろすんだよ。まだ生まれてないんやから」
「エコー見てないから知らないかもしれないけど、もう心臓が動いてるんだよ。もう堕ろすには手遅れだよ」

「だからって、生まれてくる子供のことをちゃんと考えてる? 仕方ないからって産んで、それでほんまに子供は幸せやと思うか? なんで自分は生まれてきたんやろ、こんなことやったら生まれて来んかったらよかった、って子供が思うかもしれん。それでも産むっていうのは、親のエゴとちゃうか」

「ハンディキャップがあったって、不幸になるとは限らへんでしょ。勝手に不幸やって決めつけて、命を奪うなんて、そんなん、相模原の障がい者殺人事件の容疑者と同じやんか…」

妊婦だからか、最近ちょっとしたことですぐ涙があふれる。
しゃべりながら、こらえきれなくなって泣き出してしまった。

「泣かすつもりはなかったんやけど、ゴメンな」

私があんまり泣くので、彼氏は優しく抱きしめてくれたけど、
「でも、なみ松は『大丈夫』とか『なんとかなる』とか軽く言うけど、ほんまにちゃんと子供の幸せを考えてる? 子供を育てるっていうのは、なみ松が言うほど簡単なことじゃないよ。自分がそれでいいと思っても、子供自身がどう思うかはまた別やから」
と言った。

大丈夫、なんとかなる。

私はいつもそう言ってしまうけど、「大丈夫」で「なんとかなっている」のは私だけ。

でも、
「子供だってなんとかなる。生きていれば幸せになれるかもしれないよ」
という楽観的な私と、
「なんとかならないかもしれない。幸せになれるとは限らない」
という悲観的な彼氏。

中島らもの言葉だったと思うけど、

めったにない、何十年に1回くらいしかないかもしれないが、「生きていてよかった」と思う夜がある。
一度でもそういうことがあれば、そういう思いだけがあれば、あとはゴミくずみたいな日々であっても生きていける。

というのがあって、私はそれを信じている。
生きてさえいればどんな人にだってきっと、「生きていてよかった」という夜がやってくるはずだ。

「364日が不幸でも、1日幸せな日があれば生きてきた意味はある」
という私と、
「たとえ幸せな日があっても、不幸な日々が人生すべてを否定する」
という彼氏。

こんな哲学的な話を語り合ったことはなかったけれど、暗い子供時代を過ごしたらしい彼氏は、
「どうして自分は生まれてきたんだろう。生まれて来なきゃよかった」
と思う子供だったらしい。

だからこそ、自分の子供には、「生まれて来なきゃよかった」と思わせたくない、というのが彼氏の主張なのだった。


ダウン症の子供は多幸感を持つ

それは彼氏なりの優しさであることは間違いないんだけど、どうしても、私は納得できない。
「障がいがある」と「生まれて来なきゃよかった」は必ずしもイコールじゃないはずなのに。

そう思った私は、大学の先輩である清田さんにSNSで相談した。
清田さんは障がい者福祉のNPO法人「月と風と」の代表で、障がいがあってもなくても面白楽しく暮らせる地域づくりを目指している人だ。

状況を説明して、
ダウン症でも幸せに暮らせるという実例を知りたい!」
とリクエストすると、こんな動画を紹介してくれた。

 

90%以上のダウン症の人が、毎日幸せだと感じているなんて!!

きっと、悲観主義者の彼氏よりもダウン症の子供のほうがよっぽど幸せを感じながら生きてるかもしれないな。

そりゃあ、完全に機能している赤ん坊が生まれるに越したことはない。
染色体異常だって、ないに越したことはない。

でも、どんな子供にだって、生きてきて幸せを感じる権利はあるはずなんだ。
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正直にいうと、お腹が大きくなるにつれ、不安になってくる。

もしそうだったらどうしよう、どうしよう、と黒い靄がかかる。

 

でも、きっとなんとかなる。

道端に生えた四つ葉のクローバーだって奇形じゃないか。